月刊ライフビジョン | 家元登場

学ぶ力が社会の力

奥井禮喜
輝いた英国労働運動

 『読み書き能力の効用』(リチャード・ホガード)という本がある。あまり本気!で読書していなかったので、適当に読んでしまった。1つだけ印象に残ったのは、イギリスの労働者は文字を学んで知ったおかげで、支配者層によって騙されやすくなったという主張であった。これは意外であった。イギリスといえば労働者教育を軸とした先進的労働運動が展開されてきたと思い込んでいたからだ。その見本ともいうべきがロッチデール先駆者協同組合の活動である。ランカシャーのロッチデールに、1844年12月21日、労働者自身が資金を供出して協同組合が開設された。イギリスは1760年ごろから世界の産業革命の先陣を切った。産業は赫々たる気炎を上げていたが、労働者は減給に苦しみ、生活必需品の品質劣化、不公正取引に悩んでいた。ツケ買いするしかないから、商売人の好き放題である。労働者の生活困窮が加速するなかで世界の協同組合の先陣を切った。

偉大な志

 灘神戸生協(当時)の専務理事涌井安太郎さんが、とつとつとロッチデールを語る。食べるか食べられないかの境遇で、数人の労働者が少しずつ資金を蓄え、半地下部屋を借りてお店を開くまでにこぎつけた。商人たちは、労働者が自前の店を持つというので多少の心配をしつつ様子を覗きに来る。労働者たちが囲んでいるテープルの上にはちいさなチーズの塊が置いてあった。それが偉大な協同組合運動の最初の商品であった。労働者たちは万感の思いでチーズに見入っている。商人たちが嘲笑っていた。この話を聞いた若者たちの頬は紅潮し、涙ぐむ人も少なくなった。わが組合員の勉強会・労働学校のひとこまである。1970年代半ばであった。もうすぐ経済大国というようになるのだが、労働者生活はそんなに結構ではない。しかし、貧しさに同情して身につまされたのではない。徒手空拳の労働者が刻苦勉励、大奮起して協同組合を始めた、その偉大な志に衝撃をうけたのである。

主体こそ学ぶ力

 わが仲間たちは優秀である。家庭の事情で中学を卒業すると就職した。大企業だから高学歴者はたくさんいる。彼らをまぶしく見つつ、さっこんでいうなら親ガチャの嘆きがよぎったかもしれない。講演後の感想を聞くと、ロッチデールの労働者が、自分たちの社会的・知的向上のためにカンパして仲間を夜学に通わせ、彼が学んだことを教えてもらう。そして四半期ごとに剰余金の2.5%を教育費につぎ込んだこと。早々に充実した図書館を創設したことなどに強い衝撃を受けたと語った。口には出さなかったが、高等教育を受けられなかったという不満を持続するよりも、勉強するつもりになればいろいろ手立てがあると思ったにちがいない。労働学校というのは、組合支部が運営していた。なかなか参加者が増えなかったが、参加者の反応が際立った後は、やはり聴講者が増えた。いかに、学習意欲を刺激するか。学習は主体的なものだということをまざまざ感じた体験であった。

オツムの貧乏こそ

 わたしは、イギリス労働運動の先駆的な力は彼らの学習意欲と、それを運動として育ててきたことにあると考えた。だから、『読み書き能力の効用』の記述が気になった。ふと気づいたのはE.P.トムソンの『Out of Apathy』(邦題・新しい左翼)である。同書は、全体を通じて、アパシー(政治的無関心)が、要するに労働者の不勉強によるもので、それが英国労働運動の退潮を招き、さらにイギリス国のエネルギーを阻害していることを痛烈に批判している。わたし流に敷衍すれば、働く人が向学心に燃えているときは、単に労働組合運動だけではなく、社会全体の活気が生まれ育つ。知識を得るだけで自分の生き方に反映しないような学習は、ホガードの皮肉な指摘の通りでしかない。日本は、1990年来社会的に見るべき活気がない。賃上げだけの問題ではない。極端な貧乏を克服すればすべてよしという、とんでもない幻想と錯覚にはまっているのではないか。


◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人