月刊ライフビジョン | 論 壇

高校生の愚行から考えた

奥井禮喜

 「人生の意味を見つけられない」として、愚行に走った高校生がいた。未熟で、反社会的な行為であるから人々に拒否感をもたれるのは必然である。しかし、この言葉は大切な問題を抱えている。わたしが展開してきた人生設計セミナーに参加された皆さんの発言にも、少なからぬ共通点がある。

 高校生の行動を新聞の三面記事と、週刊誌の稼ぎネタにしておくのはもったいない。まったく残念な愚行ではあるが、社会を作っている1人として、「人生の意味を見つけられない」という言葉について考えてみた。まず、わたしのセミナーの経験から紹介する。

 「私の履歴書」という、自分自身の来し方を考える簡単なゲームがある。生まれてからこんにちまでの自分の精神的遍歴を辿ってもらう狙いである。就職などで提出する履歴書とは違って、そのときどき何を考えていたかを思い出してもらう。小学校以来の入学、卒業、就職、転勤、結婚、子どもの誕生…など、人生の出来事は比較的容易に思い出せる。

 しかし、なにを考えていたのか、精神的遍歴に絞りこもうとすると、おいそれとは浮かんでこない。もちろん、入学や就職試験で誰もがおおいに苦労したし、仕事の苦労も大変だ。転勤が多いとなればその悩みも少なくない。にもかかわらず、個人作業を終えてグループでお互いに感想を話し合うと、「なんにも考えてこなかったなあ」という溜息が出る。

 いわゆる人生におけるさまざまのイベントを乗り越えていくのに精いっぱいである。突き詰めれば、生活すること自体を考えるのに精いっぱいである。それなりに、たいしたことをやってきたはずなのだが、少し異なった視点からすれば、「なんや、こんなことだけか」と思うのである。

 あるいは、自分自身の「幸福とはなにか」を考えてもらうセクションもある。「足るを知ることだ」、「幸福なんて考えるから幸福が掴めない」というような、少しシニカルに構えた見解も出る。あるいは、「これが自分の幸福だ」と断言してみても、実のところはしっくりこない。

 あらかじめ人生の意味を認識していて、この道一筋に突き進んできたならば、これらのテーマは、簡単至極なはずであるが、現実はそうではない。

 気がつけば生まれていた。以来生きて来たけれど、生まれたとき、人生の意味を与えられてはいない。

 「人生の意味」にとっ捕まった以上、意味を見つけねば収まりがわるい。人生の意味が、そのあたりに転がっているかもしれないが、それにしては簡単に見つからない。生涯かけても、見つけられずに終わるかもしれない。

 幼稚園からお受験人生をひた走ってくると、ものごとにはすべて回答があるような錯覚にはまってしまうかもしれない。お受験人生に取り込まれて、脇目も振らずだから、正解だけを求める頭になって、自分が何をしたいのかなど、考える余裕がない。受験戦争も戦争だ。すべからく戦争はよろしくない。

 文部省の命令でイギリス留学した夏目漱石(1897~1916)が、学習院での講演「わたしの個人主義」(1911)で語ったのは、要するに「自分はなにをしたいのか」をとことん突き詰めなさいという提言だった。いまの人は当たり前と思うだろうが、その時代には個人主義という言葉自体が一般的ではなかった。

 わたしがおこなった「100人100時間インタビュー」で、学校時代に自分の針路を考えたか問うてみる。漱石流に将来の自分を思い描いていた人は決定的に少数派である。多数派は、「どこかへ潜り込まなくちゃあ」というわけだ。

 実際、若者は職業に就かなければならない。思春期の混沌から抜け出るか出ないかの、ふわふわした時期にである。自分の将来を見据えるのは難しい。首尾よく就職したとしても、分業・専門化・細分化によって、憧れの職業人といえるものかどうかは別である。熟練労働者の労働も限りなく単調な方向へと進んでいる。しかも現代の職業は、ずばり表現すれば、すべてが「営利」の一語に集約される。その機能の一分業的機能を果たすだけであるから、所詮、生活費獲得の手段というあたりに落ち着かざるをえない。

 創造的な自己実現への道が存在するのであればよいが、とにかく機構の一部になることくらいしか展望がない。とすれば、お受験の艱難辛苦も、本当のところははじめから空振りみたいではなかろうか。

 わたしは職業人としては、labor⇒work⇒actionを思い描く。生活の糧のみのlabor段階ではなく、自分の能力を発揮するwork段階へ、さらには、社会参加するaction段階を求めて働くことこそ、誇りある労働者人生といえるだろう。

 敗戦後の企業は、人を育てることに心を砕いた。多くの有能な社員を失ったから、まず人づくりから始めねばならない。「人が育つ・企業が育つ」という見識である。人が育つには時間が必要である。育った人を手放したくないのは当然である。だから、年功序列であり、終身雇用という組織風土が形成された。

