月刊ライフビジョン | off Duty

前向きに生きる

曽野緋暮子

 昨秋、元職後輩のY子から久々のLINE。乳癌が見つかったんですよ。それもステージⅢB。毎年の健康診断でマンモグラフィ検査を受けていたんですけど。

 いや~、40代後半の独身女性に返す言葉が見つからない。「病気の中で今は癌の治療技術が一番進歩しているから大丈夫だよ。」とあまり意味のない言葉を返した。

 何度か検査を受けたが、抗がん剤治療後乳房切除と決まったと連絡があった。「抗がん剤受けるとツルッパゲになるので今からウイッグを何種類か用意します。」とY子。私の友人で乳癌の人もリンパ癌の人も、髪は抜けなかった。「皆がツルッパゲになる訳ではないみたいよ。」と言うと「完全に髪は抜けますと主治医に断言されたんです。」とY子。

 何回目かの治療後のある日、ランチの誘いを受けた。全く違和感のないウイッグ、ちょっと大きめのメガネ。相変わらずオシャレに決めている。元気そうでちょっと安心。「曽野さん、髪だけではなくまつ毛も抜けるらしいので、ツケまつ毛を付ける練習してます。今は練習中なのでメガネで隠しています。(笑)今一番困っているのが食べ物の味がわからなくなったこと。何を食べても美味しくないのがつまらないです。」

 定期健診で見つからなかった癌がどうしてわかったのかと聞くと「乳房の下の方に痛みを感じて、ネット検索したり看護師の友人に聞いて病院に行ったところ、マンモでは見つけられない位置に癌があったんですよ。エコーだったら見つかったかもと言われました。でも、見つかったのは運が良かったと思っています。」

 「人混みは避けた方が良いらしいですが、大阪で以前から行きたかったコンサートがあるので行こうと思っています。病気だからとあきらめたらストレスになってしまいそうなので。」そう言えばリンパ癌の友人も約1年の入院後、ベルギーまでコンサートに行ったなあ。やりたいことがあるのって病気に打ち勝つパワーになるのだろう。

 2月になって手術が決まったと連絡があった。2週間の入院が決まり、Y子は病院に出張者用のモバイルパソコンを持ち込みたいと上司に申し出たそうだ。専門職のY子でなければわからないジャッジもあるらしい。当然のことながらNGだ。

 結局Y子のスマホに同僚が連絡を入れることで、折り合いが付いたらしい。仕事人間のY子はかなり怒っていたが、「まあ、2週間仕事を離れてゆっくりしたら。美味しいワインを探しておくから花見をしながら呑もうよ。」とLINEした。

 先日、無事手術が終わったとLINEがあった。手術で切除する箇所のマーキング入り写真付きで!

 東日本大震災後のボランティアで知り合った40代後半の女性は今夏、タイ古式マッサージの勉強のため約半年かけて南米、ヨーロッパを回って来ると言う。

 東日本大震災で家が被災し、1年後に母親が死去。父親と2人での避難所、仮設住宅暮らしが始まった。被災した自分にできることを考えた時、生業としているマッサージのスキルをもっと高めて周囲の人々の健康に尽力することが、自分にできる最良のことと思えた。

 タイの師匠のもとで勉強したいと父親に相談した。仕事人間の父親は、どうせやるならとことんやるのが良いと理解を示してくれたという。その後年に数回、タイに通って技術を磨き、仮設サロン、出張での施術、ボランティアでの施術を続けているが、タイの師匠のもとで共に学んでいた各国の仲間達がどのような施術提供をしているのか、どのようなサロン経営をしているか実際に観て、もっとスキルを高めたい気持が強くなった。80代の父親はまだ身の回りのことができている、自分自身もまだ40代だ。今しかない!と決心した。父親は都会に住む実兄が、自宅に引き取って面倒みると言ってくれた。

 家族間での問題はないが、地元を良くしようとNPOを起ち上げたり活動場所の建設したり、様々な活動をしている同級生たちに後ろめたい気持ちがあるそうだ。皆頑張っているのに自分のことだけ考えて、身勝手な奴だと思われているんだろうなあ、本当に行って良いのかなあ。でも私には今しかない!

 聞いていた私は、自分の考えをしっかり持って堂々と世界に出て行く、そんな背中を見せることは子どもや周囲の人達を勇気づけると思うよ、と励ました。「曽野さん、ありがとう! ひとりでもそう思ってくれる人がいると元気が出ます。世界各地から元気です!の写真を送りますからLINE交換しましょう!」と言ってくれた。

 彼女の話で心に残ったフレーズがある。震災前は仕事人間の父親と話をすることがほとんどなかった。震災後、父親と2人になって話をするようになり、お父さんって電球1個も替えられない人だと思っていたけど、周囲の人が全てしてくれていたのでやり方を知らなかっただけだ。やり方を言えば何でもやってくれることが分かった、と。

 「お父さんを知ることができたので被災も悪いことばかりじゃなかったなあと、8年経った今は思えるんですよね。」

 2人の女性の前向きな生き方を聴くことで、ガツンと活を入れて貰った60代の私です。