月刊ライフビジョン | 地域を生きる

孤立する高齢者をつなぎ合わせる

薗田碩哉

 この4月でめでたく80歳になった。言うところの傘寿である。70歳で古来稀なりのところをさらに10年の星霜を加えたのだから、これはもう大変なこと…であったのは昔の話、現在では80歳の同年生まれのうち男性でも52%が生き残っており、女性では何と74%と4分の3が健在なのである。たいした事どころかほとんど当たり前の話である。因みに90歳まで行くと男性は同年の3割しか残っていないが、女性はまだまだ半分はご存命だ。100歳まで行けば男は2%弱になるから確かに希少な存在だが、女性はまだ7%が頑張っている。いやはやたいした高齢社会になったものだ。

 仲間はたくさんいるようだが、やはり80歳の年波は半端ではない。「目歯耳」の3点セットはいずれも相当にガタが来て、眼はしょぼつき、大半の歯は入れ歯、耳の聞こえ方は絶望的に悪くなって、お得意だった会議の司会も発言がよく聴きとれず願い下げ。首から下も頼りなくなってすぐ疲れるし、少し歩けば足はしびれるし、自動販売機で買ったペットボトルのフタが全力を出さないと開かない…。頭の方は大丈夫かと言えば、昨夜の夕食のメニューが思い出せず、いま会った人の名前を忘れてしまって愕然とする。原稿だけは考え考え、今のところはまずまず書けているのが救いだ。さほど衰えていないのは人とのおつきあいで、コロナ禍でずいぶんと分断されはしたものの、スマホやメールやZoomという便利な道具で補いを付けて、なんとかコミュニケーションを維持している。

 地域でも超高齢者が目立つようになった。今のマンションで暮らし始めて16,7年も経つのだが、毎年何軒かの住み替えは行われるものの、初めから居ついている人が圧倒的に多い。当然、住民の平均年齢は上がっていく。当初は元気に息巻いていたおじさんたちも多くは好々爺と成り果てて、「子どもがロビーで騒ぐのがうるさい、遊ばせるな」vs「元気で賑やかに遊んでこそ子どもだ、遊ばせろ」という延々と続いてきた大論争も完全に下火になった。決着がつかないうちに当の子どもたちがみな子どもを卒業してしまい、若者たちのほとんどはどこかへ出て行って残るは老夫婦のみ。幼児がわいわいと遊び騒ぐ光景はもはや懐かしい思い出の世界になってしまったのである。

 マンション住民の交流の機会を作ろうと、東日本震災後に活発になったのが、正月の餅つき、夏のビアガーデン、その間、節分の豆まき、七夕飾り、ハロウィンやクリスマス会と続く年中行事のシリーズだった。「遊びの専門家」をもって任ずる筆者は、自らレクリエーション係を買って出て、あれこれ工夫して楽しんできたのだが、コロナ禍でなにもかもができなくなり、鳴かず飛ばずの3年が過ぎた。やっとコロナが感染症の5類相当に見直され(つまり普通のインフルエンザ並みになり)、地域イベントもやればできそうな条件が戻ってきているが、もはやそんな気分も意欲も見いだせない雰囲気である。かく言うレクリエーション係にしてからが80歳の大台に乗ってみると、旗振りの手元がいささかおぼつかなくなっている。老夫婦の世帯の中には配偶者を見送って一人暮らしになるケースも出てきて、家にこもりがちな生活が広がっていく。肉体的な老化現象が、次第に精神的な老化を進行させ、さらには「社会的老化」ともいえる孤独分断型の地域社会を生み出す気配がある。

  地域の高齢者を横につなげる仕組みとして、かつては「老人クラブ」というのがあって、筆者の若いころにはそれなりの存在感を発揮していた。定期的に集まって懇談したり、趣味の会を開いたり、街路の掃除を引き受けたり、地域のお祭りで出店を出したり…と今風に言えばボランティア活動に取り組んでいらした。しかし、いまどき、老人クラブはあるところにはあるようだが、会員は減少の一途で気息奄々の状態。確かに80歳の老人になっても「老人クラブ」に入ろうとは自分自身も思わない。

 高齢者でも女性たちの方が動きはいいようだ。筆者の連れ合いも同じ年頃だが、先般、地域の知り合いを語らって「ブロッコリーの会」というのを始めた(なぜブロッコリーかは聞きそびれた)。その趣旨は「新型コロナウィルスの感染拡大により、孤独になりがちな人の多い現在、気楽に“思い出を話し合える場”“話を聞いてもらえる場”を作り、不安を抱える人の居場所とする」というのだが、チラシを作って地区の集会施設に置いたらたちまち反応があって10数人が集まり、毎月、会合を開いて何やらしみじみと語り合っている。特に女性に限るとしたわけではないが、男性の参加は皆無である。

 男どもはどうしているのかと地区センターを覗いてみたら、一室に爺さんたちがたくさん集まって机を挟んでにらめっこをしている。見れば碁盤を並べて囲碁の勝負である。時々咳払いが聞こえる程度で静寂が支配している。男は無言を好むらしい。もっとも一局終われば、あれこれ囲碁談義に花も咲き、ついでに駅前の居酒屋で一杯という展開もあるのだろう。このセンターでは他にも健康マージャン教室とかカラオケの集いなんかもあって、男女入り混じって楽しむ会が開かれている。なんらかの趣味を持つことが他人とつながるための手っ取り早い方策には違いない。

 趣味の会のような気軽な集まりを土台としながらも、そこから「地域課題」の方に一歩踏み出してボランティア活動ができるといい。そのためには昔ながらの年齢階層別の組織はもはや期待できない。老人クラブはもとより、子ども会、青年団、婦人会などの世代別組織は軒並み機能不全に陥っている。高齢者も壮年も若者たちも一堂に会して話し合い、力を出しあって活動できるような、世代縦断的なつながりをどう作るか、というのがこれからの地域づくりの要諦であろう。


【地域のスナップ】大岡川の桜

 横浜の中心部を流れる大岡川は河口から上流まで両岸に桜並木が続いていて、年々、見事な花の行列を楽しませてくれる。この時期には川船が花見客を載せて行きつ戻りつしている。川面から眺める桜は、地上とは視点が違って格別な味わいがある。

◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。