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なんとなく無責任 ―確立されていない“責任の取り方”―

司 高志

 私の勝手な想像だが、日本では不始末の責任をとっていたのは、戦国時代とか明治維新のころだけ、というイメージがある。

 戦国時代なら国が滅びてしまうとか、切腹とか、不始末の責任の取り方が命に係わることもある。江戸時代になれば、戦闘もなくなり、危機意識も薄らいでいくが、忠臣蔵・浅野内匠頭(播州赤穂藩の藩主)のように、吉良上野介に斬りかかってはみたものの、息の根を止めることができず、その日のうちに切腹になってしまう。これは、強制的に責任を取らされたわけで、自分で責任を取ったわけではないのだが。ちなみに吉良の方は大したお咎めもなかった。下って明治維新のころでも、それなりに責任は取ったのではなかろうか、との想像は働く。

 ところが第2次世界大戦あたりから、作戦失敗しても責任を取らず、無能が居座り続けたおかげで、散々な目にあってしまったのが我が国であった。日本では結果がでたとき責任を取らされていた時代が少なく、今でも「やり逃げ」体質から脱却できていないと思う。

 政治家に関しては、選んだのは日本国民であるから、不作な政治家を当選させてしまったら最終的には、半分は国民の責任ということになるが、それにしても政治家のやり逃げはひどすぎる。K泉、T中H蔵コンビあたりから日本の針路が怪しくなり、この人たちは反省もなし。積極的に悪い方向にかじを切った人は少数だが、やったふりだけで何もしなかった政治家は、あまた存在する。

 公務員も、責任をとらなくてもおとがめなし! な職種だ。最近腹が立っているのはN銀のK田総裁である。国民は、生活必需品の値上がりを許容しているとか、全く見当違いのことを言ったあげく撤回発言したようだが、これは責任をきっちり取らないといけない案件である。年収200万円で生活したことがないから、まともな発言ができないのだという声もあるが、彼らの報酬を減らせば事が済むということでもない。

 日本のかじ取りをする人が、高い給料をもらうのは、たとえ年収200万円で実際に生活したことがなくても、自己研鑽を怠らず私心なく、日本をよい方向に導くために、日夜努力をし、都合の悪い反論が出ても、将来が良くなるための一時の後退だとして、丁寧に説明をすべきである。考えが浅はかであったと気づいたら謝罪をすべきである。高い給料の所以は、上記のようであると考えるのだ。

 さて長々と書いてきたが、最も腹が立っているのは、山口県A町の幹部たちに対してである。ことの経緯がなぜか報道されないようである。誤送金の書類を銀行に届けたのは、新入職員であったのは確かなようだ。ただし、新入職員の親族によれば、届けた書類の内容は知らされておらず、単に届けただけ、ということのようである。新入職員が責任逃れのため、正確に事実を告げられていない可能性もあるし、親族が新入職員をかばっているという可能性もないわけでもなく、すべて信用するわけにもいかない。

 町長は、クレームの電話対応で仕事に支障が出ているとか、2名の職員がメンタルを病んでいるとか発言しているが、ことの経緯を明らかにしていない。

 わずかに報道されたところによると、この誤送金の手続きをした部署は、前年度まで出納室長、ベテラン職員で運用していたが、4月に人事異動をし、ベテラン職員を異動させたということのようだ。そして、4月の異動で配属された新入職員が、銀行に書類を届けた、ということのようである。

 とすれば、世間が新入職員のミスであるという誤解をしているのをいいことに、町長等は、減給という軽い処分で済ませ、真実を闇の中に葬り去ろうとしている、ということになる。

 役所には専決規定というものがあり、町長はすべての行為に押印するものではなく、重要なものに押印する。しかし、それは権限の委譲をしたということで、責任がゼロになるわけではない。銀行に誤送金の指示をしたのは、最終的には町長の責任である。

 また、ベテラン職員を異動させたり、実務ができない無能室長をその任に当たらせたりは、実務的には人事担当部署が行ったものであろうと推測するが、それを良しとした責任は町長にもある。

 町長、副町長、出納室長等の幹部は、ことの経緯を明らかにし、しっかり責任を取るべきである。