月刊ライフビジョン | 家元登場

労演のファウスト

奥井禮喜
ライフワーク

 ゲーテ(1749~1832)は、『ファウスト』を1774年から1831年にわたって書いた。24歳から82歳まで58年間を投入した。ライフワークというにふさわしい。半世紀以上前の20代はじめに、大阪フェスティバルホールで俳優座の「ファウスト」公演があり、17時に仕事が終わるのを待ちかねて息せき切って会場へ行った。労演(勤労者演劇協議会)の主催だから全席自由席であるが、なにしろ会場に到着したのはぎりぎり開演間際なので、2階の一番後ろの席であった。ファウスト博士を演じたのは30代半ばの平幹二郎で、メフィストフェーレスが西村晃である。まったく予備知識なしで見たので、ワルプルギスの夜の場面で、だぶついた肉襦袢の俳優がどたどた走り回る印象と、西村晃の鋭く通る声に感心したくらいしか印象がない。原作を読んでみようとも思わず、すっかり忘れてしまった。岩波文庫で『ファウスト』を読んだのは、それから30年以上過ぎてからである。

神の言葉と人間の業

 奇妙なことに、メフィストフェーレスの台詞を読んだとき、西村晃の声が聞こえた。特徴ある声の印象がよほど強かったのだろう。もちろん、劇場で台詞の記憶などさっぱりないのだから、幻想にすぎないが、芝居を見ているつもりで読むのは都合がよろしい。ファウストが聖書をドイツ語に訳す場面がある。ファウストは、「はじめに言葉ありき」を「はじめに意味(こころ)ありき」として、気に入らない。次は「はじめに力ありき」とするが物足りない。そして「はじめに業(わざ)ありき」を思いついて納得する。これは、ヨハネによる福音書の冒頭、「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」を書き直したのである。聖書では、神の言葉に基づいて生きよとあるのだから、それを変えて納得するファウスト、つまりゲーテの精神は、欧州ルネサンス精神そのものである。このように書くには、ゲーテは相当考え、推敲したのではないだろうか。

初めに業ありき

 「はじめに業ありき」という言葉には強い吸引力がある。思い至ったのは、Kさんである。Kさんは町工場から転身して大企業へ入った技能者である。組立工として事業所内では知らぬ人がいないベテランである。ベテランといっても同じ仕事に熟練しているのとは違う。衛星通信大口径パラボラアンテナの受注・開発・納品という流れにある組立仕事なので、毎度新規開発されたモノに取り組む。新規開発する設計も大変なものだが、それを形にするには最後の段階の組立が勝負である。Kさんは途中入社なので、組合としては途中入社者の労働条件改善をつねに進めていたけれども、まだ十分ではない。2人でじっくり話しているとき、わたしは「賃金が安くてやる気がなくなるでしょう」と言った。しゃべった後でわたしは恥じ入った。プロ中のプロであるKさんになんと失礼な言葉をぶつけてしまったのか。しかし、飛び出した言葉は消すことができない。

不屈の生き方

 「これは、わしの仕事や」と、Kさんはこともなげに答えた。わたしの気配を察したらしく、「もちろん、賃金は欲しいよ」と言い足した。何度思い出しても冷や汗が出そうになる。わたしは、仕事は丁稚段階で、組合活動にのめり込んだ。当時はすでに組合活動家としての位置を固めていたが、「これは、わしの仕事や」と語られるかと問えば、まだ不十分である。Kさんの言葉は、その後のわたしの気骨を形成した。やがて東京で8年間、教育宣伝活動を柱として活動するのであるが、頭の片隅にいつもこの言葉が染みついていた。いつか、Kさんにお詫びとお礼を言いたいと思っているうちに、Kさんは定年よりだいぶ早く亡くなられた。「わしの仕事」と言い切る自負や誇りは、生き方における不屈の精神である。『ファウスト』を読んでKさんが鮮明に蘇った。古い思い出であるが、身近にファウストを感じたのは、わたしの記念碑の1つである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人