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投票に行って政治に緊張をぶち込もう

司 高志

 日本では、役職と給与が密接な関係にあり、役職が上になるほど給料が増えていく。出世しないと給料が上がらないシステムだ。このシステムは今でも生きて機能している。そのため、悲劇と喜劇が一緒に起こってしまう現象が生まれてくる。

 年功によっても給料が上がっていくが、役職のジャンプが起きないと給料は大きく増えることはない。

 そこで、現在の役職を頑張ると、論功行賞的なご褒美が次の役職へのジャンプである。あくまでも、今の職を頑張ったご褒美であり、その次の役職で成果を上げることを見越してのことではない。

 ゆえにここで悲劇が起きるのである。次の役職で成果を上げる適性があるかどうかはあまり判断の対象にはならず、とにかくご褒美であるので、たとえ適性がなくてもその役職をこなす。当然パフォーマンスは落ちるのだが、失点があるわけでもなく、次の役職にも上がれず、そこに長くとどまることになる。

 こうして迷惑を受けてしまうのが、その上司の部下となって働く人である。部下の人にとっては悲劇だが、周りで冷静に客観的に見ていれば、その役職においては無能と思える上司が自らは「おれはできる上司だ」と思いながら、的外れの仕事をしているさまは、喜劇みたいに見えてしまう。

 こうして適性のないどうにもならないヘロヘロな上司が存在してしまい、その役職の成果を上げていないにもかかわらず、その役職を単にこなして給料をもらう無能な上司となってしまうのである。

 こういう状況が慢性化し、無能な上司が多数存在するような組織は活気がなくなる。企業であれば当然業績が上がらなくなる。

 だが公務員の組織なら何とかなる。稼がなくても毎年税金が投入されるのでどうにかやっていけるのである。

 しかし、このシステムで最もたちが悪いのが政治家に適用された時だ。

 トンデモ大臣がテキトーに任命され、コロコロやめていっても屁のカッパで、さらに次々任命され続けるのだ。

 この大臣の任命も論功行賞的に行われ、企業よりもさらに悪いのは、仕事の実績ではなく、基準は当選回数だ。だから無能大臣の量産体制に入っており、本当に仕事のできる大臣がいない。

 これだけでも日本は不幸な国なのだが、政治家トップの総理大臣までもが、上がり役職と化している。

 現総理は、政治家としてやりたいことなど、これっぽっちもないようだ。目標は総理になることそのものだった。

 いってみれば、小学生あたりに「将来何になりたいか」と聞いたのと同じレベルだ。いやそれ以下だ。小学生は社会の厳しさを知らない分だけ割り引いて考えないといけないが、総理の場合は多くの経験をしてきているはずなのに、それがちっとも生きていない。

 小学生ならば、プロ野球選手とかサッカー選手とか、歌手や俳優というような答えが返ってきそうだが、それで問題ない。(ユーチューバというのもあったみたいであるが、最近では夢がないので、公務員とか言いそうだが・・・)

 今の総理は、小学生レベル以下で、「君は何になりたいか」と聞かれて、「総理大臣です」と屈託なく答えているみたいなものだが、これでは本当に日本が不幸になる。はてさて実は何がやりたかったのか、個人的に分析するとしよう。

  本音の部分では、「権力を使いまくりたい」というのが、本人も自覚できていない願望なのではないかな。

 そして自分が権力を使っているという実感が爆上がりするのが、日本国民を苦しめる政策を打ち出す時ではないかと思えてくる。

 国葬だ―。防衛増税だ―。とにかく増税だ―ッ。こういう時に無意識に喜んでいるのではないか。本人も気づいていないから、行き当たりばったりの政策をしているようだが、日本国民を苦しめる政策を打ち出す時が最も充実した時間だろう、と思えてくるのだ。

 しかし、当選回数や根回し上手だけで大臣や総理を選んでいると、とんでもないことが起きてしまう。国民の意思を表明するもっとも簡単な方法は、選挙に行くことだ。下手をすると議席が大幅に減るという緊張感を持たせないと好き勝手に閣議決定されてしまう。次の統一地方選で目覚めて、ぜひ選挙に行っていただきたい。できるならば、政治に緊張が生まれるような投票行動をしていただきたい。