地域を生きる

コモンの思想と民主主義

 この6月に東京都杉並区で区長選挙が行われ、新人の岸本聡子さんが4選を目指した現職を破ってまさかの当選を果たした。わずか186票という僅差での勝利である。女性区長は新宿、足立の両区に続いて3人目、区議や市議には女性もそれなりに存在するが、首長となると東京でさえまことに貴重な存在である。杉本氏は公共政策の研究者として登場し、立憲民主、共産、れいわ、社民が推薦したまごう方なしの市民派市長である。

 この報道は筆者の周辺の市民活動グループにも大きな驚き、そして喜びをもたらした。町田市ではこの2月に公共施設の統廃合や民営化を市民の声など蹴散らして進めてきた古だぬき市長に対抗して、市民派候補を推し立てて戦ったもののあえなく惨敗、市長の5選を許すという情けない結果になっていた。いささか意気消沈していた私たちにとって、岸本区長の誕生は、未来に一抹の光明を灯してくれたと言っていい。同時にそれを成し遂げた杉並区の市民派の力に感心もし、羨望の念を抱いたことも確かである。それにしても岸本聡子とはいったいどういう人物なんだ?

 そう思っているとタイミングよく夏に岸本さんが新著を出版された。題して『私がつかんだコモンと民主主義』(晶文社)―早速手に入れて読んでみた。すこぶる付きで面白い。彼女のこれまでの歩みが詳細に語られているとともに、「コモン」という言葉に集約される地域政治の目指すべき方向が明快に述べられている。

 同書によると彼女は大学を卒業してすぐに環境NGOの専従スタッフになって1997年の温暖化防止京都会議(COP3)で奮闘し、その延長で世界貿易機関(WTO)への対抗運動に参加すべくジュネーブに行き、そこで知り合ったオランダ人の男性と恋に落ち、彼が日本に来て所帯を持って赤ん坊が生まれるが、日本ではとても暮らせないと赤ん坊とともにオランダに移住、子育てをしながら夫婦でNGOの活動を続け、特に水道再公営化問題で実績を上げて日本に帰って来たのだという。その間のヨーロッパのごく普通の市民の暮らしや働き方、福祉制度のありようが生き生きと描かれている。

 外国に行くとなると、有名大学に留学して語学力を身に着け、しかるべき専門領域を勉強して学位を取ってくるというようなエリート型の体験が思い浮かぶが、岸本さんの場合は、当たり前の市民生活をしながら社会運動に打ち込み、国を乗り超えた非政府組織に関わって、市民ネットワークを広げてきたというのがユニークである。これからの若者たちには、どんどん外国に出かけていろんな仕事に就いてみたり市民活動を体験したりしてほしいものだ。それも欧米でなくて、ご近所の韓国や中国にもっと関心を持っていいのではないか。隣国と事を構えるなんて愚かな真似はせず、顔も姿もよく似ている隣国の人々とこそ交流を進め、互いの理解を深めることが平和の礎になるはずだ。

 それはともかく、この本の土台になっている「コモンズ=公共財」の考え方は、現在の市民活動が何を目指すべきかを明確にしてくれている。公共というと日本では行政とか「お上」のものというイメージが強くあって、それがその土地に生きる「みんなのもの」だという視点が乏しい。岸本さんの言葉を借りれば「水、電力、住宅、通りや広場、医療やケア、空気、図書館。これらはすべてみんなのものであると同時に誰のものでもないコモンズだ」。市民がみんなの財産である《コモンズ》の存在に強い関心を持ち、その民主的な運用を進めるために知恵と力を出し合う、これこそが市民自治の目標でなくて何であろう。

 前世紀の末以来、新自由主義の旗を掲げ、財政難を理由にコモンズを次々に売りに出し、市場の論理に委ねようとしてきた「民営化」は今やその馬脚を現し始めた。ヨーロッパでは命の土台である水道を「水メジャー」といわれる国際水道資本に売却した結果、水道料金が高騰して水が飲めない貧困層が出現したり、株主への配当にばかり配慮して設備の保守や更新がおろそかになり、挙句の果ては倒産して巨額の負債が自治体に押し付けられるという事態が起きた。市民の猛反発の中で一転して水道再公営化の流れが強まり、各国は次々と公営に復帰しているという。水道ばかりでなく、イギリスのような保守党政権の下でも、教育や医療や福祉の領域での公共サービスの再建に力を入れようとしている国も出てきた。ところが日本では、世界の潮流に逆行して2018年に水道法を改正し、水道民営化の道を開いた。その陰に窮地に陥りつつある「水メジャー」の政界工作が見え隠れしている。この法改正に乗って水道民営化を第1番に進めようとしたのは浜松市、しかし、市民の反対運動が高まって、今のところ実現してはいないようだ。

 学校統廃合や図書館の削減を強行しようとしているわが町田市長は、こうした趨勢をどう見ているのだろう。多分あんまり勉強してはおられないだろう。私たちは市長に代わって《コモンズの思想》を市民の間に広めていくように努めたい。岸本杉並区長にエールを送るとともに、これから陰に陽に広がりそうな新区政への反発や妨害を注視して、《コモンズを守る市政》を東京中に、さらには全国に拡大していく運動を興さなくてはなるまい。そのはじめの一歩として、10月初旬には岸本さんの『コモンと民主主義』を読み合う読書会を開くことになった。まずは《キシモトイズム》をしっかり理解しなくては…。


[地域に生きる 2022年10月] 【地域のスナップ】 田んぼに案山子を立てる

 9月の田んぼは稲が実り始め、穂が膨らんで頭を下げ始めた。これからが大切な時期である。十文字に組み合わせた竹を骨格に、昨年収穫の藁で頭と体を作り、持ち寄った服を着せて顔を描いた。なかなかスマートな案山子になった。実のところ、稲を食べ荒らすスズメはほとんど現れない。一番心配なのは台風の襲来。案山子さんはちょっと心細いが。

 ◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。