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21世紀的「死の舞踏」

奥井禮喜

 「死の舞踏」という言葉には妙に惹きつけられる。死の恐怖を前にして半狂乱の人々が踊り続ける――14世紀の話である。

 戦争とペストの時代

 当時欧州は100年戦争である。フランス王位継承問題に、羊毛工業が盛んなフランドル地方領有問題がからまって、イギリス・フランス間で1337年から1453年までの116年間断続的に続いた。

 イギリス軍は1430年ごろまで優勢で、フランス北部・南西部を占領した。北東部シャンパーニュ州の農民の娘ジャンヌ・ダルク(1412~1431)が、1428年救国の神託を受けたと信じ、シャルル7世に献策して軍を委ねられ、イギリス軍を撃破し、翌年オルレアンを奪還したが、イギリス軍に内通するルーアンの司教らによって異端の判決を受け火刑された。

 また、黒死病といわれたペストが大流行した。1347年から1350年が最悪期であった。ペスト菌は鼠類の病原菌で、蚤を介して人間に伝染する。潜伏期間は1日~7日で突然悪寒高熱を発して倒れる。ちなみにペスト菌が科学的に発見されるのは1894年であった。

 王が戦争を始めても、儲け話に利用する連中は少なくないが、抗議する人はいない。戦争が続き、原因不明のペストが大流行して人口の3~5割が落命したとも伝えられる。信仰深い人が多く、迷信深い人はもっと多い時代である。

 ラテン語にメメント・モリ(memento mori)という言葉がある。死を想え、死を忘れるなという警句である。古代ローマでは、どうせ死ぬのだからいまを楽しめという意味に使われたらしい。

 キリスト教では、牧師が現世のはかなさを語り、来世に思いを寄せるようにメメント・モリを使って説教したが、その傍らで突如踊る人があり、さらには集団で踊り出したという。これが「死の舞踏」である。いわば集団ヒステリーであろう。

 日本では1867年後半に、近畿・四国・東海で「ええじゃないか」と叫んで踊るブームが発生した。天からお札が降ってくる、世直しでええじゃないかという調子であった。こちらは世直しの民衆運動、倒幕派の陽動作戦などの説があるが、いずれにせよ、心理的に行き詰った社会においては。集団ヒステリーが発生しやすいと考えられる。

 ホルバインの作品

 「死の舞踏」は、一時的集団ヒステリーに終わらなかった。死を表す骸骨が人々を巻き込んで踊る絵画・壁画・版画として芸術作品が生み出された。

たとえば有名なところでは、ホルバイン(1497~1543)の版画がある。すべては無に帰る。人々が死の普遍性を認識し、恐れたり逃げ出したりせず直視するという意味があるのはまちがいないだろう。

 作品は、死が擬人化されており、人々と骸骨が手を取り合って踊りながら墓地へ向かうという調子である。ポンチ絵風というか、どこかユーモラスだ。

 ホルバインの最初の版画は1538年である。ペスト騒動から188年後であるが、世の中を覆う雰囲気が出直し的に変わってはいなかった。彼は南ドイツに生まれ、18歳にして画家としての赫々たる名声をものにしていた。

 画家はあちこち旅して修行した。知り合ったエラスムス(1466~1536)はイギリスへ行ってモア(1478~1535)に会うように勧めた。モアは大政治家であり、自由な社会『ユートピア』(1516)を書いた作家でもある。

 ホルバインはモアの伝手でヘンリー8世のお抱え画家になる。人気も上々、ところがモアがヘンリー8世の離婚問題に反対し、反逆罪に問われて処刑された。ホルバインと王室との縁も切れた。木版画「死の舞踏」は、モア処刑の3年後出版であった。

 ルター(1483~1546)の宗教改革は1517年である。インチキ免罪符濫発販売に怒り、95カ条の論題を公表して改革の火ぶたを切った。宗教上の論争だけに止まらず、旧教派と改革派の対立はまさに血だらけの戦争になった。

 エラスムスは「平和の訴え」(1517)を発表した。いわく、キリストは愛を教えた。神なきところ平和なく、平和なきところ神見出せず――とする。彼もまた教会の思想・制度的欠陥、教会関係者の悪弊を批判してきた。しかし、ルターは神の兵士として剣をもって戦えという。エラスムスにすれば福音の著しい歪曲である。批判を浴びつつもエラスムスはルターと与しなかった。

 このような連関を想うと、エラスムスやモアと親しかったホルバインは、単に死の普遍性をモチーフとしたのではなかっただろう。

 死の普遍性とは、こういうことだ。人間は生まれた瞬間から生まれる前に向かって歩み始める。幼子が成長してやがて大人になっていく過程はキラキラ輝いているから、死を想うことは少ない。事実は、成長すなわち死への接近である。老いはマイナスの成長である。成長はマイナスの老いである。

 古代ローマのメメント・モリの考え方は、どうせ死ぬのだからいまを楽しめという点において、死の舞踏に通ずるひ弱さ(逃避性)が感じられる。事実を直視して芸術に高めようとする画家は逃避性をただ模写しないだろう。なんとなれば芸術とは人生における闘いの典型だからである。

