月刊ライフビジョン | 論 壇

賃金交渉の取り組みを再生しよう

奥井禮喜

組合役員と組合員の関係

 いまの組合役員は、まじめで優秀な人が多い。わたしが組合役員になった半世紀前には、いまの「まじめ・優秀」規格からは逸脱している人が少なくなかったが、自分から手を挙げて組合役員選挙に立候補した。組合役員になる人には、一種の熱気が備わっていた。

 熱気が嫌われたか、組合役員に「なりたい人」よりも、「ならせたい人」を選ぼうというような発言がしばしば聞かれた。いまは、大方は「ならせたい人」ばかりであろう。「ならせたい人」に組合役員をやってもらっているのに、選んだ側がそっぽを向いている(ように見える)。

 いまの組合役員の大方は、自分から組合役員として活動したいと考えていなかったであろう。おそらく、先輩か仲間から勧誘され懇請されて組合役員に就任したケースが多いであろう。もともとやりたくもなくて、役に就いたのだから、組合活動に対する理解や抱負が十分とはいいがたい。しかし、まじめであって、やるからには役割を果たさなければならないから、前任者がやった活動を踏襲する。

 前任の組合役員がこつこつ細々やっていた活動(あまり盛況ではない)を繰り返しているのであって、人が代わっても組合活動は変わらない。相変わらず「ならせたい人」にやらせて、選んだ側=組合員はそっぽを向いているという事情が続いている。

 組合活動に対する人々の錯覚・誤謬は、組合役員がおこなっている活動が組合活動だと信じ込んでいることにある。もちろん、組合役員がおこなう活動は組合活動にはちがいないが、その中身を見れば、組合機関の活動がほとんどである。組合活動の本尊は、組合員が参加している状態でなければならない。

 最近、元気な女性が手を挙げて参議院議員に立候補した。それを組合の仲間が全面的に応援して当選させた。これである。わたしがやりたいことを皆に共感してもらって、皆で活動して達成する。組合とは、合体ロボなのである。

 半世紀前賃上げ交渉のための段取りをし、要求案を作成するのは組合役員の仕事であった。賃金実態を掌握するために、組合は組合員全員に昇給調査をおこない、各人の賃金を算出して、要求案作成の資料にした。これらはすべて手計算であった。要求案を作成するについては、組合員の意見を聞かなければならない。組合員アンケートや職場討議を通じて、いくら欲しいかを調べる。これまたすべて手計算である。

 当然ながら、組合員各人は、自分がいくら欲しいのかを考える。昨今の賃上げ交渉を眺めてみると、組合員自身が要求している数字がまったく表面化しない。連合が指標を決めて、産別に下ろし、産別から単組に下ろすという流れだけにしか見えない。もちろん、連合が天下の情勢を考えて、全体の賃上げ指標を提供するのは大事であるが、それだけでは組合員の出番がない。出番がないのに組合員が賃金交渉に関心を持つわけがない。

 連合が翌年の賃上げのために今年10月に指標を出す。それはそれとして、各単組において、組合員全員が自分の賃金を確認し、いくら欲しいかを調査して、それを基にして要求案を作り、単組の機関で検討する必要がある。そうでなければ連合春闘ではあっても単組春闘にはならない。そもそも、連合春闘とは単組春闘の総合でなければならない。

春闘の始まり

 敗戦後の生活はとても苦しかった。とにかく人々は空腹をこらえて働いていた。なにがなんでもきちんと「ごはんが食べられるようにしてほしい」という切なる願いである。1946年から日本全国に組合が結成されたが、とりわけ賃金要求が切実であった。組合結成しても問題解決が円滑に進むわけではない。賃上げを要求していくばくかを獲得しても、超物価上昇であるから、すぐに元の木阿弥状態になる。極端にいえば1年中賃上げ交渉をしているような事情であった。いまのように、賃金と一時金だけではない、年末には越年資金をよこせ、モチ代をよこせというような調子であった。

