月刊ライフビジョン | 家元登場

卓抜した古い医学 

奥井禮喜
やぶ医者

 比較的大きな某病院の体験である。目的地の診察室に入るまでの時間が1時間から1時間半必要であった。初診・再診の別はあまり関係がないようだ。もちろん、受診回数が少ないのでたまたまの可能性があるが、周囲の他の患者さんを見ても、ほとんど同じ様子である。わたしはもともと医療機関・医師が嫌いである。お助けいただくという期待よりも苦手意識が先行する。5歳前後だったと思うが、風邪で発熱し喉が痛い。母に連れられて町の医院へ行った。看護婦の体験がある母が、焼酎をしみこませた手ぬぐいを首に巻いてくれた。診察する医師が匂いを嗅いで、開口一番「もったいない」と抜かした。ムカッときた。冗談のつもりだったのだろうが、発熱と喉が痛くてふうふう言っている幼子ながら、心細さを忘れて、医師をにらみつけた。医師は「これなら大丈夫」とまた抜かす。名前など全然記憶がないが、後に知ったやぶ医者指定の第一号であった。

大丈夫か!

 呼び出しがあり、まずCTスキャンとX線撮影があり、それから小一時間待つ。ともかく、ようやく内科の先生の部屋に入ることができた。第一印象は頼りない。そういえば、昔と異なって、病院の大きな待合室も診察室もまったく消毒液の匂いがしない。あの匂いも苦手のひとつだったから、これは結構なのだが、なるほど消毒液が不要なはずで、先生は患者の脈を取らない。待合室で各自血圧計に腕を突っ込んで測定した。で、先生は写真を見て診断を下される。本人に対する質問が少ない。事前に体調などの質問票に記入したが、あれでは不十分じゃないか。他に質問はございませんかとも聞けないし。先生はパソコンに対面されて、キーを叩きつつ、合間に話される。患者を横に眺める。どうも話しにくい。で、ご託宣による治療薬は5種類、ドカンと出された。薬の説明も簡単なもので、薬局で購入したときの説明書で理解した。ただし、どんな反応が出るかはさっぱりわからない。

AI医師

 診察時間は5分以内。能率的というべきか。病院に入って退出するまでの時間はざっと3時間であった。ううむ。ちらちら話には聞くが、こんなものか。科学的医療であろうと、内科というのは、先生の問診が勝負ではないのだろうか。素人が考えるには、問診は、単に先生が聞きたいことを聞くというだけではなく、患者自身の主体的観察力を引き出すためのオリエンテーションでもある。問診=医師と患者のコミュニケーションであって、きざな表現をすれば、見えない相手に接近するための研究活動というべきだ。医師がAIを活用するというよりも、AIさまのご意見拝聴しているような奇妙な心地がした。さて、薬局へ出かけ薬を購入する。3日分なのだが、紙切れで見た印象のドカンどころか、ドッカーンというべしで、スーパーでそこそこ食品を購入して帰るときと同じ量感である。こりゃあ、健康保険の費用が高くなるはずだ。恐れ入った体験であった。

これが医者だ

 古代ギリシャにヒポクラテス(前460頃~前375頃)という医師がいた。医学の祖・医術の父といわれる。ソクラテス(前470~前399)とほぼ同じ時代である。当時は、たそがれ医者が幅を利かせていた。まじないを唱え、薬と称して生きたトカゲを患者の喉へ投じる手合いである。あるいは、実証性の乏しい説を唱える哲学者が多かった。患者から大金を巻き上げるのも少なくなかった。ヒポクラテスがめざしたのは、人助けの職人としての医師で、経験と検証に基づいた医術を提唱した。ヒポクラテスの言葉、「誰でも説明を聞くときは、自分自身に起こったことの想起を求められる。だから、もし(医師が)素人にわからせることができず、納得させられなければ的が外れていることになる」が、わたしは気に入っている。そして、「Ars loga,vita brevis」、人生は短いけれど、芸術は永遠である」という言葉は、どなたさまもご存知だろう。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人