月刊ライフビジョン | 地域を生きる

市営競技場を市民スポーツの広場に

薗田碩哉

 わが町田市の政策は「文化」にはことのほか冷たく、博物館を廃止したり図書館を減らしたり美術館を観光施設に改変しようとしたり、文化派市民には腹に据えかねることばかりなのだが、他方、スポーツにはまことに熱心で、特に町田市を拠点とするサッカーチーム「FC町田ゼルビア」への支援は半端でない。

 ゼルビアはJ2のチームだが、数年前は調子が良くてあわや優勝というところまで行っていた。実際は4位だったがJ1参入プレーオフ出場の権利は確保することができた。ところがJ1ライセンスを得るためには「15000人以上収容のスタジアムの確保」「クラブハウスと天然芝(ハイブリッド芝も含む)を1面以上持つグラウンドを確保すること」が条件だった。

 町田の競技場は結構立派だが、収容は1万人でこれをクリアできず、プレーオフ出場を棄権するしかなかった。どこの町のサッカーチームもJ1でプレイしてこそなんぼの世界である。念願J1入りのチャンスを棒に振ったゼルビア・ファンはこぞって市へ猛運動、市も打てば響くようにそれに応えて(文化ではとてもこうはいかないのだが)、30億円だかを掛けてスタンドを増設、近隣の町では見かけない巨大スタンドを持つ競技場が誕生した。

 ところが容れ物はできても試合の方は思うようにはいかない。ゼルビアはその後迷走、浮いたり沈んだりしているものの、J1入りのプレーオフ参加などいつことだかわからない。収容人数が増えてもJ2のままではファンが増えるわけがないから、巨大化したスタンドはいままで以上に閑散としてしまう。市民はサッカーファンばかりではないし、「スポーツにばかり金を使いやがって」と思うアンチ競技スポーツ派も少なくないのだから、市は競技場の活用策を考えざるを得なくなった。

 昨年の秋に競技場のある公園に散歩に行ってみたら、サッカーの試合はないのに、結構な人が集まって賑やかだ。覗いてみたら子どもたちがたくさん集まって運動会をやっている。それも1校だけの運動会ではない。近隣の5つの小学校が一堂に会して「合同運動会」を実施していたのである。緑の芝生に赤と白の旗や帽子が映えて、子どもたちの歓声がスタジアムに響き渡っている。コロナ禍のため観客席は入場制限中だったが、この方式は悪くないと思った。何と言っても天然芝の上を思い切り走りまわったり転げまわったりするのは楽しいに違いない。埃っぽくて狭苦しい校庭での運動会よりはるかにマシである。

 これはいいと思ったので、われわれ市民もこの競技場を使うチャンスを探していた。たまたま5月の連休中に一日、本来の行事が中止されたとかいうことでグラウンドが使える日があった。競技場を管理する企業と話がついて、町のニュー・スポーツのグループを集めて一日グラウンドで遊ぼうということになった。ニュー・スポーツというのは筆者の関わるレクリエーションの領域の活動で、競技スポーツのように歯を食いしばって勝ち負けを争うのではなく、もっと気軽に身体を動かし、勝っても負けても笑い合うような「ゆるい」スポーツ群である。ミニ・テニスとか吹き矢とかオリパラで有名になったボッチャとか、いろいろな種類があり、それらを集めて広々としたフィールドの全面を使って楽しんだ。

 はじめてJ1規格のサッカーグラウンドに足を踏み入れた感じは爽快だった。よく手入れされ刈り込まれた天然芝は歩いているだけで気持ちがいい。寝っ転がっても悪くない。この上にテントを張って一晩過ごしてみたいと思った(許可は出ないだろうが)。参加したのは子どもから高齢者まで幅の広い年代層だったが、みな嬉々として活動していた。町の歌うたいの「うまけん」君がやって来て、ギターを抱えて歌う歌を大音量のスピーカーでグラウンドいっぱいに鳴り響かせていた。

 町の競技場は競技のためばかりにあるのではない。少なからぬ市民の税金を投じて作った市民の施設である以上、子どもの遊戯や大人のレクリエーションや市民の祭りの場としてもっと活用されなくてはならない。秋のシーズンが終わると競技場は閑古鳥が鳴く。そこをねらって「市民の絆」を取り戻す一大交流会を仕掛けたいと考えている。[地域に生きる 2022年6月]


【地域のスナップ】市民競技場でのレクリエーション

 芝生の上を走り、大きなボールを転がしてゴールに入れる競争。ボールと一緒に大笑いしながら走る。身体も心もいきいきする。


薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。