月刊ライフビジョン | メディア批評

庶民の疑問に答えてくれない経済記事

高井 潔司

 車を長時間運転する時は、ラジオを付けることにしている。軽いトークと軽快な音楽がいい気晴らしになる。しかし、時にMCとゲストのやり取りが気に障ることもある。TBSラジオの午後の番組で、経済評論家らしきゲストの発言がそうだった。

 聞き流しているラジオだから、正確ではないが、こんな趣旨の内容だった。日銀総裁の失言問題を取り上げ、「あれはマスコミが発言の一部を切り取り、それにSNSが炎上しただけのことで、どの専門家も企業人も日銀の進めている金融緩和策に反対する人はいませんよ」と解説した、これに対し、MCの相手役をするレギュラーの芸人が、「そうですね、マスコミにはそういう傾向が確かにあります」とお追従をする。MC役の女性アナウンサーは一応ラジオというマスコミの看板を背負っているのに反論もせず、お茶を濁してトークは終わった。まあおしゃべり番組だからそれでいいのかもしれないが、経済評論家の日銀総裁擁護論はこれもマスコミ操作の一つと感じた。

 毎日新聞によると、日銀総裁の失言問題とは、6月6日都内で開かれた講演で、「日本の家計の値上げ許容度も高まってきているのは、持続的な物価上昇の実現を目指す点から重要な変化」などと発言。その発言中、「家計の値上げ許容度が高まっている」という点が、インターネット上で「一般の人の気持ちを理解していない」などと批判が集中した。

 確かにマスコミは、政治家や高級官僚の発言の一部を切り取り、失言として取り上げ、その追及をする。意図的に議論を炎上させ、やり過ぎのケースもあるが、多くの場合、やはり発言者側に大きな問題と責任があり、辞職問題にもつながっている。今回のケースも明らかな失言で、本人も謝罪のための記者会見まで開いている。TBSラジオでの経済評論家の発言は、日銀総裁を擁護し、議論を鎮めるための逆マスコミ操作だと言わざるを得ない。

 日銀総裁の失言問題は、マスコミの取り上げ方の問題ではなく、むしろ昨今の日銀及び政府の経済政策の問題点を反映したものであり、一層の議論が必要であると考える。経済専門家でもない私が偉そうなことは言えないが、種明かしをすると、そう確信したのは時事通信の窪園博俊解説委員の記事を読んだからだ。この記事はネット上でも公開されているので、全文を読みたい方は以下のURLからどうぞ。

 https://www.jiji.com/jc/v8?id=202206kaisetsuiin028

 その要約をしておくとこうだ。

 一般に失言は、記者会見や国会での質疑応答などで出るものだが、今回は読み上げた講演原稿に問題があった。日銀総裁の講演原稿は、マスコミが一部を切り取って批判的に報じようとしても「どのように切り取られても大丈夫」(複数の幹部)とされるほど、非の打ちどころのないものが求められる。

 問題となった「家計の値上げ許容度が高まっている」という部分は東大教授の調査を根拠としているが、その分析に対する一般消費者の反応は想像できる。ほとんど誰も受け入れていないだろう。日銀が四半期ごとに公表している「生活意識に関するアンケート調査」でも物価上昇で家計の困窮度が強まっていることがわかっている。

 なぜ批判を浴びる「値上げ許容度が高い」との分析に飛びついたのか。日銀の金融政策が強引な物価上昇を目指すからだ。2013年に発足した黒田体制は、大規模緩和で「物価を2年で2%」に上げることを目指した。だが、緩和は奏功せず、10年近く未達成が続いた。そして、やっと最近になって2%に達した。計算外だったのは、家計に打撃となる原材料費増大による物価上昇(コストプッシュ)であったことだ。

 しかし、日銀にとってはコストプッシュでも家計が値上げに寛容になれば、「(現行緩和策で)賃金が上昇しやすいマクロ経済環境を提供し、持続的な物価上昇へとつなげる」(黒田総裁)と見込む。つまり、コストプッシュの物価高が一段落した後、現行緩和策の効果で景気は回復。そして賃金が上がり、家計はこれまでになく物価高に寛容になる、というシナリオを描き、悪い物価上昇が良い物価上昇に転換する、というわけだ。

 つまり、時事の解説によれば、物価上昇に対する強い願望から、それをもたらした現実に対する冷静な分析を吹っ飛ばして、都合の良い分析に飛びついた結果が失言につながったというのだ。それは失言というより、組織として冷静な政策分析ができていないという失策であろう。そもそも10年近くも異次元の金融緩和とやらをやって成果が出ていないのだから、そこから分析し、金融政策を再検討すべきだろう。

 肝心の物価対策について、黒田総裁は「引き続き注視していく」という。それは何も対策がない、無策ということではないのか。いや時事解説のように、まだ悪い物価上昇が良い物価上昇に変わると期待しているのかもしれない。しかし、それはしっかりとした施策があってのことだろう。

 朝日、毎日、読売三社の社説を読み比べてみたが、黒田発言を即取り上げたのは毎日のみ。朝日、読売は日銀会合に合わせた社説で間接的に取り上げただけだった。失言から会合まで2週間ほど時間があったにもかかわらず、読売社説はこうだ。

