月刊ライフビジョン | 地域を生きる

お隣りさんの死

薗田碩哉

 我がマンションの隣りに住むおばあちゃんが亡くなった。一人暮らしの90歳。とはいっても天涯孤独というのではなく、すぐ近くに息子さん夫婦が住んでいて、ときどき覗きに来ていた。しかし、あえて同居はせず、近所の生涯学習施設で華道を習ったりしながら気ままに暮らしていた。近年、足が悪くなって週2度ヘルパーさんの手助けを受け、デイサービスにも通っていたが、いよいよ最期に半月ほど入院するまで一人暮らしを貫いた。

 我が家とは10年来のお付き合いである。隣りだから顔を合わせれば挨拶はしていたが、親しくなったのはマンションの餅つき(私はレクリエーション係でいつも世話役)に出て来てくれたことによる。この欄でも書いたように、レクリエーション行事に参加してくれるのは住民の2,3割で、高齢者もたくさん住んでいる割に参加は多くない。その中で餅つきでも納涼会でも七夕でもクリスマスでも、必ず参加して楽しそうにみんなとおしゃべりしてくれる貴重な存在だった。お酒もしっかり飲んでもらえたし、ゲームにも喜んで参加してくれた。子どもたちを集めた絵本読み聞かせの会でも常連だった。

 90歳に近づいたころから足が弱くなり、耳も遠くなって、イベントに欠席することが多くなった。秋も深まり、このところ見かけないなあと思ったら、なんと亡くなられていたのだった。管理人が気付いて教えてくれたので分かったのだが、近所には知らせず、すでに家族葬を済ませてしまったのだという。せめて隣近所ぐらいは最後のご挨拶をしたいと思っていたら、ちょうど息子の嫁さんに出会ったので、頼んでおばあちゃんの部屋に入れてもらい、仏壇に飾ってある遺影の前にお線香をあげることができた。見慣れたおばあちゃんは院号付きの立派な戒名をもらって、写真の中で微笑んでいた。息子さん夫婦としばらく思い出話に花を咲かせた。

 筆者が子ども時代を過ごした横浜の下町では、住人の死はもちろん、お嫁さんがやってきたことも赤ちゃんが生まれたことも、その家だけの私事ではなく地域全体の重要なイベントだった。花嫁さんは花嫁衣装に角隠しを付けて向こう三軒両隣を回って歩いた。子どもたちは興味津津、仲人に手を取られた花嫁さんの後ろをぞろぞろ付いていったものである。赤ん坊の誕生は地域みんなの祝い事だったし、どこかの家で亡くなった人が出れば、隣り近所が総出でその家に出向き、通夜と葬式の手配、弔問客のための料理の準備、お寺への連絡まで分担して行って、遺族にはゆっくりと故人との別れ惜しむ時間を作ってあげたものだ。

 人の生き死に、冠婚葬祭が地域の公事であるのは農村社会では当たり前のことだったが、都市でも昭和時代ぐらいまでは、その伝統が引きつがれていた。しかし、地域のきずなが失われた今日、人はもはや「地域で」死ぬことが難しくなった。特に長寿の方々は、周りの知り合いも死に絶えて家族以外は看取る人もいなくなってしまう。死ぬ時ぐらいはせめて家族ばかりでなく、友達やご近所さんに囲まれた賑やかな葬式をやってほしいと思うのだが。それにはあんまり長生きはしない方がいいのかもしれない。

【街のイベント帖33】 脱穀と籾摺り

 例年のごとく、里山田んぼで取れた稲束を脱穀、籾摺りを行った。参加したあるファミリーは、子どもたちはもちろん、若い両親も全く初めての体験で、一日だけの『農民』を家族そろって楽しんでくれた。今年の収穫は籾で90キロ、天候不順の割にはまずまずの出来。