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医療と介護の狭間にて

渡邊隆之

 昨年末、父が腸閉塞で緊急入院することになった。年末年始で病院が休みになる前になんとか入院ができホッとしていたのだが、年が明けた現在も入院中である。腸閉塞自体は解消したものの、絶食に伴う点滴や経鼻経管での薬剤投与で安静状態が続いたため手足の筋力が衰え、嚥下能力も低下し経口摂取ができていない状況にある。90歳の高齢ではあるが意識ははっきりし会話もでき、新聞も読めている。しかし、次のリハビリ先がなかなか決まらない。

 ネットで調べると1週間の安静状態で15%の筋力低下、3週間で50%の筋力低下となるのだそうだ。しかもこのコロナ禍である。入院時に財布など身ぐるみ剥がされ、オムツや排尿用の管をつけられ、コロナ感染防止のため親族と全く会えない、加えて絶食となれば健常者でもうつ病になったり認知機能が著しく低下してしまうのではないだろうか。

 このコロナ禍で医療従事者も多忙なためやっと、入院後3週間を過ぎて、主治医からの説明を聞くことができた。認知機能の低下の説明を受けその後、防護服を着て父に会ったのだが、孤独に伴う精神的ダメージがかなり大きかったようだ。筆者に会うなり感激し涙を流し、2言3言言葉を発するのみでその日は父と別れた。

 あまりに可哀想なので、後日、父が結婚当初の母との写真や家族の写真をコピーし、手紙・新聞とともに病室に届けると、心が大きく揺さぶられたようで「明日退院するからコートを持ってきてくれ」とか「先生に何か食べさせてもらえるようお前からもお願いしてくれ」と、意識が覚醒して入院前の父とほとんど変わらなかった。手足のリハビリは今の入院先でもできるので積極的に取り組んでいる。

 経口摂取に関してはむせる等の状況があると医療機関では誤嚥性肺炎のリスクを恐れ、それ以上は嚥下障害のリハビリはなかなか行われない。嚥下障害リハビリは言語聴覚士や摂食嚥下障害看護認定看護師によるリハビリが有効らしいのだが、圧倒的に人数が少なく、一般病院ではそのリハビリを受けられない。また、歯科医や歯科衛生士も嚥下障害リハビリができるらしいのだが、医療機関によってはそのようなリハビリは実施されない。のどの筋力は「呼吸」「嚥下」「発声」にかかわり生命維持に重大な影響を及ぼすにもかかわらずである。

 リハビリ病院に転院させたくても、長く続いた廃用症候群の症状の結果、中心静脈栄養など管からの栄養摂取の場合には、感染症リスクがあるとして受け入れがされない。これに対し胃に穴を開け管を通して直接栄養を摂取する「胃瘻」の場合は管理がしやすいとの理由で受け入れ先が広がるのだそうである。モンスタークレーマーが多い昨今、リハビリ病院としてもリスクを回避したいのだろう。

 本来は治療行為ののち、すぐにリハビリ病院等に移行できれば廃用が起こる確率も減り、患者やご家族の心に寄り添える対応になるはずである。これができないのは医療制度と介護制度の明らかな不備である。筆者の父に万が一のことがあった場合は、高齢ではあるものの、やはり今の医療・介護制度の犠牲者なのだと思う。メディカルソーシャルワーカーに相談しても、法律上、このようなメニューしか提供できないと埒が明かない。ネットで検索すると90代の超高齢者でふとしたことで入院したことがきっかけで廃用症候群になり中心静脈栄養など管の装着があるばかりに、寝たきり状態、あとは死を待つだけと途方に暮れる患者やご家族の苦悩に関する記事を数多く目にしてきた。また、必要か定かでない場合でも医療現場での管理のしやすさからか中心静脈栄養が長期間施され、本来の身体機能の廃用につながらないかと問題視する指摘もある。治療で命はつなぎとめたもののリハビリ等の遅れのリスクを知識のない患者やその家族が常に甘受しなければならないのだろうか。医療や介護の現場でも患者らの悲痛な叫びがあるのに医療関係者等からなぜ改善しようとの声が上がらないのか。また、多くの患者やその家族の悲痛な叫びに対しなぜ医療機器等のテクノロジーの進展による解決が図られないのか。医療や介護の現場従事者の過酷さは重々承知しているが、働く現場の仕組みの中で「個人の尊厳」の担保という観点が抜け落ちてはいないか。

 筆者は前職を退職した際、保育士と介護初任者研修の資格取得を考えたことがある。前者はこれからの人々の人格形成に関われること、後者は「いい人生だった」と人生の終末期に自己肯定感を持ってもらえるように働きかけができると考えたからである。

 筆者の前職、接客業の現場では看護学生もアルバイトに来ていた。そして、アルバイトを卒業するときに「仕事は慣れた時ほど注意しなさい。」と戒めとして話していた。「看護の現場では多くの死を目にすることになるだろう。しかし、そのことに慣れてはいけない。最後の命の灯が消えるまで尊厳ある一人の人間なのだから。」と。筆者は仕事上、法律に携わる場面が多いが、法律家であれ医療従事者、介護従事者であれ、ある技術のプロであっても必ずしも患者やご家族の心への寄り添いのプロであるとは限らない。どんな仕事であれ心をこめて仕事をするため人間力を高める必要がある。

 いまの政権は少子化対策であれこれ策をひねっているが、この終末期の医療・介護の事情を考えると、最後の「個人の尊厳」が担保されない国に生まれることが果たして幸せなのか、答えを見つけることができない。「老年期に大往生したいなら、医者に行くな。些細な発熱なら医者に行くな。医者に行くと体力、筋力、嚥下力を奪われかえって死期を早めることになる。」と警告する医師もいる。

 父も点滴栄養で体重が落ちているであろうが、筆者も突然のことで門外漢ながら多くの医学書を取り寄せ、解決策を模索し、気がつけば夜が明けていたり、朝食が午後8時過ぎになっていたりで順調に(?)体重が落ちている。細い糸を手繰り寄せて少しでもよい解決策がないか、今晩も医学書に目を通している。 

 ※廃用…過度な安静が長期間続いたり活動性が低下することで、筋力低下や心肺機能の低下、うつ状態、褥瘡など、身体に生じた様々な状態のこと。

 ※経口摂取…口から食べ物を摂取すること ※経鼻経管栄養… 細いチューブを 鼻−のど−食道−胃 へ通して栄養剤や薬剤を投与する方法。手術の必要がないが、チューブが鼻腔や喉を通るので、口からの食事との併用や嚥下訓練を行うのが難しくなる等のデメリットがある。 

 ※中心静脈栄養…食事が口から摂れない患者や体力低下を防ぐ必要のある患者の為に有効な治療法で、高カロリーの栄養輸液を体内の中心に近い太い静脈から継続的に入れる方法。通常の腕の細い血管の点滴とは違い、太い静脈からのため血管を刺激しないで苦痛なく必要な栄養分を補える。ただし、カテーテルの挿入部から細菌が侵入して感染症を起こす恐れがある等のデメリットがある。

 ※胃瘻…おなかに開けた穴にチューブを通し、直接、胃に食べ物を流し込む方法。口から食事もでき、嚥下訓練やリハビリもできるが、手術の必要がある等のデメリットもある。