月刊ライフビジョン | 地域を生きる

平成とともに消えたジャズ喫茶と古書店

薗田碩哉

 大連休前のある日、町田駅前のファッションビルの一角にある喫茶店に立ち寄った。NOISEという看板を潜って穴倉のような薄暗い店内に入ると、目の前に大きなピアノが鎮座し、コーヒーのいい香りが漂っている。私の世代には懐かしいジャズ喫茶で、ゆったりした低い椅子に身を沈めると、慌しい時間の流れがスローダウンして一時の平和を楽しめる場所である。

 この店の存在を知って以来、何度も訪れて一人思いに沈んだり、友人とランチを食べたりもしてきたのだが、この日は心穏やかではなくなった。入り口に「5月6日、連休明けで閉店」と書いてあったからである。店員に聞いてみると最近は客が減ってやって行けなくなったのだという。そもそもこの店の来歴は、下北沢でちょっと知られたジャズ喫茶があり、その2号店として1980年に町田にオープンしたので、そろそろ40年にもなる老舗である。その当時は、周囲のファッション店とも溶け合って人気のスポットだったらしいが、時は移り世も変わり、当時のままに1軒だけ残ったNOISEは、制服姿のギャルたちが闊歩する最近のこのフロアの中では、いかにも時代に取り残された感じがしていた。

 それが我々にはたまらない魅力だったわけだが、中高年層相手の渋い商売で駅前ビルの高家賃を払っていくのはもはや限界だという。何とかできないものかと聞いたら、有志が集まってクラウドファンディングを仕掛けたところ、そこそこの資金が集まり、移転しての再開を模索しているという。「がんばってください」とレジ嬢に伝えて店を出たのだが、町の名物が平成とともに姿を消すのがいかにも寂しく感じられた。

 連休明けて、令和の馬鹿騒ぎも一段落という時、さらに衝撃的なニュースが友人からもたらされた。「高原書店がつぶれたらしい」というのである。高原書店というのは、古本屋通いが趣味の東京人なら大抵は知っている名物古書店で、4階建てビルには古今東西の古本が通路にまであふれ、一度入ったらカバンが一杯になるまで本を買ってしまうという魔窟である。1974年に町田で最初の古本屋としてスタートして次第に発展し、神田や高田馬場に軒を並べる古本屋にも引けを取らない総合古書店として愛されてきた。

 市役所にほど近く、筆者などは役所に出かけた帰りには必ず立ち寄ってなにがしかの掘り出し物を探すのが常だった。遠藤周作や八木義徳など、町田ゆかりの作家とも交流があり、『まほろ駅前多田便利軒』を書いた三浦しをんさんは、大学を出た後、この店でアルバイトをしていたそうだ。因みに「まほろ駅」とは町田駅がモデルになっていて、この作品が映画化された時には、すべてのロケが町田駅周辺や町田市内で撮影されたのだった。

 「町田の文化と言えば高原書店」というぐらいのファンだった筆者がどれほど落胆したかはご想像に任せるが、使っていたポイントカードがもう少しで満杯になって1000円券になるはずだったし、5月末の団地の商店街のバザーで仲間と古本屋をやることにして高原書店にクズ本の提供をお願いに行くはずだったし、少しお金がたまったので2階の専門書コーナーにある言語学の高い本を購入しようとも思っていたし…それらがみんなフイになってしまった。それよりも何よりも、このユニークな古本屋一軒を支えきれなかった町田市民の文化的不甲斐なさに腹が立っている。

 雰囲気のいいジャズ喫茶や世界の知恵が詰まった古本屋は、人間味にあふれた街をつくって行くために欠かせない文化装置だと思う。もちろんカフェに行きたければスタバもドトールもあり、古本がほしければブックオフもある。従来型にこだわるのは年寄りの感傷にすぎないかもしれない。町田にも本棚が周りを囲んでいる喫茶店で、しかも2階の小部屋に泊まり込んで本を読んだり音楽を聴いたりできるなんていうサービスを打ち出したところがある。昔風の仲見世の飲み屋街の迷路の奥に、若い人が日曜日だけやっている小さな古本屋があり、これがなかなか凝った本揃えで楽しめる。こうした新たな動きに期待して今日も街をうろついている。

【地域に生きる50】

 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。