月刊ライフビジョン | 論 壇

不都合な現実に流されるな

奥井禮喜

 遠い昔のある時、尊敬する先輩から「挨拶のうまい人間になるなよ」と言われた。あちらこちらで組合関係の会合に出席すると、必ず主催者の挨拶がある。なるほど、うまいのも下手なのも人さまざまである。

 たしかに、うまいのはその後の本番に向けて弾みがつく。一方、下手な場合はいささか出鼻をくじかれるというか、水を差されたような心地にもなる。短い挨拶とはいえ疎かにはできない。

 滑らかな語り口の人は概して、この道何十年かのベテランが多い。ツボを心得ておられる。ただし、訥々と話されても極めて効果的であったりして、能弁・雄弁が必ずしも上等とは言えないと感じる。

ある反合理化闘争の一コマ

 いまも記憶に残るのが当時総評議長で合化労連委員長だった太田薫氏のスピーチである。わたしは電機労連傘下だから合化労連とは直接的なお付き合いがなかったのだが、ご近所の化学会社の組合が工場閉鎖反対闘争をやっていて、若者同士の付き合いがあり、組合組織とは無関係に、数人の仲間を引き連れてのこのこ争議支援に出かけたのである。

 この工場を閉鎖して、東京の工場に一本化したいとする経営方針に対して、組合のいわゆる合理化反対闘争がしばらく続けられていた。闘争というものは長引けば、容易に引っ込みがつかなくなる。思うように労使交渉が進展しないものだから、頭にきた青年部の面々は、工場の片隅に社長の墓を作って気勢をあげていた。それはそれで、わたしには物珍しい。みんなでスクラムを組んで労働歌を歌ったり、さして広くもない構内をデモ行進するのに加わった。

 工場閉鎖だから、継続して働こうとすれば東京へ転勤しなければならない。その条件がちらほら出されていたが、なにしろ50年以上の昔である。親の代、いやそれ以前から住んでいる地元を離れて東京へ行くのは大概の諸君が嫌がった。だから、なんとか工場を残せという要求だ。

 全盛時代の総評議長が直々檄を飛ばしに乗り込んでくるのだから、若者たちのみならずベテラン組合員諸氏もやや興奮気味で気合が入っている。それを見ているわたしも気分が高揚するのは当然の成り行きだった。

 時間が来て、200人ばかりの組合員が待ち受ける会議場(食堂)へ太田さんが入ってきた。パッと見には、あまり風采の上がらぬ「おっさん」やなというところで、堂々たる労働運動の闘士を予想していたものだから、わたしは肩透かし食らったような気分になった。

 委員長に紹介されて太田さんが演壇(食堂の机)に立った。いよいよ、大演説の開始かと心ときめいた。太田さんは、ぼそぼそと話を始めた。会場の面々を隅から隅まで見つめながら、要点は「社長に会って、いろいろ話をしてきたが、経営事情を考えれば、東京に工場を一本化するしかないと思う。工場閉鎖反対で突っ走ってもこれ以上は無意味だ」という。

 そして、「東京へ転勤できない人もきちんと就職先を手配する確約を取った。心細いかも知れないが、泣きたいときは泣いて、さっぱりして、次の一歩を踏み出そうじゃないか」。というような筋書きであった。

 女子が4割くらいいた。心細さもあったろうし、緊張が切れたのか、本当に泣きだす始末である。太田さんは、そんな調子で20分も話しただろう。最後に「心細くてもな、みんなで協力してやりましょう。次の組合へ行かねばならないので、これで失礼します」と退出した。

 わたしだけではない。誰もが呆気にとられた。野次も抗議も飛ばなかったし、太田さんが部屋を出る間際、慌てて拍手が起こったような次第であった。

 それから三々五々、みんなが集まって会話が始まった。わたしは、てっきり遅ればせでも不満が噴出するかと予想していたのに、全然違う。わたしの友人は「さすが太田さんや。事情をよく見抜いておられた。(条件闘争に転換する)潮時だとボクも思っていたんや」と語ったものである。

 誰もが行き詰まり感を持ちつつ、きっぱりと戦術転換できずに、ずるずる抗議活動を続けていた。もちろん、これは直接関係ない部外者の後知恵である。小さい組合だが、結束力は強く、みんな仲が良かった。それでも、一世一代の大争議となれば、安易に自分の考えを口走るわけにはいかない。

 太田さんは、そこをきちんと見抜いて、短いスピーチであったけれど、戦術転換の必要性を語って、組合員の結束を新しい方向へ導いた次第である。報道で知る労働運動の闘士の面影もないし、大演説でもなかった。まさに訥々とみんなの心に語りかけられた。

 わたしが記憶しているのはこれだけだ。たぶん、わたしは19歳であった。組合活動にちょろちょろクビを突っ込んでいたが、まだ、なんの知識も見識もなく、持ち合わせているのは、ただ「もっと夢をもって働きたい」という程度であった。このときには気づかなかったが、後々、組合活動家は「現場に入れ」という言葉の意義が少しずつわかるようになったのは、この太田さんのスピーチの感銘が発酵していったのではなかったか。

ささやかなコペルニクス的転回

 わたしの場合、組合役員時代に支部では委員長をやったが、本部では「平」執行委員だから、他所へ出かけてスピーチするなんてことはなかった。たまたま定期大会では総合司会担当なので冒頭挨拶を5分ばかりする。これが結構難しい。あまり堅苦しくしないほうがよろしいとは思いつつも、会議を貫いてほしい心構えを短い言葉で表現するために頭を捻った。

