月刊ライフビジョン | 論 壇

「おしゃま」とコミュニケーション

奥井禮喜

 順天堂大学の入学試験における女子受験生の差別に関する第三者委員会調査結果の一部内容には吹き出してしまった。いわく、「女子は精神的な成熟が早く、コミュニケーション能力が高いため、(男子が不利にならぬように)補正する必要がある」ので、女子の点数を一律に下げた云々。やや、旧聞になるかもしれないが、少し問題を考えてみた。

勉強するから成績がよろしい

 女子のほうが男子より成熟が早いというのは、巷で「女の子はおしゃま」、ませているという見方をいうのと似ている。わたしの中学時代までを考えると、相当の昔であるが、男子より女子のほうがまじめに勉強していたし、好成績の頭数を数えれば、女子優位であった。

 いまならばかばかしいけれど、成績がよい男子生徒は、点取り虫として陰口叩かれることもあり、無理して腕白を演技するような面もあった。「男子たるもの」という言い方がひんぱんに出る。男子たるものは、運動神経に優れ、何か運動競技で他者に認められたいみたいな雰囲気が強かった。

 小学校時代にさしたる運動の才能を発揮できなかったDくんは、中学に入るや、軟式庭球部に入り、ここで何としても一旗揚げようと喜劇的決意に燃えた。体力のある諸君は野球やバスケット、バレーボールなどの部員になる。軟式庭球は、まさに軟弱なDくんにふさわしかった。

 やがて男子のみの工業高校に入ったが、軟式庭球を続けて、県大会で個人戦2位になり、県段階ではナンバー2の座を獲得してインター杯にも出場した。その功績? が認められ、卒業式ではただ1人、特別表彰されるというおまけがついた。ただし、入学試験の2位であった成績はだいぶ落ちて、特別表彰など成績が落ちた証明であるという屈辱をかみしめた。(もちろん軟式庭球のせいで成績が落ちたのではなく、勉強が嫌いになったのが理由である)

 当時、お隣の普通高校でも、依然として、総じて女子生徒のほうが成績はよろしかった。

 ところで、本質は受験生それぞれの個性と努力の問題である。一律に入試を匙加減できるような問題ではない。人の成熟はまさしく個別、千差万別である。たまたま受験した各人の成熟度合いを、たまたまの試験で的確に把握できるわけがない。順天堂大学医学部のごとき理屈が通用するのであれば、試験制度自体の公正・公平性が成り立たない。

 いずこの大学でも優秀な学生がほしいはずである。性別を前提すべきではない。女子が医師になるための敷居が高かったのは明治の話ではないか。

病院におけるコミュニケーション

 コミュニケーション能力は極めて大事だ。女子に限らず、高いコミュニケーション能力をもっているのであれば上等である。おおいに歓迎するのが常識である。高いコミュニケーション能力が点数を下げる理屈として使われたとすれば、女子だからであって、男子に相対的に下駄をはかせる目的であって、女子差別隠しの下手な方便にすぎない。

 ある大企業人事担当某氏の話である。氏は「当社は非常に優秀な技術者がたくさんいるのですが、発信力の弱い人が少なくないので——」と嘆かれた。せっかくいい考えをもっていても、発信しないから他者と共有できない。共有できないことは結局役に立たない。同社はその直後に大きく傾き、それから再建するために悪戦苦闘することになった。

 コミュニケーションは発信力と受信力の双方が不可欠である。概して、日本人は発信力が弱いというのが常識となっている。筆者が少し前に関わったインタビューでも、多くの皆さまの最大課題が職場メンバーの発信力をどうして高めるかという一点に意見が集中した。この問題意識は的確である。

 医師においては、患者との意思疎通が決定的に大事だろう。いかに男子が将来はコミュニケーション能力が高くなる可能性を秘めているとしても、期待通りにコミュニケーション能力が成長するかどうか保証の限りではない。

 ということくらいはわかっているはずであるから、同大学においては、医師のコミュニケーション能力に関しては、さして重きを置いていないと考えることもできる。これは大きな心配のタネである。

 筆者は病院を敬遠する。お見舞いに行くのも大の苦手である。知り合いから検査漬けにされた話を聞くだけで怖気づく。まずい病院食も願い下げである。おいしくない食事をすれば治るものも治らないような気がする。

 患者が、医師や看護師の指示に従うのは当然である。ただし、その権威的絶対性を考えると拒否反応が出そうになる。これ、憎まれ口ではない。闘傷病時は、なおさら、患者自身の自主自立精神が大事だと思うからである。

 医師や看護師は傷病を治癒してくださるのだけれども、患者は機械ではなく、人間である。やはり、なんといっても第一に、傷病と闘っているのは患者自身である。患者が元気を出すかどうかが最大課題のはずである。

 と考えれば、患者が医師や看護師に従うのではなく、コミュニケーションの結果としての傷病に対する共闘関係でありたい。だから、コミュニケーション能力が高いことが減点対象になるというのは、医療機関としては、はちゃめちゃな思想である。

 医学の祖とされるヒポクラテス(前5世紀ごろ)の時代に、医師は、実証性を尊重し、経験と検証を主張し、迷信や論理的裏付けのない観念論を排して、「人助けな職人」をめざしたとされる。さらに「もし、素人に解らせることができず、納得させることができなければ、的が外れていることになる」という記述もある。技術は当然だが、コミュニケーション能力の重要性が、すでに記されている。(『古い医術について』)

敗戦までコミュニケーションがなかった

 いまの日本を見た場合、政治・経済・社会のさまざまの分野で、コミュニケーションが円転滑脱であると判断する人は少ないであろう。コミュニケーションがよろしくない社会は病んでいるといわねばならぬ。

