月刊ライフビジョン | 家元登場

我流味覚談義

奥井禮喜
北京飯店の失策

 ご近所の精肉屋さんで買ったザーサイを摘まんでいて、32年前を思い出した。1990年8月初めて訪中した。いまからはちょっと想像しにくいが、外国人が泊まれるホテルは少なく、第一等の北京飯店が手配された。それもとても貧相だった。ウイスキーを飲みたいがバーがない。友人とレストランへ入ってシーバースリーガルを頼んだ。東京のホテルバーの最高価格に近い。仕方がない。一杯だけ飲もう。ボーイさんに、摘まみにザーサイを頼んだら妙な顔をする。通じないと思って、紙に搾菜と書いたが奇妙な顔つきのまま厨房へ入ってしばし、洋皿にてんこ盛りのザーサイを持ってきた。意志が通じたと喜んでおいしくいただいた。あとで思えば、一流ホテルのレストランでこんなものを頼みやがってと軽蔑されたに違いない。しかし、われわれの感覚では下町食堂の感じであった。わが精肉店のザーサイは、北京飯店のザーサイによく似ているので愛食している。

文化=人情=漬物

 東京では、赤カブといえば山形産酢漬けがほとんどで、飛騨高山の赤カブにはめったにお目にかからない。たまたま新宿駅西口通路に岐阜県のパイロット店を見つけたので、赤カブを買った。頬張ると懐かしい風味が広がる。岐阜県の仕事に4年間かかわって、某日、飛騨高山へ行った。仕事が終わって、若い職員数人に繁華街の立派な大衆割烹へ案内された。彼らはお魚を食べたい。わたしは、お上さんに漬物をお願いした。いかに薫り高い文化の高山といえども、山郷で海の魚を食べたいとは思わない。地元産の、それもお漬物が食べたい。どかんと盛り合わせされた中でも、赤カブの繊細にしてしっかりした味にほれ込んだ。おおきなお鉢の漬物をほとんど1人で食べてしまった。お漬物くらい文化が染み渡っている食材はない。これ、我流食文化観だ。行きつけホテルバーでお漬物を提供してもらうようにお願いしたことも多い。文化、すなわち人情はお漬物に表現される。

口福は歩いてこない

 伊勢の三年物たくあんは、たくあんの鑑と言いたくなる。以前は新宿の百貨店食品売り場にあったので、しばしば味わった。ひねこびているから、表面はしわくちゃであるが、円熟してやや枯れかけている味わいが癖になる。似たような雰囲気のたくあんを見つけると、つい手が出たが、さいきんは似たようなものには手を出さない。お手軽に口福が転がりこむわけがない。昔、友人の母上から手作りのたくあんをいただいた。素朴の味、飾らない味がとても懐かしかった。1976年に東南アジアを2週間旅行した際、みなさん出発数日で里心がついたらしく、バンコクの日本料理店へ行った。昼食1万円なのでもったいないと思いつつ付き合った。味噌汁がまずい。ご飯の炊き方がよろしくない。タマゴをかけてかき込んだ。当方希望価格500円の代物だ。お漬物は甘ったるい福神漬けで決まり。以来、美味しくない漬物を食べるとバンコクの日本料理店を思い出す。

わが味覚は塩か

 北大路魯山人(1883~1959)は、インタビュアーが「なにか美味しいものが食べたいのですが」と質問したのが気に障って、「腹を空かせればよろしい」と応じた。魯山人らしい痛烈な返事である。相手のレベルに応じた回答だともいえる。しかし、ちょっと寂しい。それでは食べることは単に飢えないためだという原点に行き着く。わたしは格別食において口福を追い求める気持ちはないが、凡人とはいえ人生を「くう・ねる・はたらく」だけにしたのではもったいない。日々の暮らしを少なくとも活気が出せるように心がけたいからだ。グルメがどうのこうのと御託を並べたくはないが、食べるという不可欠の活動において、小さくても喜びに出会いたい。五感だけが感覚ではない。味覚も酸・甘・辛・苦・鹹だけではなかろう。と思いつつ自分の味覚は突き詰めると鹹だけではないのかしらん。聖書には「地の塩」という言葉がある。精神を腐らせないための塩を求めているのかも。


◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人