 家計は生活必需品の価格上昇に苦しんでいる。黒田総裁は「家計の値上げ許容度も高まっている」と発言して強い批判を浴びた。

 金融緩和に伴う円安が物価高の一因となっている中で緩和策を続ける場合、日銀は事態を改善する方策についてどう考えているのか、説明してもらいたい。

 何となまぬるい評論だろうか。この間、記者会見も開かれているのだから、説明してもらいたいではなく、説明させなきゃダメでしょう。この失言問題を含め、最近の経済報道には、これほど日本経済の落ち込みが甚だしいのに、その原因を探る突っ込んだ記事や批判報道が見られない。経済部記者や経済評論家が政府や日銀の政策を解説するだけで、それを国民の目線から問題意識を持って読み解き、批判的に報道、解説するという役割を忘れているのではないかと感じる。

 岸田首相が提唱する「新しい資本主義」をめぐる報道もそうだ。さして具体的でもないが、ようやくその概要が明らかにされたが、私には「人への投資」という項目について、さっぱりわからなかった。何か、新しい成長分野の開拓にむけた人材開発への投資から思ったら、何のことはない、貯蓄を投資に誘導しようという政策らしい。これは株価の下支えの意味しかないだろう。私もここ数年、銀行に預けている老後資金について、銀行員から盛んに投資信託や一時払い生命保険を勧められ、ついつい乗せられて手を出してしまった。その結果は、銀行に手数料ばかりを取られ、老後資金は目減りするばかりだ。大学の先輩に、地銀の頭取になった方がいて、同窓会の席上、苦言を呈したら、「高井さん、銀行だっていま経営が苦しいのを御存知でしょう。そんないい儲け話があるわけがありませんよ」とたしなめられた。

 参議院選挙でいくつかの政党が、企業の内部留保金に増税をいう政策を掲げていた。一体何のことかと、インターネットで調べてみると、企業の内部留保金はいまや過去最高の勢いで伸びているという。昨年9月1日の読売配信の記事にこうある。

 --財務省が1日発表した法人企業統計によると、企業の利益の蓄積である2020年度末の「内部留保」(金融・保険業を除く)は前年度末に比べ2・0%増の484兆3648億円だった。2012年度以来、9年連続で過去最高を更新した。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて企業の経常利益は減少したが、先行きが不安定となる中で設備投資などに慎重となった結果、内部留保が積み上がったとみられる。

 異次元の緩和などしなくても、大企業には金があるのだ。これを賃金の上昇や投資に向かわせる政策を取ることが景気浮揚に必要だろうと、素人目には映るが、政府や専門家、経済記者たちはどう考えているのか、さっぱり見えてこない。「人への投資」では、国民の懐を狙うより、企業の内部留保をターゲットにすべきだろう。それに「人への投資」にしても、経済格差がこれほど広がっているのだから、貯金など余裕のない人々がどれほどいるか、考えてみれば、政策がうまく行ったとしても、貯金のない人はその恩恵に与れず、ますます格差を広げるだけの政策に過ぎないのではないか。

 そもそも新聞の経済面を読んでも、政府の統計発表や大企業の広報提供の情報が中心で、消費者や国民の視点がない。私は記者時代、経済部に所属したことがないので偏見かもしれないが、彼らの取材場所は記者クラブと官庁であり、現場取材がないせいであろう。経済格差が拡大し、コロナ以後失業者が増え、物価が高騰し、困窮者のための炊き出しテントができたといった取材は社会部記者が担当する。日銀総裁がスーパーに買い物に行かないと批判されたが、経済部記者も同様ではないのか。

 昔話で恐縮だが、1980年代半ば、中国の地方都市で学生たちによる民主化デモが頻発し、これが上海や北京にまで波及したら、共産党政権の危機につながると懸念されていた。上海特派員だった私は、いろんなルートを通して上海の大学生たちの動きに注目していた。ある日、学生たちのデモ呼びかけのビラが大学構内に貼りだされたと聞き、デモの予告日の早朝、私は中国人助手も伴わず、一人で出かけ、郊外の大学から市中心部の共産党委員会までのデモ行進の一部始終を見て、報道した。助手を伴えば、当局は助手を取り調べ、情報源を探るに違いない。私は、助手には一切この取材について教えなかった。

 これほど苦労した取材なのに、馬鹿正直な本社のデスクは、折角のスクープ記事を夕刊のベタ記事で処理した。当時、上海には6社ほど日本のメディアの支局があったが、某社の特派員から電話が入った。「高井君、デモがあったんだって、教えてよ」。どうやら夕刊を見て、読売に出し抜かれたと判断した東京本社のデスクからお叱りの電話を受けたらしい。私は「そんなの私が教えるわけにはいかんでしょう。まだ党委員会の前で座り込んでるから行って見て来たら」と答えた。数時間後、この記者から謝罪と感謝の電話があった。その言い草を今でも覚えている。「高井君は社会部出身だからな。僕は経済部出身なんで」。

 読売で私を社会部記者と認知してくれる人はほとんどいない。一年しか所属していなかったからだ。ただ、先輩記者から外報部記者になるにしても、数年、社会部で取材力をつけろとアドバイスされた。社会部ではまず現場に行くことを指示される。社会部でなくとも、現場に行くのは記者にとって当たり前だろう。

 ちなみに、上海の学生デモと党委員会前の座り込みは3日間続き、北京にも波及して、胡耀邦総書記は失脚した。それは天安門事件へとつながる伏線でもあった。

 新聞社内で、現場から一番遠いのは経済部記者ではないだろうか。現場に行って、庶民感覚に触れ、国民の目線でみることの大切さを思い知るべきだ。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。