月刊ライフビジョン | 地域を生きる

放課後の子どもたち その2

薗田碩哉

 小中学校から高校まで、学校が新聞ダネになるのは決まっていじめや暴力を巡る事件である。それもそのはず文部科学省の調査によると、昨年度のいじめの認知件数は54万3933件で、前年度に比べて約13万件、30%も増えたという。小学校は全国に約2万校、中学校1万校、高等学校5千校だから、1学校あたり毎年16回、月に1.3回のいじめが認知されているのである。いじめはほとんど日常茶飯事になってきていると言えるだろう。

 最近は教室でのいじめに加えて教員室でもいじめが行われていることがはしなくも露呈した。それも同僚の先生を羽交い絞めにして無理やり激辛のカレーを口に押し込むというのだから生徒も顔負け、さすが先生はやることが徹底していると感心させられた。「いじめの学校の先生は、ムチを振り振りチイパッパ」・・・そんな替え歌でも歌いたくなるような事態が学校現場に広がっているらしい。

 いじめは個人の資質によって起きるのではなく、集団の体質によって起きる。抑圧的な集団はかならずと言っていいくらいいじめを生む。組織の上からの心理的な圧迫が弱い所への「うっぷん晴らし」として集中するからである。その典型が軍隊である。旧日本軍の二等兵への過酷ないじめの日常化は多くの人の証言する所だが、現自衛隊も決していじめと無縁ではないようだ。刑務所は江戸時代の牢屋、明治以降の監獄の伝統を受け継いで、いじめの巣窟のようだし、相も変らぬ運動部のいじめと暴力も、部活動の抑圧的な体質を語って余すところがない。学校にいじめが蔓延しているというのは学校が軍隊並み、刑務所並みの抑圧装置になっているからではないのだろうか。

 子どもに「放課後を取り戻す」ことの意味は、子どもたちを学校の抑圧から解放するということにある。戦後の一時期、学校は子どもにとってもっと自由な場所だったのだが、近年の新自由主義に毒された教育政策は、子どもに対してますます抑圧的になってきた。何しろ文部大臣が日本帝国主義の亡霊のような教育勅語を信奉しているというのだから推して知るべし。この大臣の下では昭和26年に日本国憲法の精神に基づいて定められた「児童憲章」の、「児童は、人として尊ばれる。/児童は、社会の一員として重んぜられる。/児童は、よい環境の中で育てられる。」という崇高な文言など、馬の耳に念仏で、児童は余計なことは考えずお国のために奉仕せよ、ということになるのだろう。

 前回書いたように、親たちも子どもに自由を!ではなくて、わが子に他者に負けない文化資本を身につけさせるべく、塾だお稽古だスポーツクラブだと身の丈に合った投資に余念がない。「放課後教室」は、どちらかと言えばそうした機会に恵まれない子どもたちへの救済策のように位置づけられていることも前回述べた。だからと言って地域のボランティアがスポーツや文化活動や補習や学習指導のようなプログラムを持ち込んで、子どもの意向も聞かずに押し付けるのでは、「放課後」が放課後ではなくなってしまう。

 放課後は何よりも子どもの自由と主体性を尊重することが出発点となるべきである。1989年に国連総会で採択され、日本も94年に批准している「子どもの権利条約」の第31条」にはこうある。「締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。」―放課後教室は、この考え方を土台にして、子どもの休息と遊びと文化創造の場所にしたいものだと思う。(以下次号)

「地域に生きる」56

 刈り取った稲を脱穀する子どもたち  

 さんさんくらぶの田んぼファミリーの子どもたちが、刈り取った稲束を脱穀機にかけている。だれもが脇目もふらずに作業に打ち込んだ。みんな真剣でかつ楽しそうだった。今年は7月の長雨がたたった大凶作で、収穫は昨年の3分の1に激減してしまったが。


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。