月刊ライフビジョン | 地域を生きる

長生き町は「交流」が盛ん

薗田碩哉

 筆者のフィールドである東京都多摩市・町田市の東隣りにあるのが川崎市麻生(あさお)区である。川崎市の中心である沿岸部の工業地帯から多摩川に沿って上って行って、市のいちばん奥まった西北の隅にある区が麻生区で人口18万人、65歳以上人口は25%ほどで、川崎では最も高齢化が進んだ地区である。ところがこの区の住民の平均寿命は男84.0歳、女89.2歳で、いずれも日本一なのだという。5月28日付けの東京新聞は一面トップで、公園で体操する高齢者の写真とともに長寿日本一の区を大きく紹介している。

 同紙が厚労省発表の「生命表」に基づいて集計した一覧表を見ると、全国で1,887ある市区町村の平均寿命にはかなりの差があることがわかる。男女それぞれのトップ10は、男83.3歳以上、女88.8歳以上で、都道府県別にみると長野県が男女で6か所もあってダントツだが、神奈川県も川崎市麻生区のほか、横浜市青葉区や鎌倉市が入っているし、東京は女性の方に世田谷区と小金井市が入っている。逆にいちばん寿命の短いのはどこかと思うと、これは男女とも大阪市西成区で、男73.2歳、女84.9歳で、男性は1位と何と11歳近い差がある。女性はさほどではなくトップと4.3歳の僅差だが、ともかく大阪のあの辺りはあんまり長寿でないのは確かなようだ。しんがりの男女10市区町村は青森県と大阪市で占めているというのもいろいろ考えさせられる。

 隣り町が長寿の地域であるのは慶賀すべきことだが、いったいどういう事情でそうなったのだろうか。東京新聞の分析では生活水準が並み以上で環境が良く、健康意識も高いということが長寿をもたらしているという。確かに麻生区の辺りは高度成長期以後に開発された新興住宅地で、都心のサラリーマン層が戸建てやマンションの一室を購入して移ってきたという感じの町である。そして多摩丘陵の一角を占める台地の一帯には、開発を免れた広大な緑地が広がっていて空気もよろしい。高齢者が多いから健康への関心も高く、毎日15分以上歩いていると答えた人が88%もいて川崎市で最高、がん検診は35%が定期的に受けているという。また丘陵地で坂道が多く、公園が321ヶ所もあって市内では最多、散歩にはうってつけだ。この環境の良さが、工業地帯の同市川崎区の平均寿命、男78.8歳、女87.0歳との大きな差を生み出している。

 暮らしが安定していて居住環境もいいというのは健康生活の基本条件だが、もう一つ重要なことは人と人との付き合いがそこそこにあり、家から出かけて行ってどこかに集まり、仲間と話し合ったり趣味の時間を過ごしたりすることである。健康とは身体の問題に違いないが、五体満足で無病息災でありさえすれば完璧というわけにはいかない。人は肉体ばかりで生きているのではなく、肉体に宿る精神と、自分以外の他の精神とつながりあう社会性とを兼ね備えてこの世を渡っているのである。肉体的な健康は十全でも、精神的におかしくなったり、付き合いを拒絶して閉じこもったりしていては健康生活とは言えない。高齢期には多くの人が身体のどこかに不調をきたすものだが、それ以上に心の平安を失い、周囲とのコミュニケーション不全をきたしがちである。肉体と精神の健康、さらには社会的(社交的と言ってもいい、英語ならどちらもsocialという語になる)健康の3つがそろってこそ、健康長寿が約束されるのである。

 麻生区の長寿者たちは、食生活に気を使い、心安らかに、歩き回ったり体操したりしているばかりでなく、いい仲間を持って交流している人たちが多いのではないか。明確な調査データがあるわけではなく筆者の推測に過ぎず、またそうであってほしいという願望でもあるのだが、長寿ということの意味を確かなものにするためにも「交流」を健康づくりのキーワードとして捉えたいと思う。だって、たった一人で孤独に長生きしてもつまらないじゃありませんか。もちろん、わが道を一人歩んで充ち足りるような御仁もおられようが、大多数の凡人たちは長く生きたことを共に寿ぎ、それぞれの余力を集めて楽しい時間を生み出すことを望んでいるはずである。もはや権力によってつながるのでもなく、金の力に呪縛されるのでもなく、それぞれの個性を生かして交歓し、共にあることの醍醐味を味わう―それこそが「生きる」ということの奥義ではないかと思う。

 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。


【地域を生きる 2023年6月 子どものスポーツ・フェスティバル】

 町田市の競技場を会場に、おもしろスポーツを20種ほど集めたフェスティバルを開いた。スポーツと言っても競争がメインではない。普段はあんまり見られない用具を使って芝生の上で思い切り遊ぶのだ。うららかな五月晴れの日、子どもたち1200人の歓声が一日響いていた。(写真はバランスボール)