 大昔、人々が集団を作り、社会を作っていく過程を想像すると、はじめに意思疎通ができたのであろう。集団が存在して、意思疎通するようになったのではない。意思疎通こそが社会を形成したのだと考えるならば、コミュニケーションが不全だという事実は、社会が崩壊する方向にあるという理屈になる。

 わが国でコミュニケーションという言葉が広がったのは敗戦後である。それまでコミュニケーション概念はほとんど存在しなかった。

 では、何によって社会を構築していたのか。いわく「上意下達」である。その典型が敗戦までの軍隊である。上官の命令は絶対である。いかに理不尽な命令であろうとも、部下は上に絶対的忠誠で応ずるのみであった。

 軍隊が作られたのは明治時代からである。それまではどうだったか。たとえば、農漁村において、村の意思決定をするについては、各家を代表する人がすべて集まって衆議をこらした。そこでは強権を発動するような上下関係はない。まさに全員が対等で、全員が納得するまで衆議を重ねたのである。

 軍隊が作られ、軍を中心とした軍部が次第に政治の中枢に台頭するにしたがって、軍隊以外の国民一般もまた上意下達の気風に取り込まれた。

 日本が満州へ進出した満州事変(1931)から、日中戦争が本格化した支那事変(1937)に入ったが、日本軍85万人は中国大陸に釘付けされ、にっちもさっちも行かない。

 早くも1938年には、支那事変は国内では戦争ではないにも関わらず国家総動員法が公布された。39年には、同法に基づく勅令が発される。いわく、価格統制令、地代・家賃統制令、地賃金等臨時措置令、会社職員給与措置令によって、国民生活は完全に統制されてしまった。(もちろん闇市が発生した)

 木炭・石炭不足、砂糖・マッチの不足、電力の不足である。遊興飲食店の営業時間短縮、ネオン全廃、学生の調髪禁止、パーマ廃止、贈答品廃止などなど。「贅沢は敵だ」という官製スローガンが国民生活に浸透する。日々の生活が権力によって統制される事態が、人々の自由な意識を奪い去る。上意下達が生活全般に徹底したのである。

 これは1941年12月8日の太平洋戦争が開始する前の事情なのである。だから、開戦ともなれば、まして真珠湾奇襲攻撃で大戦果を挙げたと報じられたのであるから、「活路が開いた」と大錯覚して舞い上がるのも無理はない。

日本的コミュニケーションの未熟

 さて、敗戦後は一転して、デモクラシーの国家として歩むことになった。

 デモクラシーの根幹は人々の間における対等なコミュニケーションである。しかし、そもそもデモクラシーが何であるか、わかっていた人は圧倒的少数派である。上意下達というものが、人々の精神から「自分」の考えを奪っている。自分が自分であるというタネを撒くのはやはり自分である。容易に自分が育ちえなかったことが想像できよう。

 やがて労働組合が雨後の竹の子のように作られたが、人々が自主的に「組合を作ろう」と声を上げたところは決して多くはない。

 なぜなら、戦前の労働組合は少なかったし、組合活動家は「アカ」だとして、不逞分子扱いされていた。占領軍であるGHQが、組合作りを推奨したことが少なからぬ力になった。経営者はGHQに睨まれたくない。敗戦までの絶対的天皇制という上意下達の権威・権力に代わったのがGHQである。組合作りの場合は、GHQの上意下達が背中を押したわけである。

 組合ができたものの、大方の組合の組合員は幹部にお任せ意識である。当時は日々の食べ物すら円滑に入手できない時期であるから、組合が生活改善の看板を掲げれば大方の組合員はついてくる。これまた組合内部における上意下達のスタイルが形成されていくのである。

 やがて賃上げに関しては、春闘方式が生み出され、組合活動の盛り上がりを作った。しかし、たとえば合理化問題のような、思索と理論を必要とする闘争においては賃金闘争のような一枚岩を形成しにくい。上意下達による組織の体力は本質的に頑健ではない。

 いまだ、人間関係をよくするためにコミュニケーションをとろう、というような発想が幅をきかせている。たしかにコミュニケーションがよければ人間関係がよろしいのは必然である。しかし、人間関係を円滑に維持するだけであれば、コミュニケーションをとらないほうが好都合だという考え方が現状を支配しているのではなかろうか。

 実際、コミュニケーションをとれば当事者AとBの間に摩擦・葛藤が発生しやすい。なぜならAとBは異なるからである。AとBがお互いに納得できる「解」を発見するためには、少なからぬ工夫と忍耐が必要である。すぐに結論を求めたがる(といわれる)日本人的気風においては、誰もがコミュニケーション能力を磨く、鍛錬する心がけが大切である。

 ひたすら人間関係を円滑に維持しようという考え方が前面に出るようでは、コミュニケーションは絶対に向上しない。コミュニケーションは「話せばわかる」という相互信頼が前提である。それが不十分だから、日本的コミュニケーションの質が低いのである。

 コミュニケーションは、社会の基盤である。コミュニケーションは、関係者が「本音」で自由に発言し、他者の見解をじっくり聞く習慣・気風を作る目的意識を共有しなければならない。

 かの大学の女子のコミュニケーション能力説は、もちろん、男女差別を隠すための方便であるけれども、コミュニケーションの何たるかをまるで理解していない事情も露呈した。しかし、これがたまたま同大学だけの問題かと考えると、あながち特殊事情だと見過ごせる問題でもないと考える。

 コミュニケーションが未熟な社会という課題を指摘した所以である。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人