月刊ライフビジョン | メディア批評

励まされる先輩記者のメディア批評

高井潔司

 私の尊敬する読売新聞の先輩に前澤猛氏がおられる。本欄の執筆にもいろいろとご教示とコメントをいただき、時々その名が本欄に登場するのでご記憶の読者もいることだろう。前澤氏は1950年代に読売新聞入社、司法記者、論説委員として活躍された。1980年代初め、現在も読売のトップの座にある渡辺恒雄氏が論説委員長に就任後、前澤氏は論説委員を外された。退職後、大学教授として新聞、報道の倫理に関する多数の著書も刊行されているが、2002年にコスモヒルズ社から出版された『表現の自由が呼吸していた時代——1970年代の読売新聞の論説』は出色だ。同書には1970年代に前澤氏が書いた社説400本と短い解説が掲載されているだけだ。しかし、同書を読めば、80年代以降社論の統一を掲げ、いまなお主筆として君臨する渡辺恒雄氏の率いる現在の読売社説がいかに変わったか、それだけでなく日本のメディア論調がいかに変わり、それが戦後民主主義の危機をもたらしているかが、よく見えてくる。(その考察は後段で)

 前澤氏はすでに90歳を越えておられるが、メディア批評に関してはいまも現役。毎日のようにフェイスブックで新聞批評を展開されている。私は月一度の掲載なので、どうしても前澤氏の後追いとなることが多い。それどころか、紙の新聞はざっと目を通す程度の私と違って、前澤氏は各紙を比較しながら、丹念に記事を読み込んでいるので、前澤氏のフェイスブック投稿を見て、「そんな記事が載ってたの?」とあわてて新聞をひっくり返すこともしばしばだ。今月取り上げる「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」にかんする記事もその一例だ。

 前澤氏は1月25日付読売新聞の「有識者会議で出た主な意見」という記事の切り抜きを貼り付け、「会議の議事録が24日公開され、発言者が明記されました。『反撃能力と防衛産業力の強化』を力説した山口氏とは、どういう経歴、肩書の政治家でしょうか?と問うている。

 貼り付けられた記事を読むと、この山口氏は「最も優先されるべきは、有事の発生それ自体を防ぐ抑止力であって、抑止力に直結する反撃能力、つまりスタンド・オフ・ミサイルではないか。国産の改良を進めつつ、外国製のミサイルを購入して、早期配備を優先すべきだと考える」「防衛産業を国力の一環と捉え直し、自由で開かれたインド太平洋の安保環境の整備につなげるといった大きな視点に立って、防衛装備品の輸出拡大を、日本の安保理念と整合的に進めていくための対策が検討されるべきだ」と発言している。さてこの山口氏とは? 前澤氏は問いの後に、「いいえ政治家ではありません。読売新聞グループ本社社長・山口寿一氏です」と答えを明かしている。

 私はこの会議の議事録公開について、朝日新聞の記事を読んでいた。朝日は25日付の2面で「安保戦略の議論 発言者を明記」「有識者会議議事録公開」との見出しで、議事録が発言者の名前も付けて公開されたと伝えている。その上で、元防衛次官や財界人、シンクタンクの所長などの名前と発言の一部を紹介している。有識者会議は12月政府が行った、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有を認める安全保障関連3文書の改定に向けて設置され、改定の根拠の一つとなった。しかし、会議のメンバーの名前も公開されず、批判を受けていた。朝日の記事を読んで政府も渋々、議事録を公開したのかという程度の感想しか持たなかった。朝日の記事は「有識者会のメンバーは金融や報道機関の幹部らも含めて計10人」とあるが、報道機関の幹部名や発言内容には全く触れていなかった。

 前澤氏がフェイスブックに投稿した読売の記事も朝日同様2面の同じ位置で、見出しこそ「反撃能力必要、相次ぐ」「議事録異例の全文公表」と派手だが、文字数もほぼ同じ扱い。私は読み飛ばしていた。ところが、読売は別の面の一ページすべてを使って、詳細に議事録の要旨を掲載していた。前澤氏の投稿は、このページも読んだ上でのこと。

 前澤氏は先の投稿に続いて、さらに「日本のジャーナリストの総意でしょうか?」と問いかけ、「前記の防衛力に関する有識者会議には新聞界から以下の二人も参加していて次のように発言しています」と、日経WEBからとして、その発言内容を紹介している。

 船橋洋一・国際文化会館 グローバル・カウンシルチェアマン(注:朝日新聞OB)

