月刊ライフビジョン | メディア批評

危ない、中国報道のバイアス

高井 潔司

 10月は5年に1回の中国共産党大会が開催され、むこう5年間の最高指導部の人事体制と党の指導方針が決まった。中国は憲法で共産党が指導する国家として定められているので、共産党の政策方針は即国家の方針ということになる。党大会に関する日本のマスコミの報道では、「習近平主席が異例の3期目」「台湾への武力行使辞せず」と、中国の脅威や異常な体制を印象付ける見出しが躍った。

 だが、習近平総書記の政治報告などを読んでみると、「武力行使辞さず」といった表現はなく、日本の報道は、事実よりも各メディアの意図や解釈が前面に出ていた感がある。その上で、「台湾侵攻、現実味増す」(読売24日付連載上の見出し)といった見出しを見ると、ちょっと煽り過ぎではと言いたくもなる。

 報道ではまず事実とその背景をしっかり伝え、その上で解釈や評価を加えることが大切だ。以前は、政治報告があれば、その要旨なども掲載され、実際にどんな発言があったのか、確かめることもできたが、今では中国共産党のホームぺージで確認しなければならない。その全文というと総書記が数時間かけて読むという代物だから、該当部分を探すのがやっかい限りない。

 それはさておき、かく言う私とて習近平政権の強権化を危惧しないわけではない。しかし、強権化する背景をしっかり分析した上で、対応策を考えなければ対応を誤り、脅威を現実のものにしてしまう恐れを高めることになるだろう。

 まず台湾への武力行使について、習総書記の政治報告では、NHKなどが連日伝えた「武力行使を辞さない」ではなく、朝日が伝えているように、「平和統一の実現に向け『最大の努力を尽くす』としつつ、外部からの干渉や台湾独立勢力に対しては『決して武力行使の放棄を約束しない』」と述べたのだ。その朝日も「述べた」ではなく「と言葉を強めた」と朝日なりの感情表現が出ている。「辞さない」と「約束しない」ではずいぶんニュアンスが違ってくる。「約束しない」というのは、台湾独立の抑止するための歯止めとして述べているに過ぎず、決して、独立の動きがないのに武力で統一すると言っているわけではない。

 そもそも日本やアメリカは、中国との国交正常化にあたって、「中国は一つ」という中国側の主張する原則を「尊重する」とし、その後もその原則に配慮する政策を取ってきた。

 しかし、近年、中国の大国化に伴って、アメリカは中国を競合相手として警戒し、中国を封じ込める政策に転じた。最近では中国をアメリカ中心の世界経済から切り離すデカップリングの動きが進みつつあると言われている。台湾問題でも、しばしばアメリカは台湾有事の際には台湾を防衛するとバイデン大統領さえ口にするようになり、下院議長という高官が台湾を訪問し、中国の神経を逆なでした。台湾への中国の軍事的圧力はますます高まっているのは事実だが、その背景に、アメリカなどの(中国側から見れば)挑発行為が重なっていることを見のがせない。

 日本のマスコミ論調でも台湾を一つの独立国であるかのような前提で台湾問題を論議するようになっている。私はそれに反対しているわけではないが、アメリカや日本がそのように立場を変化させるなら、なし崩しではなく、きちんと国論を整理する必要がある。そうでなければ、中国側の疑念はますます高まり、強硬な姿勢を打ち出すようになる。

 つまり、中国の強権化は、決して習近平氏の権力独占欲や狂気から出てきているわけでなく、中国切り離しの動きが高まる中で、その対抗策として形成されてきたといえる。トランプ前大統領の唱えた「アメリカファースト(アメリカ第一主義)」はバイデン大統領にも引き継がれ、それに追随する日本も強権化の一因になっていることを踏まえた上で、日本としてアメリカに追随しているだけでいいのかどうか、しっかりと中国問題を論じ、今後の中国政策を考えてく必要がある。

 異例の3期目といっても、わが安倍首相も自民党規約を改正して3期を務め、歴代1位の首相在位期間を達成した。それが主な理由で国葬まで挙行されたではないか。まだ69歳の習近平氏が国家主席を務めるのは決して異例のことと言えないし、驚くに値しない。中国を取り巻く内外の厳しい情勢の下で、中国共産党が強いリーダーシップを求めるのはむしろ自然の流れであろう。日本のマスコミは一体誰が中国のリーダーになったら、異例ではなく、正常だと考えているのだろうか。

 とは言え、私も新しい指導部の顔ぶれを見て驚き、中国の将来に大きな懸念を抱いた。習総書記の側近で固められ、ストッパーが外れた格好だ。習近平政権の独裁化が進むと、今後のアジア情勢、世界情勢を一段と緊張させることになるのではないだろうか。

