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見事に「右へ倣う!」の国民性が怖い

おかぼん

 ときどき、この国の民主主義のレベルの低さに愕然とすることがある。しかも、その低さが昨今の金利ではないがマイナスになっているのではないかとさえ思われるのである。

 コロナ禍が長引き、労働者は大なり小なり打撃を受け、コロナで逆に好調な業界に身を置いていたとしても、労働環境が様変わりしている労働者は多いのではないだろうか。しかし、そのような状況下であっても、労働組合が積極的提案をして世論を動かすような動きは、少なくとも一介の労働組合員には全く感じられない。
 私は今月で40年近いサラリーマン生活に終止符を打つが、幸か不幸かストライキを経験したことがないし、そもそも組合役員の選挙が行われることがなかった。組合役員は常に信任投票であったし、春闘も上位団体の方針決定により円満に解決を見ていた。毎回不思議に思うのは、ギリギリの徹夜交渉をして漸く回答を引き出したと報告されながら、ストライキが全く行われないのはどうなっているのか、組合員を納得させるための出来合の春闘に思えるのである。

 何もこのようなことは組合に限った問題ではない。このコロナ禍で政府はいろいろ対策を打ってそれを国民に強いてくるが、これに対して大半の国民は見事に右へ倣えをするのが不思議で仕方がない。対策を打つために政府や自治体は法律や条例を作るが、その大半は厳格な強制ではなく単なる協力に過ぎない。しかし、◯◯警察のような輩が登場するのはニュースを見ての通りであるし、そもそもそのようなことがなくても、政府や自治体の方針には従うのである。

 緊急事態宣言が発令されれば、店が閉まり人も動かなくなった。しかし、ひとたび解除されると、その日を待っていたかのように店が開き人も動き始めた。そして、その後はたとえ感染者が増えようとも、国民はそれには反応を見せず、これまた政府の打ち出したGo to ◯◯に踊らされているのである。

 もっとも、そのような方針を出す政府や自治体の代表者が、自分たちの真剣に考えて投票して選出された人であるならまだ救いがある。しかしながら、事実は全くそうではない。有権者の半分も投票しない低い投票率が全国各地で長く続いているのは衆知の通りである。

 このようなことが続くと、ひとたび何かにとりつかれたような狂信的な指導者が出てきても歯止めが効かなくなる恐れがある。コロナ禍のような国難が長期化してくると、このような危険な指導者が出てくる恐れが強まる。まさか戦前に逆戻りすることはないと思うが。

 戦前の戦争への流れも、発端は昭和恐慌に始まる国民とりわけ農村の疲弊であった。コロナが早期に収束することを望む次第である。