 飢餓そのものがなんとか克服できるようになった1955年、総評副議長・太田薫(1912~1998)提唱で8単産共闘(炭労・合化・私鉄・電産・紙パ・全金・電機)によって春闘が開始した。

 翌56年には、総評・中立労連による春闘共闘委員会(400万人)が立ち上がった。1月安房鴨川町で、全国規模の賃金討論集会を開催した。主催者は、せいぜい200人も集まるかと踏んでいたが、参加者がうなぎ上りに増えて1000人を超えた。海水浴中心の民宿がほとんどの安房鴨川である。参加者はぎゅうぎゅう詰めの大騒動になった。主催者の読みは大外れ。討論会場に熱気があふれ、討論集会は大当たりであった。

 初めての官民統一闘争では290万人が参加、7波におよぶ実力行使も展開されて、賃上げ平均1063円・6.3%を獲得する大きな成果を上げた。春闘の出だしはナショナルセンター役員が想像した以上の組合員の強い期待で盛り上がり、全国各組合では始めからお終いまで熱い討論が積み重ねられた。

 交渉をするのは組合役員である。組合役員を押し立てるのは組合員である。この感動的な出発が春闘と呼ばれ、外電でもスプリングストラグル(春の嵐)と呼ばれ、以来、日本的労働運動の柱として成長した。1960年代に入ると、春闘の合言葉は「ヨーロッパ並みの賃金」である。日本経済の高度成長もあり、70年代いっぱいまで、春闘は組合活動の大黒柱として成長持続した。

 この間の春闘の特徴は、単に、「賃金を上げろ」という団体行動に留まらず、賃金理論の学習を職場段階まで拡大展開したのである。経営側と労働側の関係において、労働者が圧倒的に多いのは当然である。

 しかし、数字を駆使して「支払おうにもない袖は振れない」という経営側の論陣を突破するのは容易ではない。交渉が煮詰まって膠着状態になり、では、ストライキに訴えるという地点になると、組合員の中から「会社といえば親も同然、従業員といえば子も同然、子どもが親に向かって弓引くのか」という議論も起こった。経営側も職制を通じ、経営の厳しさを執拗に喧伝する。単純に、「出せ」「出せない」の論議を繰り返しても解決できない。

 組合内部において、「賃金とは何か」「なぜ賃上げが必要か」について理論武装しなければならない。それが一部の活動家段階に留まっている限り、本当の力は出ない。

 敗戦後、日本はデモクラシー国家になった。それまでは、労働者は会社で「働かせていただく」のである。粉骨砕身、ひたすら働けば経営者の眼鏡にかなって厚遇していただける。賃金を要求するなど身分不相応というのが社会通念であった。つまり、労使対等論は存在しない。会社の経営は経営者の専権である。賃金決定も重大な経営権であるから、賃金決定に労働者が介入するものではないという考え方であった。これが戦後の労働運動によって大きく変わった。賃金を労使対等に議論して決定することになった。

賃金論「賃金とは何か」

 粗雑に考えれば、儲からなければ賃金は支払えない。会社にとっては利潤拡大こそがすべてである。経営上必要な経費(利潤も含む)を差し引いた残りが賃金だというのが経営側の考え方であった。そして、この考え方はいかにも妥当に聞こえる。しかし、この考え方を前提とするならば、労働者は賃金要求など一切できない。極論すれば、儲からなければ食べられなくても我慢するしかない。こんな理屈は成り立たない。

 だから賃金論で第一に抑えておくべきは、「賃金とは何か」である。

 ここに100円の商品がある。そのコスト構成は、生産手段・材料が60円、賃金を20円、利潤を20円と置く。20円で働く労働者が100円の商品を生産する。賃金の20円と利潤の20円を合わせた40円が労働の成果である。だから労働に見合った賃金というが、労働に見合った賃金であれば40円もらうのが当然であるが賃金は20円である。

