月刊ライフビジョン | 家元登場

性根を入れてやりなさい

奥井禮喜

献辞

 旅先広島のホテルで原稿を書きつつ、そろそろ一息入れるかなというところで、木下親郎さんの訃報を聞いた。月刊ライフビジョンでは「読書への誘い」を長く受け持っていただいた。2月号の「バー・雄鶏」ジョン・グリシャム(2017.10)の紹介が最後の原稿になった。年齢では8年先輩で、わたしが1963年に三菱電機通信機製作所衛星通信部機械技術課へ入ったとき以来55年、一貫して人生の先生であり、北斗七星のような存在であった。木下さんは国際的紳士である。英語は堪能なだけではなく、語彙にも精密に気を配るというのだからこれまたすごい。斗酒なお辞さずといえば呑兵衛を想像するが、絶対に乱れない。というよりも酒がどこへ入ったのか、飲んでおられるのか素面なのかほとんどわからない大酒豪でもあった。「酒は灘ですよ」、おだやかにおっしゃるが、たかが酒の寸評においても、不肖などの歯が立たぬ知識人、そう、まさに、木下さんは知識人という表現がふさわしい紳士であった。

仕方がない、仕方がないが

 ご自分でも常々「ものづくり一筋」の人生だと語られた。わたしの所属した機械技術課は森川洋さんが課長で、「鬼」と呼ばれるほど畏怖されていたが皆の敬愛も強烈であった。森川さんの右手というべきが木下さんで、わたしなどから見るとお2人は最高のゴールデンコンビであった。森川さんが亡くなったとき、牧師が読んだ告別の言葉は木下さんがお書きになった。国産人工衛星製作を総指揮された森川さんに送る言葉は、人工衛星が「天国の門でお出迎え」という言葉を盛り込まれた。木下さんは、自分から大演説されるようなタイプではなかった。いわば学者肌で、諄々と諭すという語り口なのである。しかしながら、ことが仕事や技術の話であれば、百万人といえども我ゆかんの気風が澎湃として漂うのである。わが職場は毎年同窓会を開催しており、すでに36回を数えている。ゴールデンコンビが旅立たれたことになる。寂しいが、仕方がない。仕方がないが、とても寂しい。

仕事はやれる人にやらせなさい

 木下さんの後輩に送る言葉を少し紹介しておきたい。たとえば「科学者は未知のものを知ろうとするのだから、『想定外』というような言葉を使ってはならない」。これを科学者向けだけと解釈すれば、科学者以外は何ごとからも無罪放免であるが、人生とおいて考えればいかがであろうか。然り、人生なんて何が起こるかわからない。わからないから何かが起こった際に『想定外』といえばよろしいか。そうではなかろう。何が起ころうと冷静沈着、着々粛々と対峙せねばならない。厳しいのである。その厳しさは、まだ日本の技術が先進国に相当引き離されていた時代から、性根を込めて、先頭を追いかけて、海外を飛び回った実体験が語らせるのだと思う。しかし、無意味な背伸びをせよというのではない。ヘタな背伸びは結局自滅自壊の隘路である。仕事はそれを「やれる人にやらせる」というのが木下流の適材適所実践論であり、だから人をきちんと見ない日本的人事管理には常に厳しい視線を注いでおられた。

性根を入れてやりなさい

 機械設計の紛うことなきプロフェッショナルであったが、「あの仕事はわたしがやったのだ」というような言葉を聞いた記憶がない。設計(システム設計)ですべてが決まる。設計者がすべてを決める。木下さん世代は「ものづくりには設計が神様だ」と教育された。設計者はそれだけの責任を負わされているのだからその気構えを持てと新入社員時代に叩き込まれた。やがて大きなものを設計するようになると、設計者1人では設計できない。さらにいかに優秀な設計者であっても、実際の「もの」にするには、わたしのごとき三下の出番もある。万一、三下がとんでもないドジをやろうものなら(それも出番には違いないが)せっかくの大仕事が完成しなくなる。仕事がチームの力によることを骨の髄まで認識し、それをわたしらに折に触れて語られた。わたしが組合で活動するようになったときも、木下さんはじめスーパー技術者が支援してくださった。「性根を入れてしっかりやりなさい」という声が聞こえる。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人