月刊ライフビジョン | 家元登場

鍋の極意

奥井禮喜

 魚食天国

 父親がとにかく魚を好んだ。魚料理であればなんでも機嫌がよろしい。わたしが小学校低学年までの付き合いなので、ろくな対話もしていないが、奇妙にいくつか忘れない話がある。魚好きといってもおおかたは海の魚である。目の前が日本海という土地柄で、新鮮な魚がいつでも食卓に上がった。毎日のように登場するのが、サバ、アジ、イワシなどの青物で、焼く・煮るが定番である。干物は、当時はあまり食べていない。魚といえば生である。刺身は白身魚で、タイ、ヒラメ辺りが多かった。夏になると、日本海名物のイカである。函館のイカソーメンはネーミングが卓抜しているが、日本海からいえばイカウドンというべきで、現地で心ときめかして食べに出かけたものの、帰途は文句タラタラだった。ノドグロは海底魚で、昔はいわゆるゲテモノである。少ない白身の刺身が絶品、煮物もよい。さっこん、脂っこい干物が好まれているのを見て、初めは違和感があった。

 自然の賜物

 夏はイカ、冬はブリ、そういえば当時カツオを食べた記憶がない。大人になってカツオのたたきを初めて食べたときは、なんと生臭い刺身かと驚いた。川魚はアユ。中国地方第一の江の川があり、河川整備がされていなかったので、天然のアユがしこたま獲れた。親戚がアユ漁を手掛けていた。季節ともなれば、きのうもきょうも、あしたもアユというわけだ。とろ火でじっくりと乾燥させたアユが香ばしく、おやつによく食べた。これは一流の割烹旅館などへ卸す。非常に高価な出汁や煮物として使われることを知ったのは、大人になってからだ。父親が大のアユ好き、川魚はアユしか食べない。連日アユの塩焼きである。もちろん美味しいのだが、頭から尻尾まで全部食べろと言われるので、子どもとしてはおおいに苦労した。生意気にも美味しさがわかったらしく、大人になってから食べたアユで、美味しいと感じたのは四万十川産のものだけしか記憶がない。

 大人の食感

 冬はてっちり。フグのちり鍋である。ちり鍋は白身魚の切り身、白菜、春菊、豆腐などを水炊きする。わが家は昆布だしであった。煮汁は味付けしない。素朴にして簡素である。幼いころは銘々膳なので、大きな鍋を家族で囲むのが珍しく、嬉しかった。フグのちり鍋は70年前もぜいたくであったが、父親が大好きだからしばしば食べた。各自、酢と醤油をちょいとつけて食べる。これがまた、大人になった心地がして愉快である。タラ、タイもちり鍋で食べたはずだか、ちり鍋といえばフグがすぐに思い浮かぶ。大人になって大阪界隈では、てっちりをたまに食べに行った。大阪駅前の路地に大衆的なお店があり、値段を心配せず食べられた。もっとも、フグにタラがだいぶ紛れ込んでいた。フグよりタラのほうが安くて美味しいと思うが、「なんやタラやないか」とぶつくさ言うのも味のうちであった。豚チリも美味しい。毎晩食べても飽きないので常夜鍋という呼び名もある。

 鍋を汚さず

 ちり鍋のポイントは煮汁のお湯を無色透明に保つことである。タラは乱暴に煮ると身が崩れる。豚はどうしても灰汁が出て、お湯が濁る。まあ、味は変わらないのだが、とりわけ関西人はきれいな鍋にこだわる。これはチリ鍋に限らない。寄せ鍋であっても、透明感を大切にする。まあ、これは大昔の傾向かもしれない。もう40年も前になる。大阪老舗百貨店のみなさんの宿泊研修を同社の健保クラブ(宿泊施設)で開催した。晩餐は豪華な魚の寄せ鍋であった。メンバー50人が各テーブルに分かれていただく。ところが、なんでもかんでもぽいぽい放り込んでグツグツ煮てしまうので、魚の身は崩れるし、ごった煮になってしまう。わたしは主宰者と同席したが、鍋を仕切らせてもらった。宴の後半、われわれの鍋の煮汁は同じものを食べたとは思えないほど澄んでいた。その汁に塩胡椒で味付けして主宰者に進呈したところ、「みなさんこれが鍋というものです」と一席演説された。


奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、

     OnLineJournalライフビジョン発行人