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ウクライナ避難民支援で想うこと

渡邊隆之

 4月23日に知床遊覧船遭難事故が起こり、ロシアによるウクライナ侵攻の報道も少し抑え気味になってきた。ロシアの侵略行為は依然継続しているが、メディア露出の減少とともに記憶から薄れていくことを懸念する声もある。

 プーチン率いるロシア軍はこの度の侵略行為をしばしば「解放」と発言してきた。当初筆者も違和感しかなかったが、「かつての占領地」「地球」がそもそもロシアのものとの発想であれば、「解放」ということになるのであろう。大変身勝手な考えであり、許されるものではない。

 本来であれば、即時停戦し、元のウクライナ領土までロシア軍を撤退させ、数々の戦争犯罪に対する戦時賠償をロシアに負担させるのが損害の公平な分担として妥当だといえる。しかし、プーチン含めロシア首脳部の発想自体が我々と大きく異なる。あるべき状態に戻すのに道のりは大変険しい。なにしろ、ロシア軍撤退後も遺体に地雷を仕込んだり、赤十字によるウクライナ市民への救援物資をも略奪したりしているのだから。一般市民の人命や相手国の産業・インフラ復興についての配慮など期待するのは困難だ。

 国際世論や国際機関によるロシアへの制裁・裁定がどうなるかも、もちろん注目すべき点ではあるものの、まずは現在、苦しんでいる避難民にどのような支援ができるのか考えなくてはならない。

 まず、ウクライナ避難民の状況をよく知ることが大事である。そして、その都度食料や医薬品その他必要な物資を送れるのがベストではある。しかし、時々刻々と必要な物資は変わっていくだろうし、海外であれば運送手段や関税の問題なども出てきてなかなか悩ましい。

 となれば、即効性はないが募金(義援金・支援金)というのが相対的に有効な手段なのかもしれない。

 もし金銭的な支援ができなくても、今回のようなロシアの侵略行為という事実について関心を持つ、記憶にとどめる、ツイッターなどで「ウクライナの人々を応援している」など激励のメッセージを送ることなどでも、苦境に立たされた避難民の心に少しは潤いを与えられるのではないだろうか。

 今回のロシアの身勝手な軍事侵攻は、仮に近々停戦になっても、難しい問題を抱える。

 ウクライナ国内でいまだ包囲されている一般市民の救助もそうだが、復興に向けて、壊された街の瓦礫の処理、地雷や不発弾の撤去、原発や放送局その他インフラの回復が必要になる。

 ウクライナ国外への避難民については、食料品・医薬品の供給はもちろんだが、言語の通じない避難民の就業機会の確保、子供たちの教育機会の確保などこちらも長期にわたって悩ましい問題ばかりである。ロシア兵の凌辱により妊娠させられた女性やそれにより生まれた子供たちをどうケアしていくかも悩ましい問題である。

 わが国は難民条約(「難民の地位に関する条約」「難民の地位に関する議定書」)に加入しているが、ここでの「難民」とは簡単に言えば自国により迫害を受ける恐れがあるため国外に避難した人々のことを指すため、他国の侵略・内戦による国外避難民や国内避難民は「難民」に該当しない。そこで政府は日本への避難民について「準難民」概念の創設と国内法の整備を検討しているが、当面は最大90日間の「短期滞在」と就労可能な「特定活動(1年)」等の在留資格によって弾力的運用を図っていくことになる。

 筆者も在留資格に関連して少しばかりの支援ができるかもしれないと、ラジオ講座の語学を勉強し始めた。ウクライナ語の講座はないので、意思の疎通が図れるロシア語を聴講し始めた。ピロシキが複数形の単語とは初めて知った。ただ、ロシア語で激励の言葉を伝えられても、住居や家族を失った方々をかえって悲しませることにはならないか、安物でも自動翻訳機を買って意思の疎通を図った方がよいのか、日々複雑な思いでいる。

 今回のウクライナ侵攻ではウクライナ周辺で避難民を受け入れた国に対し、海外のロシア人からの募金もかなり寄せられているようである。「侵略国の国民からの支援ということで避難民を傷つけていないだろうか」と彼らの心も傷ついている。

 難民条約の理念の土台は個人の尊厳と世界人権宣言(1948年)にある。避難を余儀なくされた多くの方々が一日も早く穏やかな生活に戻れるよう、ひとりひとりが日々考えていきたいところである。