月刊ライフビジョン | 家元登場

権力取扱説明書

奥井禮喜

■ 嘘は社会を壊す

 人間のタイプについて、まともな人間と、そうでない人間を考える。まとも=正常=ノーマル。まともでない=異常=アブノーマルと置く。オツムがよいとかよろしくないという区分は関係ない。社会的地位=肩書きも無関係。金持ちか貧乏人かも基準にしない。立派な服装をしているか、していないかも省く。仕事の種類、職位の上下、男か女か、子どもか大人か、ヤングかオールドかも埒外とする。要するに、正真正銘の裸一貫の人間として考えた場合に、どんな人間がノーマルで、あるいはアブノーマルであるか? 嘘をつく奴はアブノーマルである。嘘をつくと、他者に追及された場合、嘘が嘘でないという弁解を重ねる羽目にいたるから、なにからなにまで嘘で塗り固める始末になる。世の中に嘘が充ち溢れると人間同士の信頼感が根本から崩れるわけで、決定的に反社会的行為である。嘘と坊主の頭はゆったことがないという俗諺は大事にしなくてはならない。

■ 共感は社会をつなぐ

 アメリカの大金持ちが資産の99%を慈善事業に寄付した話があった。貧乏人は自分の懐具合をついつい考えてしまうから、すげえなあ、偉いなあと尊敬するのだけれど、残った1%が400億円もあると聞くと、なんだかバカバカしい。一方、貧しかった明治時代に、厳冬の季節、極貧の少女が裸足で草履をはいて元気に登校する。足袋をプレゼントするくらいはできる家柄の少年が、どうしたものかと悩み抜いた。親に相談すれば足袋を進呈できるけれども、それでは健気にがんばっている少女の心を傷つけるかもしれない。彼も足袋を履かないことにした。他人の苦しみをわがこととして同情し、共感して、さらに同じ行動をした。いまや、言葉の価値が深刻に問われなければならない状況にある。同情し、共感し、共に行動するからこそコミュニケーションが成立する。これは、ノーマルな人間の在り方の原点を示していると、わたしは痛切に感じている。

■ 嘘つきは徒党を組む

 嘘をつくことが悪いくらいは、出来損ないの政治家にもわかっている。それを平然と貫こうとするのは、小さいのから大きいのまで、いろいろさまざまの利権でつながっている仲間がいるからだ。類は友を呼ぶ。ノーマルはノーマルの、アブノーマルはアブノーマルの仲間を呼ぶ。仲間がいるから嘘をついても心細くならない。なんとかかんとか嘘でもなんでも事態を切り抜ければアブ仲間がヨイショで応援する。アブノーマル人間の1つの特徴は、自分を中心に、周囲の人を「味方と敵」に区分して対応する。味方にはサービスするが、片や敵と規定すれば、なにがなんでも敵を叩くことに狂奔する。敵を突破するためには理解を求めるとか説得するとか、回りくどい方法は取らない。なぜならノーマルな人を説得するためにはアブノーマルな視点では不可能だからである。かくして、アブノーマルな人間は、絶対にノーマルな人々の考え方には同調しない。最悪なのである。

■ 権力取扱説明書

 アブノーマルな人間は、自分がやりたいことを貫くために、ひたすら吶喊するのみである。たまたま、アブ人間が権力を掌握するとろくなことにはならない。まず、エリート意識で武装する。「わたしが考え、信ずることが絶対に正しい」という思考である。こうすれば、周囲の諫言は雑音か騒音とみなせる。「正しいわたしに刃向うのは間違っている」と考えれば、他者の高尚な話を理解する能力が欠落していても平気である。他者を説得するためのスピーチ能力が劣っていても一切気にする必要がない。自分がしたいこと・言いたいことをひたすら吶喊するのみで、理解しないのは相手が悪いという傲然たる気概である。かくして、アブ人間どもは、権力が使える限り使い尽くそうとして暴走する。「〇▲に刃物」を借用すれば「アブノーマル人間に権力」だ。誇り高く、愛国心ある人々はこんな連中を許さない。それがノーマルというものだ。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 
経営労働評論家
OnLineJournalライフビジョン発行人