葬儀社という商売
わが家は商店街の中の仕舞屋(シモタヤ:商売をやめた家)だったことは前に書いたが、筆者が中学生のころ商家に復帰した。しかし、始めたのはもとの菓子屋ならぬ葬儀社だった。そのころ父がある事情で休...
人生とデモクラシーを考える、発信する since 2006.06.20
わが家は商店街の中の仕舞屋(シモタヤ:商売をやめた家)だったことは前に書いたが、筆者が中学生のころ商家に復帰した。しかし、始めたのはもとの菓子屋ならぬ葬儀社だった。そのころ父がある事情で休...
わが産土の社は横浜市神奈川区の熊野神社である。例大祭は8月の中旬で、暑い盛りの祭りの日には、真夏の太陽の下で神輿の飾りがまぶしく煌いて、それだけで祭りの興奮を引き出していた。昼には山車と神...
子どものころ、夏の土曜日の暑い夜は、ことさら心躍るひと時だった。わが住む商店街の通りに、市電の終点から次の停留所あたりまでの300㍍ほどにわたって、車道と歩道の境目にまたがって夜店が軒を連...
遊びは子どもにとって生きることの土台であり、子どもらしい子どもになるための必須のカリキュラムである。その点では今の子どもも昔の子どもも変わりはしない。しかし、決定的な違いは、昔の子どもは戸...
横浜市は現在、人口370万人、市としては大阪(270万人)をはるかに抜いて全国一のマンモス都市である。しかし、筆者が小学校で習っていまだに覚えている数字は人口95万人、大阪はもとより、名古...
筆者の生まれ故郷である横浜市神奈川区の商店街へ久しぶりに行って見た。東横線の駅と道路と街区の構造は、子どものころと少しも変わらないが、街並みは70年の時を経て一新したのは言うまでもない。昔...
この連載も丸3年書かせていただいている。わが住むまちのあれこれの話題を、たいした脈絡もなく書き綴ってきたが、ここで視線を過去に向けて、地域に生きた自分史をしばらく振り返ってみたいと思う。生...
いつもは行政や議会の「お客さん」でしかない地域住民が、4年に一度、それも1週間だけ「まちの主人公」として市長・市議候補から「お願いしま~す」と平身低頭してもらえる選挙の季節がやってきた。昨...
わが住む町田市が公共施設再編計画なるものを進めていて、それに対して「まちだ未来の会」という市民グループが結成されて批判を展開していることは再三述べた。2月にはいよいよ市長選・市議選がある。...
年末のクリスマスが終われば煤払いをしてお寺の除夜の鐘を聴き、明けましたら産土の神社へ初詣―われわれの年のけじめはキリスト教から仏教、神道へといともスムースに流れていく。いかにも「いい加減...
我がマンションの隣りに住むおばあちゃんが亡くなった。一人暮らしの90歳。とはいっても天涯孤独というのではなく、すぐ近くに息子さん夫婦が住んでいて、ときどき覗きに来ていた。しかし、あえて同居...
毎月一度、隣り町の句会に出かける。一昨年の秋から始めたのでちょうど2年になる。宗匠は佛渕(ホトケブチ)雀羅師である。この俳号は「門前雀羅を張る」という句から取られていて、家の前に雀を捕ま...