月刊ライフビジョン | 地域を生きる

句会を楽しむ

薗田碩哉

 毎月一度、隣り町の句会に出かける。一昨年の秋から始めたのでちょうど2年になる。宗匠は佛渕(ホトケブチ)雀羅師である。この俳号は「門前雀羅を張る」という句から取られていて、家の前に雀を捕まえる網を張る―それほど閑散としていて客もめったにやって来ないという意味だが、それはご謙遜で、師は連句の指導者としても知られ、町田市民文学館で行われる連句の会は門前市をなす盛況である。雀羅さんが先生なので、われらの句会は「すずめの学校」という名前を付けている。
 毎月、お題が出される。あらかじめ題を提示しておくのを「兼題」と言う(これに対してその場でお題が示されるのが「席題」である)。兼題を必ず一句は詠み、あとは自由にもう二句投句できるというルールだ。句会の前の日が締め切りで、師にメールで送ることになっているのだが、なかなかできなくて夜遅くなってしまうことが多く、師匠に迷惑をかけている。何しろ師匠はみんなから集まった句を整理し、作者名を抜いて順不同の一覧のプリントにし、また、それぞれに評を書いた別のプリントも用意されて句会に臨まれるのだから、前の晩はおちおち眠る暇もないのではと心配だ。そう思うのなら早め出せばいいものを、やっぱり締め切りぎりぎりになってしまう。
 句会は10人ほどの集まりだ。中高年のご婦人が多数派、筆者のような爺さんも3人ぐらいはいる。一覧が配られ、その中から秀句と思われるものを5句選んで各人が発表する。5句のうち1句を「特選」とする。これが3点、他は1点という配点である。選句の発表が終わると得点を集計し、点数の多い句から検討する。選んだ人がこもごもその理由を述べ、最後に誰の句であるかが明かされ、本人が感想を述べるという段取りである。
 十月の句会は兼題が「肌寒」だった。このお題で最高の7点を取ったのは「肌寒や注ぐ湯呑に両手添え」で、俳号文月さんの句。ほのぼのとして分かりやすい句であり、皆さんの支持が多かったのもうなづける。文月さんは年配の穏やかで上品なご婦人である。筆者は「肌寒の心に古き傷ありて」(夕遊=筆者の俳号)という何やら意味深な句を出したのだが、1点しか入らなかった。思わせぶりなところが嫌われたか。雀羅師は「体感としての肌寒と心象としての肌寒、微妙に重なるところのある言葉です。」と評してくださった。
 そのほかの句では「傾聴のグラスの淵にこぼれ月」(志津子)が10点句になった。ちょっと分かりにくいが、何やら象徴的な雰囲気が良かったか(筆者は取らなかったが)。今回の筆者の自信作は、つい先日の稲刈りの風景(写真参照)を踏まえた「稲刈りの稲かき抱く子の笑顔」(夕遊)だったが、無念、2点句にとどまった。なかなか連中の心をつかむ句を詠むのは難しい。ご婦人方の作品に佳句が多いのは認めざるを得ない。
 句会はお茶とお菓子を楽しみながら、笑いの絶えない楽しい会である。句の中にひとりひとりの心情が投影されて、それを感じ合えるのが何よりも面白い。江戸の昔から我々はこうした集まりを地域で地道に続けてきたのである。テレビの「プレバト」の夏井先生の俳句評に人気が高いのもむべなるかな。この伝統を大切にしたいものだ。


【街のイベント帖32】里山田んぼの稲刈り
 長雨がやっと上がった10月の連休、老若男女が里山に集合して例年の稲刈りを行った。小さな子どもたちも見よう見まねで鎌をふるって稲を刈った。自分の背丈ほどもある稲束を一生懸命運ぶ姿は何とも愛らしい。

 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。
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