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猿芝居の背景と予想

奥井禮喜

 岸田氏が国民民主党副代表だった矢田雅子氏を首相補佐官に採用したのは先月16日だった。人のうわさも75日というが、結果からすると、そこまで待たずとも消える程度のニュースになっている。まあ、そんなものではあるが、ものごとの背景と多少の予想を記したい。

 参議院議員に失業した矢田氏を掬い上げるだけじゃないか。それはそうだ。岸田氏は同業には厚い人情の人らしく、石原宏高氏の前例もある。ただ、矢田氏はゆ党といわれる国民民主党副代表であり、党内も、野党でいくか、ゆ党でいくか、与党でいくかの議論が割れているから、矢田氏の失業救済程度に考えるのはいかにも軽い。失業と例えたが、国会議員を外れた矢田氏が勤め人原職復帰することを決めた後の話でもある。

 情報を総合すると、岸田内閣は賃上げ推進の内閣であって、矢田氏には賃上げ推進を専門にしてもらう。とくに連合とのパイプ役を担ってもらうらしい。

 先の参議院選挙前に、麻生氏らと連合・芳野氏のお付き合いが云々された。当時は、連合内部で反発があり、立ち消えになった。それ以前に芳野氏はすでに麻生氏らとお付き合いしていたが、たまたま、参議院選挙直前であり、いくらなんでも、いざいざ出陣の直前に、敵対する相手と懇親の情を深めるのはまずいということであった。

 芳野氏は無邪気な(?)人柄らしく、連合のトップという認識があまり見えない。もちろん、人間同士だから、与党の人と仲良くして悪くはない。しかし、労働組合法は、会社経営に携わる人は末端であっても、組合員にしてはならない。まず、その認識があれば、自民党と財界が一蓮托生だという常識からして、きっちりケジメをつけるのが組合トップの姿勢である。

 メーデー挨拶に岸田氏を招待して、ご来駕は光栄ですとも語った。光栄なる言葉は、自分の価値や存在が認められてありがたい、しあわせだと思うのである。へりくだって歓迎の言葉を述べたというだけではよろしくない。

 首相職は政治家の中ではトップだろうが、国民からすれば国民のための仕事をする行政官の長である。国民が、首相と言葉を交わしたから光栄だというのは、官僚制国家、上意下達の専制国家である。別に、「よくきた、わたしは労働界総理だ」と突っ張れとはいわぬが、首相も国民も対等だという――民主主義の原則――くらいは弁えておきたいものだ。

 事情から考えて、岸田氏としては、将を射んとればとすればまず馬(失礼ながら)を射んとしたのだろうか。芳野氏が号令一下、連合組織を右へでも左へでも動かせるとは思わないが、組織を揺さぶる効果は小さくない。これは、世間では常識的解釈であろう。

 話を戻すが、矢田氏がこの程度の常識を持たないとは思えない。同僚だった議員は辞退するべきと忠告したそうだが矢田氏は応諾した。党代表の玉木氏の了解を得たかどうかわからないが、ゆ党から与党への動きをする玉木氏が反対はしないだろう。ただし、玉木氏のゆ党路線は、玉木氏のリーダーシップだからこそ支持があるので、岸田氏に党内をかき混ぜられて嬉しいわけはない。

 連合は国民民主党を支持しているが、すべて国民民主党支持ではない。そうすると、玉木氏の目算としては、この際、矢田氏に大活躍してもらい、連合をゆ党路線へ引っ張っていこうと考えたかもしれない。国民民主党は、たいした数ではないが、連合を取り込めば、ゆ党路線の足元が固まる。ただ、大願成就した暁に果たして国民民主党が存在するのかどうか。いわゆる発展的解消という事態に至るのではなかろうか。

 首相補佐官問題をなぜ注目するか。最悪の場合、労働界全体が存在理由を失いかねないからである。

 昔から「政財官、鉄のトライアングル」という。財界が本気で賃上げ優先の勤め人的パラダイスを支持しない。つまり、財界と一蓮托生の自民党が賃上げ優先を喧伝しても、絶対に本気ではない。

