月刊ライフビジョン | 地域を生きる

自由民権のレジェンド

薗田碩哉

 どこの町に行っても名所・旧跡の類はあるものだ。だいたいは古いお寺とか神社とか、銘木古木の類、格別景色のいいところなどだが、わが町田市にはちょっと異色な「自由民権資料館」という「名所」がある。中心市街地からはだいぶ離れた緑の豊かなところで、南に開けた丘陵の麓に、木々に囲まれて白壁の瀟洒な建物が建っている。(文末の写真参照)

 この地は、もともと武相地区(武蔵と相模の境目)における自由民権運動の指導者の一人、村野常右衛門が1883年(明治16年)私財を投じて作った文武道場「凌霜館(りょうそうかん)」のあった場所。この土地が常右衛門の子孫から町田市に寄付されたのを受けて、町田市が1986年に建設した施設である。村野はここを拠点に若手民権家の育成に取り組んで、大阪事件にも関わって政府と対決、その後、神奈川県会議員に当選、さらに衆議院議員となり、1914(大正3)年には立憲政友会の幹事長になった人物である。

 村野とともに、ご当地の民権活動家として忘れてならいのが石阪昌孝である。この地(当時は多摩郡野津田村)の有力者として、明治初年以来、戸長、区長などを経験し、初代神奈川県会議長となる。若いころから地域の教育運動をリードし、自由民権運動では常に先頭に立って活動した。1890(明治23)年の国会開設にあたって衆議院議員、後には群馬県知事に抜擢されている。彼の娘の石阪美那は明治初期の文人・北村透谷と熱烈な恋愛で結ばれたというのは有名な話である。

 自由民権運動は、「万機公論に決すべし」で始まったはずの明治維新が、富国強兵の近代化政策にのめり込んで、次第に強権、抑圧的になっていく薩長主導の政府に対して、フランス革命仕込みの自由と民衆の権利の拡大を求めて起こされた政治運動であることはご承知のとおりである。全国各地でさまざまな動きがあり、町田から北へ行った奥多摩の五日市町の若者たちが作った憲法草案の先駆性はよく知られている。町田もそうした熱い運動の中心地のひとつだったのである。

 地域の歴史と文化を学ぶことは、教育上重要なテーマだということで、地元の中学校が生徒有志を募って資料館を訪問し、レポートを作り、発表会を開いたのを聴いたことがある。生徒たちは、スライドの映像とともに資料館の施設の紹介を型どおり行い、自分たちが興味を持ったことについて報告したのだが、その目玉は何と「仕込み杖」だった。一見、普通の杖と見えるものが、実は中に細い刃が入れ込んであって、抜き放つと鋭い武器になるというあれである。確かに当時護身用に使われたらしい道具で、チャンバラ好きな中学生の目に留まったのだろうが、どうにも肝心なことが抜け落ちている。

 それは「自由民権」とは何かといういちばん大事な主題である。中学生ともなれば「自由」とか「民主主義」の何たるかぐらいのことは理解できないはずはなく、近所のお祖父さんのそのまたお祖父さんぐらいの人たちが(おばあさんだって参加して)、明治維新後の政府の強権と圧政に抗議して声を上げ、議会を作り民主的な憲法を作ろうとして粘り強い運動を続けた、その記念に作られたのがこの施設なんですと言ってくれなくては困る。

 さらに言えば、このあたりの鶴川村はその後も小作争議が絶えず、農民運動が盛り上がった土地柄で、昭和のはじめに東京からやってきた一青年、浪江虔が農民のために私設の図書館を作ったことや、それが戦後の地域の図書館づくりの運動につながっていることにも注目してほしかった。学芸員はそういう話をしなかったのか、このプロジェクトに関わった教師や親が、そういう説明を加えなかったのか、あえて省いたのか、ともかくわが自由民権が仕込み杖ぐらいで片付けられては郷土の文化財も形無しである。

 自由民権資料館はただの歴史的な記念物ではない。自由民権こそが今まさに世界的に問い直されている時である。プーチンのウクライナ侵攻に関して報じられたことだが、今や世界の数多ある国々のうちで強権体制の国のほうが民主体制の国よりも多いのだという。「民権」の意味と価値は昔の話どころか、今日ただいま世界的な広がりの中で考え直さなくてはならないテーマなのである。

 わが町は明治初期の先人たちの衣鉢を継いで民権の確立を訴える拠点になるべきではないか。「資料館」などと悠長に言っていないで「自由民権センター」と称して民権拡張運動を巻き起こさなくてはならない。

 幸か不幸かこのほど5選された町田市長石阪氏は(苗字は先に上げた民権運動の指導者と同じで、地元の人だから遠縁ぐらいにはなるのかもしれないが)、市民の意見には耳を貸さない反民権の人で、特に図書館はじめ文化施設の再編(要するに削減)に熱心に取り組んでおいでだ。自由民権資料館はさすがに廃止とは言い出せないでいるが、先ごろ潰した博物館の仕事を「民権」に押し付け、資料館の仕事を制約することに熱心だ。

 私たち令和の民としては、この資料館を過去から現在へ引き寄せることに努めたい。わが町の民権レジェンドを今に生かし、新たな自由民権運動を町田から日本全体へ、さらには世界へ広げていく役割を自覚しなくてはならない。民権資料館を核とした地域学習のネットワークを構築し、今に生きる自由民権ムーブメントを生み出すことが自由民権の先人たちに学ぶということであるはずである。


【地域のスナップ】 自由民権資料館

 武相の自由民権運動に関するさまざまな資料を収集して展示する一方「民権カレッジ」や「古文書講座」などの社会教育活動を行っている。

◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。