月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

耐用年数延長について思うこと

音無祐作

 若い頃、所有していた乗用車で、ジムカーナの練習やサーキット走行を何度か経験しました。

 これらを本格的にやるには、ブレーキ、ショックアブソーバーを交換したり、ストラットタワーバーなどの部品を取り付けたり、スポット溶接を増やしたりといった補強改造を行うのですが、私の場合は、単なる遊びだったので、スピードリミッターの解除以外、ほとんどそのままの状態で、楽しんでいました。

 普通の生活をしている人が、たまに運動して筋肉痛になるようなもので、そうした走行の後は、あちこちガタが来るのが早まったような気がします。

 ところが、それよりも劣化を激しく感じた経験があります。

 腕を骨折して数か月、車を運転することができなかった時期がありました。回復して久々に運転してみると、バッテリーを交換してもエンジンのかかりは悪く、走り出すと、車体のあちこちからギギギーだとか、ギシギシだとか、変な音が聞こえてきました。

 おそらく、オイルやグリスが偏ってしまったり、切れてしまったりした部分が擦れて、異音を発生していたのだと思いますが、機械というのは、使わなくてもずいぶんくたびれるものなのだなと、変に感心しました。

 長野県佐久市にある博物館「130 COLLECTION」に展示されている自動車は、全て実動可能だそうです。なかには生産から50年以上経過した車もありますが、どれも新車時と同等か、それ以上の性能を有しているとの事。実動可能とはいえ、博物館ゆえ、そんなに動かす機会は少ないでしょうに、必要なメンテナンスや日々の確認作業を怠らなければ、複雑な機器の性能を維持し続けるという難しいミッションも可能だということでしょうか。

***

 原子力発電に関する政策が大きく転換され、これまでは例外としても最大60年としていた運転期間を、停止していた期間を除外することで、60年を超えての稼働が可能になるようです。

 私は、原子力や建築構造物についての知識は、ほとんどありませんが、家も人が住んでいないと早く劣化するという話もよく聞きます。それでも、専門家によるチェック機能が働いていれば、安心なのかもしれませんが、肝心の原子力規制委員会は、「政策で決まってしまったものは、仕方がない」という諦観としか受け取れないような雰囲気を滲ませています。

 原子力発電には、安全の問題はもちろん、放射性廃棄物の問題など、まだまだ課題が山積していると思います。

 欧州を中心とした世界からは脱炭素対応の遅れを指摘され、国内からは経済を停滞させぬよう安定した安価な電力供給を要求されるからと言って、拙速に原発重視に舵を切り、政治判断最優先で原発の稼働年数を延長するのは、いかがなものでしょうか。