月刊ライフビジョン | 地域を生きる

迷惑をかけ合える地域社会をつくる

薗田碩哉

 さしものコロナ禍もだいぶん下火になって来て、街の賑わいが復活し始めている。居酒屋もビアガーデンも元に戻った感じだが、テーブルの前にガラスの板が無粋に置かれていたり、一口ビールを飲んでは、その都度律儀にマスクをし直す人もいる。コロナの影は簡単には去ってくれない。そんな中で久しぶりに地域のご婦人たちの勉強会に招かれて「コロナ後の生活様式」をテーマにお話をした。20人ばかりの参加者は高齢の方が多いはずなのだが、全員マスクなので、眼だけ見ていると皆さんずっと若く見えるのが楽しい。顔に皴が増えても眼は案外と年を取らない。

 話題は日本人の近隣関係に及んだ。もともとご近所とのお付き合いはごく薄いものだったのが、コロナでますます疎遠になった。お互いに貝のように閉ざしあって、話をするどころか顔も合わせないようにしてきたのがこの2年間の実情だった。そこからどこまで回復できるか。コロナが去っても果たして元のように気楽に話ができる常態に戻れるのか、このまま「隣りは何をする人ぞ」式に互いに無関心、無交流の地域が続いていくのではないか―そんな予想が広がった。

 データを点検してみた。内閣府が5年ごとに行っている「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」というのがある。日本とアメリカ、ドイツ、スウェーデンの4ヵ国で同一のアンケートを取って比較検討している。その第9回、2020年のデータによって「近所の人たちとの付き合い方」を見ると、「お茶や食事を一緒にする」人は、アメリカ、スウェーデンでは25%強、ドイツでは46%もいるのに、わが方では14%とだいぶ低い。「相談したり、相談されたりする」となるとアメリカ、ドイツが45%を超え、スウェーデンはちょっと低くて26%、わが方は20%で、ご近所に相談相手のいる人は5人に1人となる。さらに進めて「病気の時に助け合う」まで行くとアメリカ4割、ドイツ3割なのに対して日本はわずかに5%しかいない。これではコロナ禍においても助け合いが広がるはずがない。

 日本の近隣関係が全体に「薄情」な中で1つだけ日本が突出して50%近いのに対してアメリカ3割、ドイツ2割弱、スェーデン15%というのがある。それは「物をあげたりもらったりする」という行為で、日本の近隣関係をかろうじて支えているのは日本特有の贈答文化ということのようだ。このデータは会合の参加者の実感ともよく合っているという感想だった。コロナ禍の中で1つだけ活発だったのは手作りマスクの贈り合いだった。確かに筆者もカラフルな洒落たマスクを地域の知り合いからいただいたことを思い出した。

 一人の参加者がこう指摘した。「私たちの世代は、親から厳しく言われたことがある。それは《他人に迷惑をかけるな》ということだった。近所に迷惑をかけていないか、いつも気にしていた。それがこの数字に表れているのではないか」―まことに的確な見方だと思った。われわれの日常道徳は、他者から後ろ指を指されてとやかく言われることを極端に恐れ、それを避けることに心を砕いてきた。それは明らかに封建社会以来の強権的な支配にルーツを持っている。迷惑を掛けて指弾されないように慎重に、何かあっても見逃してもらえるように〈贈り物〉だけは欠かさないように。中元、歳暮の習慣はそういう思惑を土台として続いて来たのであろう。

 ルソーの天賦人権論に始まる近代社会というのは、普通の人間一人一人がかけがえのない価値を持つ自由な存在であり、彼は自分の生きたいように生き、主張したいことを主張することができる社会のことである。自己主張はぶつかり合うので、そこでお互いに話し合い、理解し合うことを求め、お互いの違いを認め合った上で友誼を結び、ともに楽しみ、必要な時は助け合う、それが社会的Socialということに他ならない。Socialはまた「社交」でもあり(ソーシャルダンスとは社交ダンスだ)、要するに社会と社交とはイコールの関係なである。その点ではこの国は明治維新以来150年経ったとは言え、いまだに真の「近代」を実現していない。明治の初めに青年たちの熱情を集めた「自由民権運動」は現在も継続されなければならない。

 「人に迷惑をかけるな」から、そろそろ抜け出してもいいですね。「人に迷惑をかけ合う」「困った時は遠慮なく助けを求めて迷惑をかける」、そうすればいつか逆に「他人からの迷惑を引き受けてお返しのできる時が来るでしょう」。「迷惑をかけ合える地域社会を目指しましょう」というのを本日の講師の結論として散会したことであった。


【地域のスナップ】 子どもたちの田植え

 地域の学習塾の5年生の子どもたちが田植えの手伝いに来てくれた。泥田になんか踏み込んだことのない子どもたちが嬉々として田んぼに降りて、一線に並んで楽し気に苗を植えてくれた。今年の実りはきっと豊作になるだろう。

[地域に生きる 2022年7月]

◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。