月刊ライフビジョン | 論 壇

日本の外交の成果?!

奥井禮喜

色眼鏡はいけない

 外交を論ずる人は、職業外交官に限らず、外交的課題に対する適切な洞察力や問題の本質に関するきちんとした認識力が不可欠である。

 人間はとかくモノゴトを自分の色眼鏡で見てしまう傾向が強い。自分の好き嫌いに加えて、問題の本質を自分の立場による損得勘定で規定してしまうような人は外交を語る資格がない。たとえば、外国人に対するヘイトスピーチを平気で繰り返す人がその典型である。

 わが国が「経済大国」と言われた当初、その意味は「敗戦から不死鳥のように蘇った」という賛嘆の声の半面で、「経済以外に見るべきものがない」という痛い指摘があった。すでに、この事実を記憶している人は少ないだろうし、1970年以降に生まれた人は全く知らないだろう。

 個人と個人の関係もなかなか難しいが、国と国との関係は極めて複雑である。それぞれの国が国内的利害関係を抱えており、国内事情と無関係に外交方針が決められるわけがない。

外交は内政の鏡である

 政治体制が民主主義であろうが、国家主義であろうが、外交を推進するのは権力支配者である。民間外交という言葉があるけれども、普通、民間外交が国の外交方針を凌駕することはまずない。

 国の外交と民間外交の大きな違いは、いわば、その国の権力支配の在り方、その政治が国民各人に共感・共鳴されているかによる。その国の政治に強権的な身勝手さがあれば、いずれ外交は破綻をきたす。その典型が明治以後昭和の敗戦までのわが国の軌跡である。

 それを一言でいうならば、国民生活を無視して、軍事大国化をめざし、軍事外交をやった。その戦略は先行した列強と直接覇を競うのではなく、東アジアという縄張りで好き放題やろうとしたのである。しかし、ことは日本が期待する物語展開にならなかった。先進列強と直接戦う羽目に至ったからである。

南北朝鮮は冷戦の犠牲である

 第2次世界大戦後は、アメリカとソ連を対立軸とした東西冷戦が1990年まで続いた。その際、アメリカとソ連の覇権争いの直接的犠牲にされたのが朝鮮である。北緯38度線で朝鮮は南北に分断された。

 朝鮮は、明治以後台頭した日本と宗主国の清(1912まで)に徹底的に翻弄された。日本による植民地支配(韓国併合1904)が、日本の敗戦によって終わったと喜んだのも束の間であった。南北朝鮮は、今度はアメリカ・ソ連・中国に振り回されたというしかない。

朝鮮戦争はまだ終わっていない

 朝鮮戦争の評価はいろいろな見方があるけれども、38度線で朝鮮民族が南北2国家に分断されていなければ発生するわけがなかった。アメリカとソ連の歴史的責任はとても重たい。

 1950年6月25日に開始した朝鮮戦争は53年7月27日に板門店で朝鮮戦争休戦協定が締結された。署名した国は、アメリカ・北朝鮮・中国である。それには――最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する――と書かれている。「最終的な平和解決」、すなわち「平和条約」がまだ結ばれていない。休戦以来65年が過ぎた。

 75年には国連が平和条約締結を呼びかけた。97年12月から99年4月にかけて平和条約締結のための話し合いが持たれたが、北朝鮮は米朝間の締結を主張、韓国は南北間の締結を主張してまとまらなかった。

板門店宣言の意義

 今回の板門店宣言には極めて大切な項目が書かれてある。

 第一、長年の分断と対決を1日も早く終結させる。朝鮮半島にこれ以上戦争はなく、新たな平和の時代が開かれた。南北関係を全面的・画期的な改善と発展を成し遂げる。民族自主の原則を確認。

 第二、韓半島で先鋭化する軍事的緊張を緩和、戦争の危険を実施的に解消。地上・海上・空中におけるすべての空間で、相手側に対する敵対行為を全面中止。北方境界線一帯を平和水域にする。

 第三、正常といえない休戦状態を終息させる。不可侵合意を再確認。お互いの軍縮実現。終戦を宣言、停戦協定を平和協定に転換する。朝鮮半島の完全な非核化の目標を確認。

南北合作の意義

 1953年以来、北朝鮮の指導者が韓国へ入ったのは初めてである。首脳会談というものは両国が今後の関係について包括的に内外に決意を示すものである。金正恩氏が境界線をまたいで韓国側へ入った後、文在寅氏と手を取り合って北朝鮮側へ入り、2人で再び韓国側へ入ったのは、意味のあるハプニングであった。

