ビジネスフロント

与党に見る政治と宗教の相互利用について

 今までは、T1協会とG民党の強い結びつきが表面化しなかったので、気が付かなかったが、よくよく考えると、両者はそれぞれ相手を相互利用していたのだと思えてくる。

 なんと表現すればよいか、阿吽の呼吸というべきか、暗黙の了解というべきか、お互いが言葉に出して協議しなくても、自然に両方においしい関係というのが、本当にごくごく自然に形成されていったように見える。

 G民党にとっては、当選がキツい場合には、協会票の上積みと選挙運動の支援は大きい。当選後も秘書をやってくれたり、政治活動を手伝ってくれたりと良いことづくめだ。

 一方、T1協会にとっても、政治家が行事参加したり、ビデオでメッセージを送ってくれたりすれば、まともな団体であると見えたり、組織に入ってみようかと考える人の入会を後押ししたり、と後方支援することなる。また、少々強引な勧誘行為や寄付集めなどを行っても、社会問題化する可能性が低くなる。このような有形無形の利得がある。

 こうして表面化することなく水面下でG民党とT1協会はそれぞれの組織を相互利用してその勢力の拡大に励んだ。

 G民党の節操のないT1協会利用を見た時、ふと見えてきたのが、この政党、表面的にも実は多くの宗教を利用しているということだ。

 その筆頭が、連立して手を組んでいるK党である。K党のバックは、S学会という宗教団体である。S学会はN正宗という宗派の流れをくむ一派である。N正宗とN正宗の流れをくむ宗教団体は、宗祖をNとしている。

 このN宗祖こそが、仏教においては特異的な存在である。

 釈迦が始めた仏教では、僧侶の団体は世俗とまみえることを良しとせず、権力からは遠ざかり、欲望の流れのままに生活することを回避し、欲望をコントロールしようとしていた。釈迦自身が王族の出身でありながら、悟った後も権力に近づかないようにしている。

 多くの正統派仏教は、世俗や政治からは距離をおいているのが普通である。

 鎮護国家として仏教が利用されたこともあるが、腐敗した仏教でなければやはり権力とは距離を置くものである。

 ところがN宗祖は、H経という経典を中心に据えて、政(まつりごと)を行うべきであるとした。H経以外は仏教であっても行うことは相成らず、徹底的に排斥した。いわば日本国がH経を中心とした宗教統治の国になることを理想とした。

 こういう背景を持つ宗派であるから、宗教団体であっても政治を利用して世間に影響を与えていくのが当然であるとして行動しているようだ。ゆえに現在のようにG民党と結びつくのは、ある種当然の帰結と言える。

 さらにG民党についていえば、終戦記念日の前後で神社にお参りしたりする。仏教教団関連の政党と組みながら、節操なく利用できる宗教は何でも利用する。日本人自体が神仏習合を当たり前だと思っているから奇異には見えないが、宗教利用という観点で整理しなおしてみると、とんでもなく節操がないことがわかる。

 ところでN正宗系は、H経以外の宗教を徹底排斥する。無宗教であろうが特定の宗教に属していようが、それらを論破することを宗旨にしているから、誰彼となく議論を吹っかけてくる。こうなると神仏習合が心地よい日本人には極めて居心地が悪くなる。

 ところがである。宗教的に節操のないG民党に対しては、論戦を挑まず、手を組んでいるのだから、バックであるS学会の核心であるN正宗系の考えに反する。これこそが政治と宗教の相互利用の実態である。

 政治と宗教の完全分離は難しいかもしれないが、積極的な政治と宗教の相互利用は行わない方が良いと考える。