月刊ライフビジョン | 家元登場

断崖絶壁に立つ

奥井禮喜

■ 乗っ取られた国会

 昨今、わが国会における議論や審議はあまりにも程度が悪い。最大の原因は政府与党の乱暴な議会運営にある。戦後最低の政府・与党「質」だといっても外れてはいないであろう。自民党総裁・首相たる人物もまた戦後最低の総裁・首相「質」だというべし。政府・与党が低質だから総裁・首相「質」が低質なのか、はたまたその逆なのかはわからないが、両者あいまって最低の立法・行政を運営している。政党を率い、そこに集結するのは政治的信条を実現するためである。だから多数派を構成し、政治を自分たちが思う方向へ動かそうとするのは当然だが、問題はその内容である。デモクラシーを破壊する方向へ暴走をしているのだから、もはや反デモクラシーのクーデターというべきだろう。「改憲か、護憲か」を問うどころではない。目下、政府・国会は、反デモクラシーの乱暴者たちの共謀によって乗っ取られている。日本はすでにデモクラシー国家ではない。

■ 不審な審議を30時間

 いわゆる「共謀罪」法案の審議自体が「法規範」の決定的な否定である。誰でも知っているように、法律というものは、人々がそれに従う規範、すなわち人々がこの国で生活するうえでの規則であり、判断し、評価し、それによって行為する基準である。法規範というものは、いかなる源泉から生み出されるか? まず、どのような審議過程から生み出されるか? 審議過程がむちゃくちゃであれば、審議自体が信頼できないのであるから、生み出される法律の権威が初めから存在しないのと同じである。法律の所管大臣が真っ当な答弁ができないのだからなにをかいわんや。審議過程に30時間を費やしたといっても、法律案の提案に対して納得できる説明がないのだから合意が形成されるわけがない。合意が形成されない時間がいくら積み重ねられても審議という名前に値しないのだから、単に騒動していただけに過ぎない。明らかに背任行為である。それ以外のなにものでもない。

■ 羊頭狗肉法は上程無効

 そもそも国会で法律を制定するとはどういうことか? 法規範を明瞭な形で、さらに簡潔に表現することを主たる目的とするのである。第一、用語の正確な意味すら定義されない。1つひとつの用語が正確に定義されないようなものが法律だというわけにはいかない。こんなことは法律の専門家でなくても常識である。「一般の国民」「普通の国民」は対象外だという理屈は理屈ではない。誰が、「一般の国民」「普通の国民」を峻別するのであるか? 法律が決まれば、それを規定するのは国家権力である。国会でまともな審議をしないような連中が国家権力を握っているような事情において、国家権力の恣意性を危惧する国民が多いのは当たり前である。要するに、国家権力に唯々諾々として従う人々が「一般の国民」「普通の国民」という次第であって、自由な言論が封殺されかねないと危惧するのは必然の流れである。かくして「共謀罪」法案を成立させるわけにはいかない。

■ 偽国民と仮死議会

 目下の国会は、議会政治の堕落を通り過ぎて、すでに崩壊に瀕している。十分な納得性を合意する議論がないままに、法案を成立させようとするのは議会の死滅である。議会の死滅とは、議員の死滅である。国会という船が沈没しかかっているのが、目下の日本の姿である。政府・与党が暴走してもそれを阻止できない野党が情けないという指摘があるが、本当に情けないのは、そのような理屈を主張すれば自分が免責されると考えている欺瞞性である。一皮むけば、このような欺瞞性を欺瞞と思わず、あたかも自分はデモクラットであるとうそぶいている偽国民である。選択肢は2つに1つしかない。多数派の徒党連中に与するか。それとも真っ当なデモクラットとしての主張をするか。戦後70余年のわがデモクラシーが断崖絶壁に立っている。デモクラットたろうとするならば、多数派徒党連中にNO! と呟くことくらいはやってもバチは当たるまい。NO! である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 
経営労働評論家、日本労働ペンクラブ会員
OnLineJournalライフビジョン発行人