月刊ライフビジョン | 地域を生きる

不道徳の意義知った映画館の青春

薗田碩哉

 筆者の子どものころの家は商店街にある仕舞屋(シモタヤ:商売をやめた家)だったので、道路に面した一角に、地元の映画館に頼まれて上映映画のポスターを貼る掲示板が設けられていた。その報酬として上映作品が替わるたびに招待券が送られてきた。

 映画館は3館あった(歩いて行ける距離に3つもある映画の時代だった、もちろん今は1つも残っていない)。市電の終点に近い紅座(ベニザ)は邦画専門館、私鉄の駅前の白鳥座は洋画専門館、そして市電で2つばかり先の停留所に近いロマン座は、東映の時代劇とか日活の活劇がかかっていた。わが家では母は紅座に、私はもっぱら白鳥座に、ロマン座には浪波節の大好きな祖母が孫たちを連れてチャンバラ物を観に行ったりしていた。

 そういうわけで中高から大学にかけてはタダ券を活用して映画をよく見た。1950年代後半から60年代に上映された洋画の話題作はだいたい観ていたはずである。思い出すままに挙げればアメリカ映画では「大いなる西部」「老人と海」「ニューヨークの王様」「尼僧物語」「アンネの日記」「ベンハー」「5つの銅貨」など。イタリアの「鉄道員」、フランスの「僕の伯父さん」「黒いオルフェ」、ソ連の「誓いの休暇」などなどである。

 私は中学からカトリック系のミッションスクールに通って中2の時には洗礼も受けたので、学校にある『カトリック生活』という雑誌を読んでいた。その終わりの方のページに「映画案内」が載っていて、上映されている映画に格付けがしてあった。5段階に分かれていて1番上はお勧めの名画である。以下、ややお勧めからどうでもいい映画になり、一番下は「不道徳映画」という烙印が押され「観てはいけません」というのである。1番は確かにいい映画が揃っていて白鳥座に来るのを待ち受けて観たものだが、5番目の不道徳映画にも話題作が多かった。

 その中で忘れ難いのがアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」である(日本での公開は1960年6月)。陽の光が降り注ぐ地中海をクルーズする3人の若い男女の愛と裏切りと憎しみと殺意、そして背後に流れるあの哀愁を含んだメロディー。大富豪のドラ息子をナイフで刺して海に放り込み、彼の恋人を手に入れて得意絶頂の若者に訪れる衝撃的な破局。この作品は現在でも時々テレビで放映され、何度も観たせいもあって、最後のシーンは目に焼き付いている。

 これは「不道徳映画」だから、高校2年の当時はもちろん倫理担当の神父さんには黙っていたのだが、率直な感想としては「不道徳って面白いなあ」ということだった。お勧め映画には確かに傑作もあるが退屈なのも多い。それに比べて不道徳映画は面白いことにかけては他の追随を許さない。これはいったいどういうことだろうか。

 その後、大学に進んで世の中のことを勉強するに及んで、不道徳の存在意義が少しは分かってきた。アラン・ドロンの演ずる貧しい若者は、始めは金持ちの道楽息子を正道に戻すために父親の命で彼に接近するのだった。しかし、道楽息子の無軌道ぶりに次第に怒りを募らせ、ついに彼を殺すに至る。その気持ちは痛いほどよく分かる。だが首尾よく金も恋人も得たと思えたのは束の間、あっという間に破滅するのだから、その限りでは十分道徳的なお話しである。人を殺したらロクなことにはなりませんよ、というのだから。

 しかし、私たちの心に残るのはそういう勧善懲悪の説教ではない。不道徳を生み出すこの世の中の矛盾と不合理、持てる者はますます豊かになり、持たざる者はどうあがいても這い上がれない。こんちくしょう、こんな社会は変えてやるぞ、俺たちの太陽をいつか取り戻してみせる、という闘いの決意である。少なくとも1960年の若者たちは、そう思ってこの映画を見たはずだ。その思いはそれから干支が一回りする今日に至るまで依然として生きている。【地域を生きる47】


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。