くらす発見

自分を投企する

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 わたしが人生設計を論ずるようになったのは、26歳で、いま回顧してもなんだか気恥ずかしい。

 中高年世代の人たちが、子育てや、住宅ローンに相当な費用がかかり、そろそろ年功序列賃金体系の「恩恵」に与れそうな年配になってもどうも様子がちがう。おまけに、この道一筋の技能者生活をよすがとしてきたのに、この歳になって直接的労働から間接的労働の部門へ転勤させられたりする。

 先輩から伝えられた伝統的生き方をしていたが、それでは理解しにくい状況にぶつかった。上から言われることに従順にやっておけばまちがいないはずであったのに、会社には、これからは自律的にやってもらいたいと言われる。会社は親も同然、従業員は子どもも同然、会社一家主義こそ絶対だと信じ込んできたのだから違和感を禁じ得ない。

 中高年者といえば、青春時代を赤紙で徴集されて兵士として戦地で過ごし、九死に一生を得てなんとか帰還できた人が少なくなかった。彼らの社会通念は、権力権威に絶対的忠誠を尽くすことこそ正しい生き方である。敗戦までは、軍国青少年教育を叩きこまれ、戦地においては、上官の命令一下、いつでも命を捨てる気持ちでなければとても生き残れない。

 自分の頭で考えるのは命令指示された事柄に関して、いかに要領よくかつ気配りのできる行動ができるかであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 そのセンスで敗戦後も、こんどは産業戦士! として大活躍した。1950年代半ばから20年間の高度経済成長は、自分たちが作ってきたと自他共に認めている。その歯車が狂った。これからは、自分のことは自分でやれと言われる。もちろん、いままで自分のことは自分でやってきた自負は誰にもある。だから、本人としてはなおさら調子が狂う。

 わたしは、敗戦前年に生まれ、子ども時代から民主主義でやってきているから、先輩たちの苦悩を簡単に理解したとはいえないが、戦前の偏狭な軍国教育と戦後の民主主義が180度違うくらいはわかる。もちろん、先輩たちも理屈ではわかっている。そうではあるが、骨の髄まで精神肉体双方に叩き込まれた慣性が容易に変えられない。これは大変な事態である。

 人間は環境の動物である。人間行動は、主体と状況の関数であるー―という理論が大きく見えてきた。好ましかろうと、嫌だろうと、人間は環境・状況のなかに放り込まれている。そこからいかに出発するか。それは、煮詰めれば自分自身の問題である。

 ともすれば、人(意識)は環境・状況に埋没してしまいやすい。もともと、なにをしなさいと目的を用意されて生を享けたのではない。気がつけばある環境・状況の真っただ中に投企されている。正しくは、放り出されている。かつてモンゴルの砂漠に佇んだことがある。あの茫漠、殺伐、乾ききった大地を見つめているとき、あ、これが放り出されたってことだと思った。

 放り出された=被投企された現実から、こんどは自分が将来に向けて自身を投企しなくちゃならない。これが、私流人生設計論の柱だ。だから、人生には、健康・経済・生きがいが必要ですなどと、上滑りの御託を並べる怪しい講師連中をみるといつも腹が立った。もちろん、いまもである。