月刊ライフビジョン | 家元登場

人間性の危機

奥井禮喜

100年目の警告

 「われわれは世界中いたるところで人間性の危機に巻き込まれている。――驚くべき巨大な力、すなわちハリケーンのごとき力がいまや解き放たれている」。これは、第一次世界大戦が終わってから20年後、ドイツのナチによって第二次世界大戦の火ぶたが切られる1年半ほど前の1938年4月にA・イーデン(1897~1977)が、書き残した一節である。(E・H・カー『危機の二十年』)カーは、当時の一般の人々が国際危機の苛烈さや複雑さに対して感じていたことに近いと記した。第一次世界大戦が欧州全土を惨憺たる状態にして終わり、ヴェルサイユ講和条約が締結されたのが1919年6月28日である。今年は、第一次世界大戦終了からちょうど100年である。イーデンは前述の文章を書く2か月前にチェンバレン内閣の外相を辞任した。独伊に対する英国の宥和外交路線に不満をもっていた。すでに風雲は急を告げていた。人々の不安が高まっていたのである。

『愛国心』の破壊力

 イーデンは第二次世界大戦時、W・チャーチル内閣(1940~45)の外相として、さらに51年から55年も外相、チャーチル首相引退後の55年から57年に首相を務めた。彼が標榜したのは「Peace comes First, always」であった。同じFirstでも、America Firstというような自国第一主義と平和主義は根本的に異なる。政治家は、国の安全を守るとして軍備に知恵と資金を投入する。しかし、仮に立派な軍事態勢を整えたとしても、ひとたび戦端を開けば、いかに麗しい愛国心をかざそうとも、行動は破壊と殺戮にとどめを刺す。艱難辛苦の時が過ぎて、ようやく平和が訪れるならば二度とこんなバカはしたくない。勝つも負けるも消耗戦で、国力、人力いずれも失う。この程度のことも知らぬ人はいないであろう。平和Firstか、自国Firstか、もっとも基本的な構え方が第一に問われなければならないはずだ。

平和の概念が未確立

 第一次世界大戦終了から第二次世界大戦の開始までが20年間である。戦争の悲惨さを忘れるには早すぎる。ドイツのナチはじめ戦争を引っ張った人々の考えが台頭したのは、「戦争対平和」という価値観の対決ではなく、先の敗戦の捲土重来を期すということにある。平和を構築していくという目的はない。覇者たるか、覇者の後塵を拝して生きるかの選択しか頭にない。平和の観念が確立していないのだから、めざすは、勝つ戦争をすることである。敗北して、いかに困難な復旧活動をやったかという苦労は、今度の戦争に勝てばおつりがついて報われるという思考である。覇者になるという目的が、平穏な生活をめざす個人の思想を抑圧し、弾圧し、粉砕する。それをあっぱれなまでにやり通そうとしたのがナチスである。幸い、ナチスは粉砕され、東洋の軍国主義日本も粉砕された。ただし、軍事的に粉砕されたのであって、覇権を求める精神が生まれ変わったのではない。

人間性の危機

 ドイツは、戦後、ナチスのホロコーストと全面的に対決した。覇権をめざす戦争が、単に国と国の戦闘の領域ではなく、戦争の精神を追求すれば人間の殲滅に通ずることを読み取ったといえる。その重みを知るからこそ、流れ込む膨大な難民に対しても手を差し伸べようと善戦敢闘してきた。戦争行為は、どこまで追求しても破壊と殺戮でしかない。戦争の成功は破壊と殺戮において、相手を凌駕することにすぎない。戦争が作るのは平和ではない。戦闘が終わるだけである。平和を作るのは、日々の人々の暮らしを堅実なものに作り上げていく地道な活動である。堅実な暮らしを作っていくためには、誰かが号令かければよいというようなものではない。わたしがわたし自身を愛するように、わたしが社会であり、社会がわたしであることから目を背けてはならない。自国Firstが支持されるのは自分Firstだからである、ということをつねに忘れないようにしたいものだ。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人