月刊ライフビジョン | 家元登場

21世紀の国盗爺合戦

奥井禮喜
同床異夢

 2019年9月、「ウラジーミル、キミとボクは同じ未来を見ている」。安倍晋三氏の、まことにキザで、歯の浮くようなセリフである。ロシアは、2014年のクリミア半島併合で、G8から放逐され、さまざまの制裁を受けていた。たしかに言葉のすぐれたレトリックは、相手を感動させ、相携えて事をなそうという気持ちにさせる。おそらく、安倍氏はこれが自分の決め球だと考えただろう。27回も会談した。いわば、会談の仕上げを象徴するセリフである。本気でなければ、言葉が口から出る前に自分が恥じ入る。それから3年、プーチン氏によるウクライナ侵攻という未来を、安倍氏が共有していたとは考えられない。政治家は、役者みたいな面がある。プーチン氏は、原作・脚本・演出・主演のウクライナ侵攻に踏み切った。当時、すでに氏の脳裏には、脚本「ウクライナ侵攻」が存在していたはずだ。言いたくはないが、それにしても、役者の格が違い過ぎた。

違い過ぎた格

 1952年生まれのプーチン氏が、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を恐怖とともに、憎しみをもって見つめていたことは、こんにち白日のもとにさらされた。かつての首相閣下に失礼顧みず申し上げれば、プーチン氏の所業がまぶしい。日本国政権与党の最大派閥のカシラとして、とてもじゃないが、大きな顔はできない。安倍氏個人の収まりがよろしくないのは、格別どうこう言うことではない。問題は、数年にわたって、国民をその気にさせ(ただし、筆者は日ロ交渉の進展など全然信用していなかったが)、期待を煽っていた交渉において、まったく相手当事者の考え方を知らず、幼稚な自身の願望だけでうろちょろしていた。メディアもトンチンカンそのもの。NATOへの態度をみれば、わざわざ北方領土を返還して、米軍を駐留させるような大胆、いや野放図なサービスをするわけがない。遺憾ながら、メディアが、このような見識を披瀝した記事を見た記憶がない。

嘘の帝国vs闇討ちの帝王

 1942年生まれのバイデン氏は、まさか「同じ未来を見ている」なんてことは言わない。3月16日には、「プーチンは戦争犯罪人」と呼んだ。さすがに、歯切れがよろしい。ロシアは、領袖ではなく、大統領府が、「容認できず、許しがたい」と反論した。2月24日演説でプーチン氏は、「アメリカは嘘の帝国だ」と語った。ベトナムを見よ、アフガンを見よ、イラクを見よというわけだ。ただし、嘘の帝国と罵倒しておきながら、同じことをやるのだから、説得力がない。ウクライナ侵攻によって、嘘の帝国に劣らない。いずれ劣らずがっぷり四つで、戦争犯罪人のほうが、よりパンチ力がある。愚考するに、戦争自体が犯罪である。関係者は原則的にすべからく戦争犯罪人である。バイデン氏は、正確には、「戦争犯罪人の元締め」「戦争犯罪の主犯」と言うべきであった。いずれにしても、世界の政治家におかれて、戦争が犯罪だという認識をお持ちなのかどうか、どうも定かではない。

国の棟梁の格

 言い足りなかったので、バイデン氏は、プーチン氏が「殺人的な独裁者であり、根っからのチンピラ=thug(悪漢・殺し屋・盗人)」と、思いつく言葉を次々に発した。その10日後には、バイデン氏は「この男を権力の座に残してはいけない」と語った。ロシアは、「バイデンが決めることではない」と反論した。バイデン氏の直截的表現自体には、共感する人が多いだろうか。筆者は、バイデン氏の発言は、軽率・軽薄な人間性の所産だと思う。少しでも早い停戦で、破壊と殺戮を止めねばならないときに、これでは、もっと暴れろと挑発しているようなものだ。『オセロ』でいえば、プーチン・バイデン両氏ともに、オセロではなく、狂言回しのイアーゴが彷彿する。奸計や挑発は決して品位や熟考の所産ではない。

  国の頭領たるものは、オセロであっても、イアーゴであってはならない。シェークスピア(1564~1616)の作品が、ますます輝いて見える。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人