 故郷の近くで大会を開催したときは、やや柔らかすぎ出来損ないの観光案内みたいだと反省、翌年は少し格調を上げて、まあまあだなと自己納得していたら、休憩時間に某氏が「いやあ、立派な司会挨拶で感動した。その後の委員長挨拶が霞んだよ」という。誉められたのではない、立派な皮肉をもらった。

 なるほど、分相応にやらねばならぬらしい。とはいうものの、テレビの大河ドラマの一場面を引っ張り出して、共感したの、感動したのというようなスピーチを聞くと、はっきりいって虫唾が走る。組合の定期大会というものは、それなりに参加者が日ごろ学び考えてきたことを発表する晴れ舞台だ。組合カルチャーの発表会である。この思いはいまも変わっていない。

 活動家としてのサービス精神は絶対に大切である。春闘などの議案説明で支部へ出向く。議案書を40分から1時間かけて説明する人が多かったが、わたしは長くても15分程度にした。当時の組合員は春闘や一時金要求の議案は直ぐに目を通して、自分の場合がいくらになるか程度の計算をやったものだから、わたしは議案書に書いていない話を用意した。

 1970年代後半、一時金要求の説明に某営業所支部へ出かけた。昼食後、200名程度の組合員さんが集まって聞いてくれる。時間は正味40分程度である。さて、話そうかという間際、ベテランの1人が「今日は一時金の説明でしょ。みんな議案書の内容は知っているから、なにか面白い話をしてよ」と注文された。「みなさんはいかがですか?」と振ると、「賛成」といわれる。「有給休暇の話をしてよ」。

 少し前からわたしたちは有給休暇取得キャンペーンを当組合独自で開始していた。このときの大ヒットが模造紙大のポスターで、白地に墨一色の漫画と短いコピーが描いてある。乗用車が走り去っているのに、ハンドルを握った勤め人が呆然としている。「あなたが抜けても会社は動く」というコピーである。

 このポスターは中央執行委員会では「組合員さんに失礼じゃないか!」という批判があったが、全国の職場組合掲示板に登場させたときの評判は上々だった。日ごろ、ちまちましたニュースが掲示してあって誰も見ていない! のだが、なにしろ掲示板いっぱいの大きさのポスターで白地だから目立つ。思わず吹き出して大笑いする。出勤してきた組合員さん同士で「この通りだよな」という会話が弾んだ。で、昼休みは有給休暇談義で大笑いの渦であった。

 これ、決して「自虐ネタ」ではない。そもそも会社というものは、1人の超人に依拠するのではなく、10人の凡人のチームワークの力を発揮するのである。他者を慮って休まないのを美徳と自己満足するのではなく、他者が休めないことを気の毒に思えば、10人が力を合わせて有給休暇を完全取得する工夫をするほうがもっと麗しい。ささやかなコペルニクス的転回だった。

真実を見る

 なにごとかに挑戦してみよう、いまある問題を解決しようという心地が生まれることは誰にでもある。そこでブレーキになるのが「これが現実だ」という考え方である。理想ばかり語っても仕方がない。現実的であらねばならないというとき、現実をリアルに考えているのではなく、それは単に現実に沈没しているだけである。つまり、正しくは現実をリアルに直視していないのである。

 たとえばワーク・ライフ・バランス(WLB)という言葉がある。この言葉が提唱されて以来、まったく何ごとも前進していないとはいわないけれど、鳴り物入りでWLB憲章などを作ったにしては、さしたる変革が発生していない。それもそのはず、問題の本質は、ワークがライフを侵食していることであるにもかかわらず、有給休暇取得や長時間労働の解消をめざした活動はほとんど見当たらない。

 そもそも、労働組合がなにゆえ発生したのか? 労働者としてのライフに不満が多かったからである。組合は、誰もが「オレは労働者だ」と名実ともに胸を張って暮らすために、労働者的人生をハッピーにするために生み出された。この歴史的事実を否定する人はいないだろう。

 WLBの大本を考えれば、仕事優先の労働者生活をひっくり返して、生活優先の労働に転換することである。国民の税金を使って識者が作ったところのWLB憲章のどこにそのような思想が盛り込まれているか。なんのことはない。WLBは従来の仕事優先の労働者生活を継続するための弥縫策である。

 1月22日から開催した通常国会で「働き方改革」法案が出された。同法案によって、果たして長時間労働が改善されるであろうか。これまた、現状の仕事優先の労働者生活をさらに継続するために生み出された法案としか表現のしようがない。圧倒的なみなさんがほとんど関心をもたない内容を、みなさんの税金で活躍(?)している国会議員諸氏が論議することになっている。憎まれ口に聞こえるかもしれないけれど、この程度の法案に多大の時間を注ぎ込むのは税金の無駄遣いである。

 働く人こそが社会基盤を構築しているのであり、働く人こそが社会の主人公だという美辞麗句は昔からたびたび聞いた。しかし、残念ながら、今よりもっと貧しかった時代のほうが、その理想を追い求める気風が強かった――ようにしかわたしには見えない。

 「挨拶のうまい人間」というのは、問題をリアルに見つめる習慣がなく、当然ながら不都合な現実を変える理想を考えず、現状に漂い流される人間のことをいうのではないか。尊敬する先輩もすでに80歳を超えられた。その大切な言葉を1人でも2人でも理解していただければ嬉しい。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人