 「死の舞踏」という言葉にも、それを描いた作品にも、どことなく滑稽味が感じられる。それは喜劇性を用いて表現した悲劇というべきだ。どうせ死ぬんだから、どうせ死ぬならおどらにゃそんそんという絵なのであるが、おそらく主張したいのはその逆だろう。

 踊って忘我状態になれば、なるほど苦悩は消える。一方、ただ忘我状態になるだけではなく、なにかをなす。なにかをなす忘我=熱中(主体的)と、忘れること自体の忘我=消耗とは、おおいに異なる精神状態だと考えられる。

 たしかに人生は苦労や苦悩が引っ張っているかもしれない。しかし、消耗的忘我状態を歓迎する気分にはなりたくない。ホルバインは若くして諸国を旅し、優れた人格と出会って学んだ。エラスムスはルネサンス期のヒューマストとして第一級の人物である。彼の親友モアも気骨あるヒューマニストだった。

 ホルバインは、なにかをなす忘我=熱中を求めたはずだ。このように考えると、ホルバインの「死の舞踏」と、モアの「ユートピア」、エラスムスの「平和への訴え」が、平和に対する切実な通底音として聞こえてくる。

パペットだらけの21世紀

 いまの世界は、立派そうな言葉を並べてはいるが、政治家はいずれ劣らぬパペット(puppet)だらけに見える。しっかりした思想をもたず、なにかによって操られる人形みたいである。

 たとえばプーチンは、単純(単純なほど危険)国粋主義者にして一知半解の歴史観(思い込み)を振り回す無頼漢で、銭儲け主義の取り巻き連中にしてやられているのは疑いない。公安系の人種は他者をあげつらう技術は優秀だが、理屈は借り物ばかりで、自分のものになっていない。まして、自己認知はほとんどできない。エラスムス『痴愚神礼賛』流なら、暗愚の神のパペットである。暗愚の神は、身についていない知識を振り回す輩が大好きである。

 岸田氏は、アメリカのパペットである。安倍氏が、アメリカに逆らったらいかんと語ったが、おおかたの自民党連中はこの気風だ。アメリカは、一貫した軍事国家・戦争国家である。お付き合いするには武器を買うのがいちばんと考える。まあ、開き直って米軍番犬説をうそぶいて、お体裁を整え自己納得しているかもしれないが、客観的には国粋主義者どころか買弁的である。

 自民党に統一教会となかよしが多い。いかに選挙で票がほしいからといっても、国粋主義からすればあまりにも無節操である。票のために思想も売るのはまさにパペットそのものである。

 客観的には政治家はパペット揃いに見えるが、パペットは自分をパペットとは思わない。それどころか、有権者をパペットと見ているだろう。これも古今東西、普遍的現象である。

 いまにも日本が戦争に巻き込まれるような言葉を語る政治家がいる。本当にそうならば、のほほんとしてはおられまい。反撃能力を持ったつもりでも、相手はガンガンやってくると考えるのが常識だ。なんと、わが国民にはシェルターもない。電源が破壊されるならば軍事力を支えるエネルギーもアウトだ。

 客観的には、国民を脅かせば、軍事力増強に好都合だというのが本音で、戦禍にまみえることはないというのも本音だろう。反戦、平和の主張をすると平和ボケとけなす向きがあるが、実は政府与党にはオオカミ少年が巣くっているように思えてくる。

 日本国土はまったく戦争に不向きである。少なくとも、岸田提案が国民を絶対に守らないことだけは疑いがない。にもかかわらず、あたかも安全へ向かって進んでいるがごとき言葉を繰り出すのは、もはや詐欺行為でしかない。

 パペット政治家は、分不相応にも国民を自分たちのパペットだと考えているフシがある。かつてハミルトン(1754~1804)は--The people,your people,Sir,is a great Beast――と語った。いかに聞く耳を強調し、ていねいな説明と称して紳士淑女的言辞を弄したとしても、真実味のない内容では説得力が出ない。岸田氏とて、巧言令色鮮なし仁という言葉をご存知だろうが——

 21世紀においても、人々は「死の舞踏」を続けている。14世紀の人々とは異なって、戦争が人間の悪行であり、天変地異とは異なって人間が止めればよいことも知っている。

 1月24日『原子力科学者会報』の終末時計に、「残り90秒」が記録された。1947年以来、最短=最悪の数字である。同時期、ドイツとアメリカは、ウクライナへ戦車を送ると発表した。止めなければ戦争は続く。止めることと、戦争継続と、いずれの価値が大きいか。この理屈がわからない人は少なかろう。

 「死の舞踏」に描かれた人々は人間だった。終末時計を見ているのは、いったい人間なのだろうか。人間ならばなんとかしようと思う。しかし、パペットであれば、なんとも思わないだろう。700年前の「死の舞踏」に感じる親近感に比べると終末都計のインパクトが弱く感じられてならない。


 ◆ 奥井禮喜 1976年、三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開発実践、著作「老後悠々」「労働組合が倒産する」を発表し、人事・労働界で執筆と講演活動を展開。個人の学習活動を支援するライフビジョン学会、21組合研究会を組織運営。