 その手管を例えれば、朝三暮四だ。中国春秋時代に宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、夜に四つとすると、猿が怒った。そこで朝四つ、夜三つにしたらおおいに喜んだという。(列子)

 賃上げすれば事業者を金銭的にバックアップするというのが、それだ。それは税金であり、賃上げを税金でするのと同じである。しかも、甘い顔をすると、あれやこれや増税策を講じるのは自民党の常套作戦である。

 安倍氏が賃上げを言い出したとき、勤め人の多くは官製春闘ナンセンスと指摘した。正解である。その後の推移を見ればよくわかる。ところが、10年も過ぎていないのにナンセンス論の声が小さい。

 思い出さねばならない。1990年代はじめのバブル崩壊から、日本企業は大変な苦境に至った。組合は人員削減、賃下げにも耐えて、会社を軌道に乗せるために全面的協力をした。経営回復後は、従業員にお返しするという約束だった。それが、まあ、政財界が恩着せがましく! 賃上げしましょうと語るのだから、厚顔無恥もほどほどにするべきだ。

 資本主義においては、利潤と賃金は対立関係にある。経営が円滑でなれければ賃金が払えない。経営が順風満帆になればトリクルダウンで、必然的に賃金が増えるというのが政財界の考え方だ。おこぼれ式経済政策の、政府が投資などで大企業を支援すれば、結果的に中小企業や社会福祉に役立つというトリクルダウンは、すでにバイデン大統領もきっちり否定した。しかし、日本の政財界は依然としてトリクルダウンが本音である。

 つまり、政財界の賃上げ推進論が本物になるのは、国民生活を第一の目標において政治・経済を推進することであるが、そのような考えは毛頭ない。手練手管を弄して人々を欺くことは可能かもしれない。

 しかし、いまの日本経済を眺めると、景気が良くなったというが、人々の生活は困窮度を増すばかりである。

 カネメの問題だけではない。果たして日本社会が元気だろうか。日本人は協調性が強いというが、目立つのは、むしろ人々が同調圧力に逼塞している姿である。自由と民主主義を謳歌しているとはとてもいえない。その反動がSNSでの非常識・非社会的な罵詈雑言に露見しているのではあるまいか。

 古代ギリシャの繁栄が潰えたのは、民主主義といえども奴隷が経済を担っていたのであり、奴隷は、決して労働の改善や革新に関心を持たなかった。現代的に言い換えれば、さまざまな差別が牢固としてあり、自由に発言し行動できない気風がまん延すると、社会活力はどんどん失われる。

 例えば日本経済を長期的に眺めて、徐々にでも上昇しているだろうか。どう見ても下降していて、その傾向に変化が見られないはずだ。現場最前線の勤め人がそれをいちばん認識しているだろう。わたしは、1990年代から一貫して、徐々下降がいつ反転するか、期待をもって観察してきたが、残念ながら事態はよくない。

 しかも、もっとも目立つ政治家の言葉が、事実と乖離し、言葉の信頼感がどんどん薄れている。トランプやプーチンを見て、嘘が真実を圧倒する事態のおぞましさを痛感した人は少なくないだろうが、彼らほど激烈ではなくても、日本においても同じような事情が徐々に深まっている。

 どなたさまも生活第一である。とにかく、現状に不満があろうがなかろうがしがみつくしかない。そして、時間は過ぎていき、当然ながら奇跡が起こらないかぎり事態が好転することはない。

 勤め人のみなさんに少し考えてほしい。自分の境遇を改善するために、もちろん努力をしているのだが、個人力は非力である。それが同じ目的に向かって集まれば大きな力になる。だから、組合に行こう――というのが提案である。そして、組合役員のみなさんには、自分がいまおこなっているのが組合機関活動であって、組合活動の本丸ではないことに注目してほしい。勤め人が圧倒的多数を占める社会において、なぜ、勤め人の発言力がないのか。組合活動は大衆運動である。官製賃上げを是認するのは止めよう。


奥井禮喜 ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人