月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

今のままで良いのか最高裁裁判官の国民審査

おかぼん

 衆議院議員総選挙と同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われたが、これについて常々思うことがある。

 日本国憲法第79条第2項に「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」とあることから、この時期に今回11人のみが国民の審査に付されることは憲法改正をしない限り如何ともしがたいが、かといってこのままの制度でよいとは決して思われない。

 そもそもあの広報を読んで審査せよといわれてもどれだけの人が内容をよく理解して審査できるであろうか。就中11人中4人は、任命後日が浅く特記事項なしで、心構えや趣味など書かれてもこの内容では審査のしようがない。

 また他の7人も関与した裁判の書き方が統一されておらず、裁判官により意見の分かれる「一票格差」「夫婦別姓」についても、裁判官によってはその他の主要な裁判で一括りにされており理解に苦しむ。

 審査の方法も「何も書かなければ信任」という制度は非常に問題である。これは選挙管理委員会も問題だと思っているのか、広報に「投票したくない人は、投票用紙を受け取らないでください」「投票用紙を受け取った後でも、投票したくない人は、投票箱に入れずに係員に渡してください」と注意書きがなされている。意図せず何も書かずに投票箱に入れることにより信任したことになるからである。

 やはり信任するということであれば○印を付けるくらいの改善は必要であろう。過去の判例で、白票を罷免可としない票に数えても思想良心の自由に反しない、とあるが積極的に白票を信任と見なすことを推奨しているわけではない、からである。

 さらに、投票所では比例代表選挙の用紙と同時に手渡される。意識を高める上でもここは別々に投票する方法に改善すべきであろう。

 このままでは国民審査はますます形骸化し、内閣に都合のよいような裁判官が任命されてもそのチェックが働かず、大きな行政上の問題を司法で解決することは非常に難しく、大いに問題であるといえる。