月刊ライフビジョン | 家元登場

第49回メーデーに想う

奥井 禮喜

だからロートルは嫌われる

 今回は、年寄りの冷水で差し出がましいと言われようとも、だからロートルは嫌われると罵られようとも、一文を残しておく。

 2022年4月29日は第49回メーデーだった。コロナ禍で、ひさびさ活気ある対面の集会になってほしいと思いつつ会場へ出かけた。神津会長時代からの盆踊り的櫓を囲んで、人々が集まってくる。かつては、30万人から40万人が集まった。上空を新聞社のヘリコプターが数台飛び交った。正午に集会が終わると、4方面に分かれてデモ行進する。整然と出発するので、いちばん最後に会場を後にする人々は16時近くまで順番を待ったものだ。今年は、コロナもあって、主催者によると5千人ほどらしい。量より質だ。一騎当千のみなさまだと思う。連合になってからのメーデーは、年を追って参加者が減ってきた。30万人、40万人の時代は、一般組合員が圧倒的に多かった。連合時代には、組合のなんらかのポストに就いている人たちがほとんどである。

連合運動は再建を必要としている

 かつては警備も物々しかった。今年、わたしはまったく警官を見なかった。まあ、労働組合の集会を警官が見守るなんてのは前時代の象徴だから、目に着かないのはおおいに上等である。もちろんヘリコプターが飛んで来るなんてこともない。いや、数はどうでもよい。質こそ大事だ。

 芳野会長になって初めてのメーデーである。どんな意気が示されるか。式典開始少し前から小雨が降り始めた。会長ご挨拶は、肩肘張るでなく、淡々とペーパーを見つつおこなわれた。もちろん、コロナ、参議院議員選挙、ウクライナなどに触れて、最後はウクライナへの連帯の言葉で締めくくった。わたしは、連合の地力向上、組織力涵養についての見解を期待していたが、残念ながらそれらしいものは断片もなかった。連合運動は再建を必要としているというのが、わたしの見方である。参加しているのは、おおかたは執行部の面々だから言わずもがなかもしれぬが、首をかしげざるを得ない。

行政のお話を傾聴する集会の観

 新聞報道で、来賓に松野官房長官が来ることは知っていた。岸田首相が外遊のため代理である。最初が松野氏。懇ろに、丁寧に、政府与党と連合の関係を大切にする内容であった。2番目は労働大臣の登場で、労働行政の立場から連合にエールを送った。3番目は、ご当地小池都知事であった。芳野連合が行政との関係を重視しているからだろうが、来賓は以上でお終い。まったく、先入観なしで聞けば、組合の連合の集会というよりも、行政のお話を傾聴する集会の観である。それが悪いとは言わぬが、いったい誰が主人公で、いかなる目的の集会なのか。組合活動の経験が薄い人が聞けば、どのような理解をしたであろうか。2か月少しで参議院議員選挙である。連合組織内候補も推薦候補も抱えている。それを梃入れして、しっかりやろうというような側面は一切なし。立憲民主党にせよ、国民民主党にせよ、苦戦必至。某産別役員は、式典後、直ちに選挙活動で出張すると語る。

 連合力=Σ産別力=Σ単組力=Σ組合員力を弁えよ

 マナジリ決したメーデーは昔の話で、いまは、祭典であるから、生臭い話は一切抜きというのだろうか。大楊である。太っ腹である。来賓3人は、いずれも自民党だ(小池氏も本籍はそうだ)。いかに祭典の式典だとはいえ、自民党にすべて出番を提供して、労働者の祭典でございます、というのは、わたしのようなロートルには到底理解ができない。芳野氏が政府与党と昵懇になれば、連合運動が獲得したい課題は一挙簡単に達成できると考えているのだろうか。さっぱりわからない。労働組合運動は、いままでも、これからも、大衆運動として高揚発展させねばならない。それは原則中の原則、鉄則中の鉄則である。芳野連合の数人による幹部闘争で事足りると考えているのであれば、いかにも安直、軽率だ。芳野氏1人ではない。連合関係者は労働運動に携わっていることを忘れていないか。「連合力=Σ産別力=Σ単組力=Σ組合員力」の常識を弁えねば連合運動は構築できない。


奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人