月刊ライフビジョン | off Duty

8年目の気仙沼・ルポ

曽野緋暮子

 震災後8年目、半年ぶりの気仙沼。行くといつも訪ねる商店街がある。気仙沼大島行のフェリー乗り場の近くある。今年4月7日、気仙沼大島と本土を結ぶ鶴亀大橋が開通したことに伴ってフェリーが、気仙沼湾内の観光船としては残るものの生活の足としての定期便は廃止となった。加えて橋が架けられた場所がこの港ではないので、人の流れが変わった。

 長い期間をかけて嵩上げした港の真ん前に新たな複合商業施設がオープンした。その隣に公共施設もできた。この建物と馴染みの商店街の間に今また、料理学校や新たな飲食街が建設中と、そんなこんなで何本かの道路が工事中。こんな通行規制の中でお店やってるのかと思いつつ、誘導に従ってグルグル回って、目的の商店街にたどり着いた。

 「みなとまつりまでには工事が終わるって聞いていたのに、終わらなくって困っているのよ、気仙沼の観光客は夏場がメインだからねぇ」「こんなだからお店やっていないと思っちゃうお客さんもいてね」「お店も増えて、どうなるんだろうね。」と女性店主がこぼす。とは言えこの商店街は、観光客相手だけではない。昔ながらの地元の個人商店の強みに加えてファミリー向けのイベントをする等で頑張っている。

 震災後、初めて気仙沼に行った時に目にした延々と広がる土地には次々と、商業施設、ホテル、住宅が建っている。街が再編成されている感じだ。あちらこちらの町内の小さな公園から仮設住宅が取り壊されて、公園が公園として再生されつつある。今まで外遊びをする場所がなかった子ども達が走り回れる日も近そうだ。学校の校庭にあった仮設住宅も撤去され、運動場のある、当たり前の学校に戻ってきている。

 橋の架け替え工事や道路の拡幅工事も次々と始まっていた。この影響で取り壊された建物も随分あるようで、見通しのきく景色に変わってきている。

 氾濫した川の土手を補強するという話で数年前、川沿いの桜並木が伐採された。桜の季節だけでなく住民の散歩コース、通勤通学路だった。今はコンクリートの頑丈な堤に変貌しつつある。周辺の道路は通行止めになっていて、まだまだ復興途上の様相だ。

 気仙沼は多くの漁船が出入りする港町だ。水揚げ後の漁師さん達には朝から入れる銭湯が必須らしい。もともとあった銭湯は震災の影響で廃業した。全国の漁師さんからも「気仙沼にも銭湯がほしい。」と要望があった。そこで三人の女性が立ち上がり、クラウドファンディングで資金を集めて今夏、「鶴亀の湯」というお風呂屋さんと定食屋さんをオープンした。気仙沼魚市場の真ん前にある「みしおね横丁」というトレーラーハウスの飲食店の一角にある。全国ニュースで見て行ってみたいと思っていたが、日程が調整できたので土曜日の朝7時頃、魚市場を見学後トレーラーハウスに向かった。

 水産加工に携わる外国人が多いこともあり、飲食店は国際色豊かな様相だ。私は「朝湯」したのでは動けなくなりそうなので銭湯は見るだけにして、定食屋さんで朝食を摂ることにした。小雨にも関わらず観光客が並んでいた。カウンターだけの小さなお店だが、元気なおかみさん達の声に迎えられた。ご飯、味噌汁はセルフ。早朝からビールを飲んでいる漁師さんらしき人もいる。私は気仙沼ならではのメカジキの煮つけを頼んだ。思ったよりデカくて完食するにはちょっと苦戦した。朝6時からのオープンにもかかわらず予想以上の来客のようで、ご飯が間に合わなくなった。するとおかみさんが、お待たせして申し訳ないとまぐろの卵の煮つけをお客さん全員に振る舞った。「港のおかみさん」の気風が楽しかった。

 まだまだ復興途上の気仙沼、大変なことも新しいこともいっぱいありそうで目が離せない。