月刊ライフビジョン | 家元登場

後ろ向きの推進力

奥井禮喜
扇動者たち

 ローウェンタールとグターマンの『煽動の技術』(1949)を読むと、第二次世界大戦以前と戦時中に、アメリカでもナチと酷似した、偏見に満ちた扇動者が各地で活躍していた。その柱は反ユダヤ主義である。彼らは定期刊行物を発行し、精力的に演説会を開催した。扇動者に共通する特徴は、経済的には反グローバル主義であり、政治的には反国際主義であり、思想的には反普遍主義である。さらに反民主主義であった。扇動者たちは、社会の不安や不満を指摘するのであるが、問題自体を解決するためにその原因を明確に追求するのではなく、誰かに責任を押し付けようとする。いわば社会的八つ当たりで、その対象にされたのがユダヤ人であった。演説の調子は激烈であるが、内容は矛盾だらけ、1つひとつの事例の出所など冷静に考えればまったく怪しい。しかし、それなりに多くの聴衆を集めた。ナチのような段階には至らなかったものの、社会的宣伝効果を上げたのは疑いない。

不安に火をつけろ

 共和党上院議員マッカーシー(1908~1957)は、目立たない議員の1人だったが、1950年2月9日にウェストバージニア州ウィ―リングにおける共和党婦人クラブでの演説をきっかけに一躍超有名人にのし上がった。(要旨)「国務省内の職員で共産党員・スパイ網の一味205人の名前を握っている。アチソン国務長官は知っているが、彼らは国務省の政策を立てている」という。直後にマッカーシーは、「205人の安全保障上の危険分子」と言い換えたが、以来54年12月に上院問責決議採択で失脚するまで、全米、いや世界中から注目される議員になった。47年3月、大統領トルーマン(民主党)が自由主義諸国に対して共産主義の脅威と闘おうと提唱して冷戦が開始した。マッカーシー演説後6月25日には朝鮮戦争が勃発した。しかし、演説の中身はまったくの虚偽・放言で、情報入手のルートも不明であった。にもかかわらず全米は大騒動になった。

恐怖心の遠心力

 扇動の特徴は、人々の「漠然たる恐怖」感に働きかける。共産主義は怖いものだと思い込んでいるが、それについてきちんと思索検討した人は少ない。とにかく怖い、とんでもないことになるというお化け屋敷的意識に働きかける。社会には常に少なからぬ問題があって、不平不満の気風がある。恐怖感と不平不満を結びつけるのが扇動者の得意技である。ところが建国以来、アメリカには反政府や反資本主義的な思想的伝統がない。極端にいうと、人々は思想的温室育ちなのであって、星条旗を見れば誰もが気分高揚するという傾向である。騙されやすいのである。軽口を叩けばおめでたい気質である。マッカーシーについてはいまだわからないことが多い。1つわかったような気がするのは、妙な表現になるが天真爛漫な扇動者であった。地位を獲得しようとか大儲けしてやろうとか、そんな気分が感じられない。いうならば愉快犯なのである。かくして全米が渦中にはまった。

反と汎

 アメリカはときどき奇妙なことをやって世界を驚かす国だが、マッカーシー騒動はその最たるものだ、というのが当時の見方であった。ところがどっこい、マッカーシー失脚60余年を経て、トランプが登場した。トランプ戦略の大宗はマッカーシー的煽動術である。しかも驚くべきは、トランプのレトリックはマッカーシーに比較すると、少し考えればおかしいのが直ぐにわかる程度であって、端から嘘やホラだとわかるものが圧倒的に多い。にもかかわらず人々は簡単に手玉に取られて、なおかついまも熱心なトランプ信者が少なくない。トランプ流は自身の利得を堂々と押し出している。人がいいのは美徳ではあるが、結果的に世界中が混沌状態に放り込まれた。トランプが去った後、人々はどんな教訓を獲得するだろうか。扇動者が飛んだり跳ねたりする社会は病気である。扇動者を生む社会の民主主義は機能不全である。なお、日本の扇動政治家は「芸」がないのである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人