 今回の会談で、両国が「1つの国家であり、1つの言語であり、1つの民族である」ことを全面に押し出したのは、休戦協定を平和協定にするために大きな推進力となろう。なんとなれば、かつて北朝鮮は「米朝」最優先を主張していたが、まず南北和解と結束を確立した。休戦協定締結国は、アメリカ・北朝鮮・中国である。南北が平和条約を締結することで見解一致したのだから、中国は反対しない。アメリカも反対する理由はないはずだ。

 読売社説(4/28)は「核問題の解決の目途がつかないうちから、北朝鮮の体制の保証につながる平和協定に踏み込むのは、順序が逆ではないか」と不満を述べた。「完全で検証可能かつ不可逆な核廃棄」に拘るからそのような主張になるのは理解できる。しかし、そもそも北朝鮮が核兵器開発に没頭するようになった元々の理由は、朝鮮戦争が完全に終結されていなくて、重要なプレーヤーであるアメリカが終戦体制に向けて本腰を入れなかったからである。

 つまり、北朝鮮の核開発の目的は、アメリカと対等に戦争をすることではなく、もちろん周辺国を力で侵略することでもない。まともな交渉相手として扱ってもらうためである。

 アメリカの要求は、マイク・ポンペオ国務長官(当時はCIA長官)が4月初め訪朝した際、説明したという。そして「北朝鮮は非核化の実現に向けた工程表を策定する用意ができている」「(自分は)特使として明確な声明を持って行った。金正恩氏はそれを正確に理解した」(4/28  ABCテレビ)とまで語っている。日本の新聞・テレビは、「核問題については、米朝間に焦点が移った」という報道だが、それはすでに進行しているわけだ。

 プーチン氏は文在寅氏との電話会談で「ロシアと南北との協力事業をやろう」(4/29)と語った。

 5月中に米朝首脳会談がおこなわれる予定だが、北朝鮮が核開発の狙いをすでに明確にし、核実験場坑道閉鎖も公言し、アメリカの専門家と記者団を受け入れるとしていることをみれば、わが新聞が書くような調子はいったい何を見ているのか奇妙な心地になる。

 いわく、「対話は緒についたばかりだ」「完全な非核化の具体的言及がない」(朝日社説 4/29)、「安倍首相は、トランプ氏に対し、適切な政策判断を下すよう、注意を促せ」(読売社説 4/29)、「日米韓は引き続き北朝鮮への制裁圧力を維持しつつ、米朝首脳会談への準備を進めていくべきだ」(日経社説 4/29)

 このような論調しか書けないのは、要するに政府の外交政策をそのまま鵜呑みにして、一緒になって「制裁」一本槍で、後はアメリカにお任せの極楽とんぼをやってきたからだといいたくなる。

 単純な話、ひたすら追い込めばどうなるか。本当に絶体絶命まで追い込めば、それこそ自暴自棄の大参事を招く危惧が高い。もし、アメリカが北朝鮮を先制攻撃した場合、日本はそれを全面的に支持して行動できるだろうか。アメリカは圧力をかけつつも、広範・柔軟に対応している。日本の圧力論はいかなる展望を描いているのか。

 現在までの北朝鮮を巡る動きを考えると、北朝鮮は実に巧みに戦略展開しているように見える。対するわが国の外交は「アメリカにアドバイスする」と恰好つけているが、実は、きっちり置いてけぼりを食らっている。

 日本の一部報道には文在寅氏の「暴走」とまで決め付けるものがあるが、もう少し冷静になられないものか。イギリス王立国際問題研究所のJ・N・ライト博士は南北首脳会談について「political astuteness、diplomatic agility、strategic vision」(抜け目なさ、外交的機敏さ、戦略的視野)を示した。小さな国でも大きな国と競争して利益を上げられる見本だ」と評した。(BBC 4/28)

 韓国の中央日報(4/29)は、文在寅氏にとって「息詰まる117日」であったとタイトルを掲げた。いわく、今年1月1日の金正恩氏のシグナルを受けて、五輪を通じて、特使を交換し、緊張の117日を終えたとする。

 タイム誌は文在寅氏を「The Great negotiator」であると最大限の賛辞を送った。安倍氏は、文在寅氏から金正恩氏が「いつでも日本と対話する用意がある」と伝えられた日の午後、UAE、ヨルダン、イスラエル、パレスチナへ飛んだ。自民党幹事長の二階氏が「外交成果を上げている安倍氏の3選支持」は当然のような発言をしたが、本当に、いかなる外交成果を上げているのか?

 外遊外交と本当の外交は大いに異なると、わたしは思う。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人