月刊ライフビジョン | 家元登場

官製人づくり? (笑)

奥井禮喜

政府の革命

 ――真の繁栄は、豊かな経済を基礎としつつ、これを貫くに高い精神、美しい感情、すぐれた能力をもってして初めて実現されるものであります。真の福祉は、漫然として享楽すべき贈りものではなく、われわれが営々として追求し、額に汗して建設すべきものであると思うのであります。(中略)この意味において、私は文教の刷新と充実、特に次の時代をになう青少年諸君の育成が、現下最も重視すべき要務であると信じます。(中略)政府は、学校教育と社会教育を通じて、教育機会の均霑、教育内容の向上、教育施設の拡充等に努め(中略)青少年こそは祖国の生命力の聖なる源泉であり、民族の純潔と勇気を代表するものでありますから、遠大な使命感とゆかしい学問教養を身につけていただきたいと思います。――これ、55年前の1962年1月19日、首相・池田勇人の施政方針演説の抜粋である。高校生的弁論大会みたいで、いささかこそばゆい思いがするが——

成長の歪

 「真の福祉は営々として追求し、額に汗して建設すべき」ことにはなんら異論はない。時は高度経済成長真っただ中、人口9400万人。前年度のGNP(国民総生産)は対前年比14%増であった。もっとも物価は上がる、労働力は不足する、社会資本は立ち遅れるという、成長と歪の問題も大きく取り上げられていた。同年は新規大量採用で全国の職場はいずれもにぎわいを見せていた。自民党政権であるから、本気で福祉国家を志向していたとはいえない。それでも同演説で「貧困、病気、失業などのために経済成長の陰に取り残された同胞に対する温かい配慮」を呼びかけたし、「低所得層対策、医療保障の充実」に取り組むとも発言した。さらには、核実験禁止・軍縮問題を背景に、日本が国連を舞台として、世界の緊張緩和と平和外交推進に立ち向かうとも語った。60年の安保騒動があっただけに、池田内閣は国内世論対立を起こさぬように、かなり慎重な運転をしていた。

職場は自分を耕す畑

 いま演説を読むと「青少年こそは祖国の聖なる源泉」という言葉は、歯が浮きそうでもある。実際、当時の教育予算は池田演説とは程遠い規模であった。わたしは翌63年に工業高校機械科を卒業して大企業の電機会社に入り、機械設計職場に配属された。低賃金でいつも懐がスカスカだったが、職場は面白かった。なにしろ仕事時間は笑い声が絶えない。お世辞抜きに優秀な先輩の話を聞くのは素晴らしく、オツムの肥やしになった。わたしは、何人もの先輩から読書のすゝめを聞いた。松下幸之助氏が「製品を作る前に人を作る」といわれたのが有名であるが、実際、多くの大企業ではそのような気風が当然であった。先輩方は、あの戦争の渦中に育ち、ものを考える態度の大切さを痛感されたに違いない。じっくり考えることは容易ではないが、人生すべからく思索して自分を耕さねばならない。その薫り高い雰囲気にあって、しかし、未熟な精神が順調に育たなかったのが悔やまれる。

時間を取り上げておきながら

 1万人もいる工場でサークル活動が盛んであった。わたしは学校時代からの延長でテニスに3年ばかりのめり込んだ。読書サークルにも入り、聖書研究会、演劇サークルの諸君とも交流した。組合の仲間と学習会を組織し、大枚はたいて謄写版セットを購入し、勉強の資料をつくった。ふりかえると、当時は、仕事以外の活動で著名人! になっている人が少なくなかった。昨今、リベラルアーツの重要性が説かれるが、仕事だけでなく、教養を高め、創造活動をするという価値をみんなが認めていた。その気風がしぼんでいくのは70年代である。働く人の文化の活動が継続していたら、どんなに素晴らしい労働者文化ができていたか。惜しまれる。当時は、今日のような長時間労働ではなかった。サービス労働もほとんどしなかった。政府の「人づくり革命」という頓珍漢なコピーをみていると、考える力が脆弱になってしまったようにしかみえないのである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人