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映画『あん』から憲法13条を想う

渡邊隆之

 「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれて来た。…だとすれば、何かになれなくても、私たちには、生きる意味があるのよ。」
 この言葉はハンセン病患者を題材に上映された映画『あん』の中で、樹木希林が演ずる主人公・吉井徳江のセリフである。樹木さん亡き後に再度話題になり、いまも各地で追悼上映が続いている。

 筆者は『あん』を3年前、リアルタイムのロードショーで鑑賞した。樹木さんの飄々とした演技に笑う場面もあるも、世間の無理解、偏見や差別により、なんら罪のない人の一生が奪われてしまうことになんともやりきれない気持ちになったものだ。
 ハンセン病とわかった段階で親族と離別、結婚も困難、身籠っても優生手術がなされるなどし、一生隔離施設での生活を強いられる。らい予防法廃止から、患者の名誉回復のため様々な行政上の施策がなされているが、どのような事実があったか一般の人々に十分浸透しているとは思えない。今は多くの患者が亡くなり、親族も高齢化、他界している。今後患者の遺骨をどう管理していくかも問題になっているようである。

 ところで、現行憲法では13条において個人の尊厳を最高の価値に置いている。また13条の幸福追求権から自己決定権も含まれるものと考えられている。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 たとえ国を取り巻く環境が悪くなっても、国内でおかしな法律が成立し行政施策が打たれても、私たち一般庶民は日々の生活を営んでいかなければならない。ハンセン病の事例だけでなく、私たちの生活を脅かす要因は沢山あるのである。

 問題とされる事実の検証が十分にされず、おかしな法律や政策がなされれば私たちの生活が大きなダメージを受ける。もとの状態に戻すには時間もお金もかかる。一生心の傷を負うこともある。だから、私たちは国や自治体、政党に対してもっと情報の開示を求めてもよいと思うし、意見表明の機会要求をしてもよいと思う。

 最近、第二次世界大戦時に国策で海を渡った満蒙開拓団の悲劇として、岐阜県黒川村の開拓団の女性達が重い口を開き始めた。敗戦間際に開拓団がなんとか生き延びて日本に帰るため、開拓団が若い女性をソ連兵士の「性接待」に供出したのだという。拒否すれば開拓団全員の命がなくなる。指示に応じれば帰国後、心身の傷を抱えながら生き続けることになる。公言することは新たな偏見差別を生む可能性があるからである。
 ところで国は、満蒙開拓団のような国策等について事実の検証や反省をし、防止策をとってきたのであろうか。戦没者慰霊日に安倍氏が「英霊に対し哀悼の誠を」などと宣うが、その英霊の死因の多くは餓死と病死である。私が英霊の一員であったとしたら「なぜ嘘の情報を流してこんな無謀な戦争をした! なぜ多くの仲間を見殺しにした! 今更花などいらない。むしろ、これからの国民が無駄死にしないようしっかり国を作れ! 」と叫びたい。

 いよいよ臨時国会が始まった。首相への質問に自民党代表となったのは、あの、自衛隊日報問題で辞任した稲田議員である。国民を舐めていると思うのは私だけだろうか。
 民主主義とは「治者と被治者の自同性」といわれる。統治する者(政治家)もされる側(国民)にまわる場合があるから、少数意見についても耳を傾け、十分に討議をし、方向性を決定するのである。一般国民の声を無視した人選をするのは、組織票や選挙工作に自信があり、絶対に被治者側にはまわらないという与党議員の驕りがあるからではないか。

 そうであればそれは民主主義とはいえない。この国の将来ビジョンを持たないまま、疑念のある憲法改正案や外国人受け入れを与党は進めようとしている。その混乱のツケは全部、国民が負わされることになる。それを決めた現在の政治家は責任を取らない。「野党がしっかりしないからだ」と言う方もいるが、そもそも有権者である個人はどうであるか。自分が選ぶのは奴隷の人権か、それとも主権者として自己決定する人権か。

 『あん』の徳江さんのような人を出してはいけない。個人の尊厳・幸福追求権・自己決定権を再認識すべく何度でも、憲法13条に目を通したい。無知と無関心が民主主義の大敵である。