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自民党総裁選と民主主義について思うこと

渡邊隆之

 自民党の総裁選。9月7日公示、9月20日選挙。一政党のトップを決める選挙であり、党員でない一般国民に投票権はない。

 現行憲法では、国会は国権の最高機関とされる(憲法41条)。国民主権主義のもとでは本来、国民が一か所に集まって討論・決議ができればよいが、それは物理的に難しい。そこで、国政選挙で「全国民の代表」である国会議員を選出し、国会で十分に討議し採決する。直接選挙を経る点で主権者たる国民とのつながりが強いので、国会は「国権の最高機関」とされている。

 しかしである。実際の国会では与野党の議論少なく、党内審議を経た与党自民党案を数の力で押し通すばかりである。自民党党内での審議に野党が参加することもできないし、策定経緯が非公開である以上、国民の監視の目も届かない。

 安倍首相支持派は民主主義=多数決とお考えのようで、国会も委員会も議案に十分な審議の跡がうかがえない。この空洞化した国会や委員会に自民党員でないわれわれの血税も注がれている。党員でないわれわれは無関心でも構わない…と思っていて本当に大丈夫なのだろうか? 私は許容すべきではないと思う。

 全有権者のごく一部にあたる自民党員の得票数で、事実上の日本のトップと国の方向性が決まる。それが自民党総裁選である。自民党が公正かつ効果的な国民意思を反映する選挙制度に着手しない現状では、自民党に会費を払わない限り、国民は国の行く末について実質的に影響力を持ちえないのである。これは、身分・性別・教育・信仰・財産・納税額などによって制限せず、国民に等しく選挙権を認める普通選挙の趣旨から、違憲の余地ありと考えたりもする。

 また、『政党』とは政治的意見を同じくする人の集団をいうが、自民党の場合は考えの幅が広すぎる。政治的意見を同じ人で党を組みなおすか、あるいは、掲げた政策の実行を確約していただかないと、政策重視の有権者は国政選挙で投票先を決めかねる。結果、有権者は政策よりもむしろ経験値で一票を投じているように思われる。

 国内問題ばかりではない。日米地位協定では国会ではなく、日米合同委員会でアメリカの軍人と日本の官僚で物事が決められる。日本国民の生命・身体・財産に関する国防や安全保障について! である。

 国会は国権の最高機関ではなかったのかしら。様々な面で先の大戦でともに戦ったドイツ・イタリアに比べ、同じ敗戦国・日本の主権が十分回復されているとは思えない。

 安倍自民党は「日本を取り戻す」と叫んでいたが、いったい何を取り戻したかったのか。主権を取り戻したいのなら、憲法改正よりもまずは日米地位協定の改変作業に着手すべきではないのか。

 かつて失職した元自民党の武藤貴也議員の言葉が頭をよぎる。『日本国憲法を支える三原則(国民主権基本的人権の尊重・平和主義)は、戦後もたらされた「欧米の思想」であり、「日本精神」を破壊するものである。』

 現行憲法で、当初想定していた機能が働かなくなっているのは、武藤元議員と同様の考えが今は自民党の主流派ということなのだろうか? そもそも真の意味での国民主権・民主主義が国民に根付いているのであろうか?

 少数者の意見にも配慮するのが本来の民主主義である。私は党員でないので事実上の日本の総理大臣を決める投票権はないが、民主主義とはなにかを自問自答し、次の国政での投票行動に備えたいと思い、ここに考えるところを述べるものである。