 国力を超えた防衛力は持続性がない、しかし抑止力が大きく崩れるとかバランス・オブ・パワーが崩れるような状況変化が起こっている時には、国力以上の防衛力を前倒しで担保しなければならないときもある。国力はその潜在力を引き出すことで可変的になりうるということだ。ガバナンス・イノベーションが大切なゆえんだ。

 喜多恒雄・日本経済新聞社顧問

 防衛産業の育成・強化も不可欠だ。企業が防衛部門から撤退するというケースが出ている。競争力のある国内企業がなければ、優れた装備品などを国産化することは不可能だ。特にこれから強化しなければならないサイバー部門に民間企業が人や資金を投入しやすい、そういう環境をつくるのも国の責務だ。国を守るのは国全体の課題だから、防衛費の増額には幅広い税目による国民負担が必要なことを明確にして、国民の理解を得るべきだ。

 前澤氏の投稿はこれにとどまらない。翌26日には、「国際緊張に迫られている沖縄、九州の各新聞の論調が、本日配達された『日本新聞協会報』に掲載されていました。岸田首相や一部新聞人の「防衛力増強路線」をはっきりと拒否しています」と、協会報の切り抜きも貼り付けていた。

 以下は前澤先輩の名批評を離れて私の妄想。読売はなぜかくも政府のお先棒を担ぐ突出した自社の社長の発言をここまで大きく扱うのか。(ちなみに毎日新聞は読売の扱いを見て慌てたのか、翌日の紙面で、議事録のうち、防衛力増強に伴う予算措置などについて、国民の理解を得るため政府が説明と情報公開に努めるべきという意見があったことだけを紹介している。こんなピンボケ報道では議事録公開の意味がない)

 一つは社内向けに社長の発言を明確にして社論の統一を図るという意図。一つは社長に向けて記者、編集者が忠誠を示す意図。一つは政府方針に対して、読売の支持の姿勢を示す意図。

 現役の社員に聞くと、私の在職中は1000万部を有した読売の発行部数も公称650万部を切り、もはや新聞発行自体は赤字に転落しつつあり、他の事業での利益で新聞発行を賄うという体制に入りつつあるという。その場合、とりわけ政府の地方復興予算などにどれほどかんで広告や事業費を稼ぐかが重視されているそうだ。

 いずれにせよ、社長の発言を大扱いして報道すること自体、自ら表現の自由を著しく狭め、紙面から多様な議論を遠ざけることにつながるだろう。

 前澤氏のひるまず、たゆまず、あきらめずの新聞批評の姿勢に、これからも学びたい。

 1967年に茨城県で発生した強盗殺人事件で二人の青年が逮捕され、78年7月最高裁で、一審の無期懲役判決(70年)が確定する。その際、前澤氏は「えん罪の訴えと最高裁の対応」という見出しの社説(78年7月6日)、「えん罪の疑いが持たれている事件が、また一つ、最高裁によってあっさり有罪間違いなしとされた」と書いた。そして、最高裁の決定文に沿って、その誤りをきちんと指摘した。この事件はその後再審請求が起こされ、2011年ようやく再審の結果、無罪が確定した。再審決定を受けて保釈された時、元被告は、記者会見で、この社説が30年余の再審を戦う心の支えとなったと感謝の弁を述べたという。最高裁の判決、決定について、疑いをさしはさむような社説はその後書かれなくなっている。

 もう一つ「表現の自由が呼吸をしていた時代」の社説を紹介する。1979年5月31日読売社説「尖閣問題を紛争のタネにするな」である。これは前澤氏の作品ではない。この社説は、尖閣諸島の所有権問題について、「日中平和友好条約で領有権問題は“触れないでおこう”方式で処理された。日中双方共領土主権を主張し、現実に論争が存在することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つ事で日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書になっていないが、政府対政府のれっきとした“約束事である”ことは間違いない。約束した以上はこれを遵守するのが筋道である。園田外務大臣は『我が国は刺激的、宣伝的な行動は慎むべきだ』と国会で答弁した。それが日中間の了解事項に沿う姿勢だと思う。今後とも尖閣諸島に対して慎重に対処し、決して紛争のタネにしてはならない」と主張した。

 読売の2022年9月11日社説「尖閣国有化10年 中国の実効支配の試み許すな」では「歴史的にも国際法上も、尖閣は日本の領土であり、中国側の主張には何の根拠もない」と大きく様変わりしている。


 ◆ 高井潔司 メディアウォッチャー 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。