 仕事における有能の感得、仕事からの満足、社会的有能感へ、本人が「これは自分の仕事だ」と語られる段階へのキャリアルートが開くように心がけた。

 生活しなければならないのだから、賃金は生活のため=手段である。しかし、企業が期待したのは、仕事こそが目的だという気概をもつ労働者であった。それが、有名な「松下電器は製品を作る前に人を作る」という言葉に代表されている。

 こんにちの管理社会においては、成長する人を求めるのではなく、あたかも製造システムの一部分として、黙って働けばよろしいという気風ではなかろうか。本来、仕事の意義は、単に「それをなす」だけではなく、「なぜそうするのか」を働く人1人ひとりが意識していることにあるはずだ。

 ほとんどの職場でコミュニケーション不全が問題になっている。企業において、labor⇒work⇒actionの意義をほとんど無視しているか、最悪の場合は考えてすらいないからである。

 働く人がactionを志向しても、経営者が「営利」だけしか考えていないのであれば、経営は要するにlabor段階に停頓している。かくて働く人の成長を無視するのであれば、企業の社会的責任論などまやかしにすぎない。

 パワハラがよくないと理解できない管理者はいないだろう。ところがパワハラは浜の真砂並みだ。そこには、人間観が存在しない。相手が、ジョブをこなすだけの機械としか見ていないからである。

 労働者は、労働者である前に人間である。機械はまちがいなく同じ作業をこなすかもしれないが、かかる固定的働き方には、仕事上の進歩がない。人間が最大限能力を発揮したい、発揮するように工夫するのが経営(人事)の目的である。 

 人事部門の凋落は1990年代以降著しい。人事部門が経理や購買の下請け化しているといわれて久しい。なによりも人事の精神を失っている。経営とは、人手を得ることではなく、協力者を得るのである。その仕事の中核が人事部門である。人を手数でしか見ない人事は、まさに、敗戦以前への逆走である。

 働く人々が社会を作っている。社会人とは、働く人であり、働く人々の気風が社会の文化を形成している。もし、社会人が人生の意味などまったく気にかけず、ひたすらlabor的気風だけであれば、後から来る若者たちは、それをどう認識するだろうか。後輩は先輩の背中を見て育つ。

 学ぶべき世界は、学校だけでは終わらない。むしろ、社会人になってからのほうが学ぶべきことは多い。社会人は働くことを通して成長し続ける。ただ、その日の仕事をこなすだけではなくて、なにごとかを思索するから成長する。そのような社会風土が形成されるから、後から来る人々が、「未来」に希望をもつのであろう。

 いま、中年世代に入った人々は、日本が活気を失ってから生まれて育っている。「未来に希望をもったことがない」と率直な印象を語る世代である。その世代の背中を見る後世代が、果たして希望を抱くであろうか。

 なるほど、日本は相変わらず元気がないが、ものは考えようである。いまが鍋の底だとすれば、次は這い上がるだけである。気づいた1人ひとりが、そうした気持ちに転換すれば、方向転換にスウィッチが入る。なぜなら、日本の活気がないというが、日本は単なる抽象である。1人ひとりが社会を作っている。1人ひとりがその気になれば、自然に社会は活気を取り戻す。

 着眼点はこれだ。自分が、面白くないのであれば、面白くない習慣を続けるのを止めればよろしい。面白くもないことを後生大事に抱え込んでいるから面白くないだけである。

 なぜ、「人生の意味を見つけられない」と考えるのか。もともと、1人ひとりはこの世に放り出されただけである。人生の意味も、目的も与えられてはいない。これを哲学では、被投企の存在とする。放り出されたわたしが、こんどは自分自身で、自分の未来に向けて自身を放り出す=投企する。

 人生の意味は、他人が与えてくれるのではない。自身が、これだという生き方を発見したとき、めでたく、「人生に意味がある」わけだ。スポーツを見て、元気をもらいましたと語る。まあ、それはそれでよいが、本当のところ、元気は他者からいただくものではない。

 もちろん、いただけるものは、いただけばよろしい。さらに、一歩踏み出して、自己発電する気分になりたい。他者に元気を与える人は、要するに自己発電している。いただくのも嬉しいだろうが、自己発電して、他者に差し上げられる立場になれば、もっと元気が溢れるのではあるまいか。

 昔、心理学の泰斗とされる先生とお話する機会があった。「先生は、どうして心理学の道に入られたのですか?」。「自分がなにものかわからずに苦しくて、心理学をやればわかると思ったのです」。「で、問題は解決されましたか?」。「いいや、依然としてわかりません」。(爆笑)

 初対面の短い時間に大変失礼な質問をしたものだが、先生は、自分を発見するという意味を生涯貫かれて、たくさんの人々に元気をお裾分けされた。

 1947年3月31日施行の「教育基本法」第1条には、教育の目的として次の文章があった。

 ――教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。――

 すべての人は、学ぶ人であり、同時に教育者である。もちろん反面教師も含めてである。結局、被投企された人は、自分を投企することによって自分という人になる。短い人生、最後の最後まで投企し続けたいのである。


◆ 奥井禮喜  有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人