 つまり、賃金は労働分ではないことになる。そこで、これは、生産手段・材料費などと同様に事前に経営が購入したもの=「労働力」と名づけた。

 賃金と交換される労働力は、いわば八百屋が大根1本100円と値付けして売るのと同じである。八百屋が大根に値段をつけずに、客の言い値で売ることはない。自分の労働力の価格をいくらにするかは、労働者自身が決定するのが当たり前である。このように考えれば、全体指標としては連合が数値をはじき出すとしても、個別労働者が自分の労働力の価格を考えないのでは意味がない。

 労働者が会社と雇用契約を結ぶ。そのもっとも基本的条件となるのが賃金である。本来は、労働者各人が、自分の労働力は時間当たり○○円であると、要求するのが筋道であるが、それを言う元気があっても、会社対労働者個人の関係においては圧倒的な力関係の違いがある。

 商品売買においては、売り手と買い手の価格が一致するから商談成立する。しかし、雇用契約という取引に関しては、買い手(会社)と売り手(労働者)の力関係が非対等である。会社が労働者の言い値を飲まないからといって、「では、売らない」という立場にはない。だから労働者は組合を作って、団体として労使対等の前提のもとに賃金交渉をするのである。

 組合がまとめて賃金交渉をするのであるが、その要求が組合員と無関係に決定されるのであれば組合員自身の賃金交渉にならない。いまの賃金交渉が経営側と組合役員だけの交渉になっているから、組合員の関心が低いのである。賃金交渉の中身をきちんと作り上げるためには、まず、組合員が自分の賃金が自分にふさわしいものかどうかを考えなければならない。

 賃金を1時間当たりで考えてみる。働かない自由な自分の1時間はいくらであろうか。仮にそれが2000円(これは現実には安すぎるであろうが、たとえばの数字)だとして、自分のいまの賃金がそれ以下であれば、大出血サービスをして働いているわけだ。残業がなければ生活できないというのが、まさにその事態である。残業で必要な生活費を稼いだつもりであっても、それは、残業時間分の自分の時間を失っている。

 組合員各人の労働力の価格をいくらにするか。組合役員がマスで計算することはできるが、自分の労働力の価格を労働者自身が考えないのであれば、自分の賃金交渉にはなりえない。そもそも組合員各人が自分にとって必要な賃金価格を考えないというのであれば、厳しい言い方になるが、自分の人生を考えてないのと同じである。

 誰もが、このような生活をしたいという考えを持っているであろう。その生活をするために、いま賃金の具合がどうなのか。これを労働力の再生産費と呼ぶ。おおざっぱにみて、本人の生活費や、家族の生活費、さらには変化する時代において日々研鑽しなければならないから、文化的教育費も必要であろう。労働力の再生産費が不十分な社会では労働者が生活していけないから、社会が成立しなくなる。いまがそのような事態の入り口でなければ幸いである。

 賃金交渉が組合役員の裁量だけに委ねられている状況では、賃上げ交渉が盛り上がらないというだけではなく、社会の活力も出ない。

 歴史を回顧すると、賃金交渉が溌剌としていた時代の日本社会・経済は活発であった。たまたまそうであったと決めつけるべきではない。組合員各人が自分の生活を立ち止まって考える機会を確保していた時代と、そうでない時代は社会の活力に大きな違いがあると考えるべきである。

 戦後デモクラシー社会になったおかげで、労働者は、賃金決定という大きな経営参加を作り出した。これが労働者の社会的地位向上の基盤を形成しているのは間違いない。いまの賃金は、先人たちが営々として積み重ねてきた土台の上にある。適当に他人にお任せしていたのではない。つねに、その土台を踏みしめてきちんと固めていく努力をしなければ、確実に後世代が困惑する事態を招く。2020年賃金交渉に向けて、いまから職場で賃金交渉の取り組みを始めよう。

 その出発点は「わたしの時間当たり賃金はいくらか」ということから始めてもよろしい。週40時間労働で、残業をしなくてもよいためには、時間当たり賃金がいくらを考えてみよう。もちろん、もらいすぎているという判断ができるのであれば、おおいに結構である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人