 中国は言うまでもなく一党独裁体制下にあり、政府も司法も国会(人民代表大会)も、また労働組織、教育機関すべて党の指導下にあって異論は許されない。ただ共産党は毛沢東の死後は、曲りなりも集団指導体制を取ってきた。だからわれわれチャイナウォッチャーは、「保守派対改革派」だの、「太子派対共青団派」などと実際そうした対立があるのかどうか確証はないが、色んな憶測を重ねて来た。派閥の存在はともかく、党内ではそれなりに異なる意見がぶつかり、議論があったに違いない。さまざまな議論が党内から漏れてきて、虚実ないまぜの観測報道ができたのだ。習近平以降、そうした党内の議論が聞こえてこなくなったというベテランジャーナリストの嘆きを最近、耳にした。

 今回の最高指導部(党政治局常務委員会)は、習近平氏の側近や忠誠を誓う人物で固められた。ロシアのプーチン政権同様に「一強体制」が確立された。これでは党内でも習氏に異なる意見を言える人物は出てこないだろう。ますます党内の議論は出なくなるだろう。個人独裁となると、政策の躓き、失敗は自ら認めることはしなし、外部にその理由を求めたり、外部との緊張によって、失敗を償おうとする。ウクライナ侵攻は「プーチンの戦争」と言われるが、「習近平の戦争」と言われる事態も、今後の情勢如何で、生まれかねない。

 ただ忘れてならないのは、そうした体制をもたらした一因が、こちら側にもあるということだ。もし「習近平の戦争」となれば、こちら側にもあちら側にもあってはならない甚大な損害、被害をもたらす。それを防止するにはどう対応するのか。中国の体制を、異質の世界と切り捨てるだけではますます見たくない悪夢を現実化してしまうことになる。

 第3期目の習近平体制に対する懸念という日本の報道には共感するが、そうした体制が生まれる背景にアメリカや日本の対中政策が関わっているという視点が日本の報道に欠如している。ただ強権化におびえたり、防衛力の強化を求めるのではなく、まず外交的な対話に乗り出すべきことを訴え、その環境を醸し出すこともマスコミの大きな役割だ。

 上記の問題に関連した付録として、最近読んだ本の中から1つ参考になる文章を紹介したい。竹内好全集第5巻「方法としてのアジア」の中の辛亥革命を率いた孫文の民族主義の特徴を論じた部分だ。(全集は1980年代に刊行されたが、文章の初出は60年代)

 竹内氏は戦後、中国文学者、中国評論家として活躍され、アジアの民族主義は欧米列強の植民地支配に対する抵抗の中から生まれたものであり、その意味で日本はアジアではないという、独特のアジア論を展開されている。竹内氏は「アジアの場合は、ヨーロッパで民族主義がおこり、それらの民族国家が自己拡張を行って、民族主義の延長としての帝国主義の形でアジアへ侵入してきたときに、その侵入に対する抵抗の中から民族主義がそだった」と指摘する。日本はその例外だ。

 竹内氏は孫文を引用しながら、中国の民族主義の特徴を以下のようにまとめている。

 第一は、帝国主義に対する深い不信感である。

 第二は、民族的独立は自力によってしか達成できない、という諦念に近い確信がうまれる。

 第三に、おなじ弱小国に対する共感と連帯の意識がうまれる。

 第四に、帝国主義ロシアに対する憎しみと、それを内部から倒した革命党に対する尊敬の念が同居している。

 第五に、自国の伝統を平和主義としてとらえ、好戦的な帝国主義と対決して平和を貫徹することが世界への寄与だということが世界への寄与だという理想が語られている。

 その例証として竹内氏は以下の孫文の演説を紹介している。

 「中国がもし強大になったら、われわれは民族の地位をとりもどすだけでなしに、世界にたいして一大責任を負う必要がある。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのである。それでは、中国は世界にたいしてどんな責任をおう必要があるのか。いま世界の列強があゆんでいる道は、ひとの国家をほろぼすものである。もし中国が強大になっても、同様にひとの国家をほろぼし、列強の帝国主義をまね、おなじ道をあゆむとしたら、かれらの仕損じた跡をそのまま踏むのにほかならない。それゆえ、われわれはまず一つの政策、すなわち『弱いものを救い、危ないものを助ける』ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職を尽すというものだ…」

 習近平総書記の政治報告にも、孫文の民族主義の血が脈々と流れているといえるだろう。とくにアメリカの一極支配に対する強い反発がにじみでている。日本はアメリカ、オーストラリア、インドと組んでクアッドを結成し、自由で開かれたインド・アジアを標榜し、中国を封じ込めようとしているが、中国や北朝鮮はもちろん肝心のアジア諸国さえ加入していない。この4国連合は、遅れたアジアを排除するという「脱亜論」的発想が見え隠れする。

 その一方で、大国化しても帝国主義の真似をするなという孫文の戒めも生きている。中国が大国化した今、私たち日本人は竹内氏のこの文章を参考に中国の民族主義についてあらためて見詰め直し、また中国の人々にも孫文の演説を読みかえしてもらいたいものだ。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。