月刊ライフビジョン | 論 壇

「参加の民主主義」を考える

奥井禮喜
春闘だけではいけない

 1971年ニクソンショックが引き金となり、73年石油ショック、原油価格が一挙4倍に上昇して、猫も杓子も大騒動だった。74年の賃上げは30%を越えた。結果からいえば、大幅賃上げは見てくれで、原油価格高騰によって、世界中の価格体系が再編された流れにあった。実質賃金はせいぜい2%程度上昇、それも物価上昇が活発だったので、すぐに消えてしまった。

 ニクソンショックと連動した石油ショックの意味が、おそらく十分に理解されていなかった面もあり、労働界では社会的整合性ある賃金という言葉が登場した。もちろん企業努力の限界を超えた賃上げをすれば、企業は価格に転嫁するから、物価上昇に苦しめられていた当時としては、社会的整合性という言葉はそれなりに市民権を得た。ただし、考え方であって政策化されてはいない。

 高度経済成長は終わり、70年代半ばから低経済成長(社会的整合論では安定成長と呼んだ)になり、賃上げは一桁状態へ進んだ。

 その過程で、組合内部に「参加の民主主義」論が台頭した。多数派の意見は、春闘の再生で、大幅賃上げを実現するためには、組合員の意見をよくよく吸収し、パワフルな闘いをやるべしという。もっとも単純な主張は、交渉権は組合執行部にあるが、妥結権は職場によこせという。組合員が納得しなければ妥結はできないから、より強い交渉ができると主張する。それに対して、執行部は、妥結権をもっているからこそ強い交渉ができる。妥結権をもたないのは子どものお使いみたいなもので交渉力を弱める、と反論する。

 一部の活動家たちの見解は違った。賃金交渉では、天下の情勢から労使が意見を競うが、どん詰まりでは、「出せ」「出せない」の単純取引である。リアルにいえば、賃金交渉に活動価値の全てを委ねている組合活動では先細りだ。大幅賃上げしても、すぐに物価が追い越す。組合は、広く働く人の安定的生活を作っていく視点が大事だ。経済闘争だけではダメだ。賃金闘争にもっと気合を入れて交渉するという程度では組合運動の活性化を導けない。

ユニオンアイデンティティ、ものにならず

 敗戦後、組合といえば賃上げだった。55年の8単産共闘から春闘が始まったら、組合といえば春闘と同義語である。賃金交渉理論の核心は、「食べられる賃金をよこせ」から、「欧米並みの賃金を」と変化したが、企業内賃金の引き上げである。いかに、もったいつけたところで、企業内経済闘争にすぎない。

 1980年代はじめから、一部の組合でユニオンアイデンティティ(UI)に取り組むようになった。UIといっても名前だけで、まだ理論化されていない。おおかたの組合は、組合の存在感が下降しているので、存在感ある組合を作ろうとした。その意欲は買うのだが、組合が求められているのは、見てくれの存在感ではなく、組合の存在理由である。「組合とは何か」である。

 執行部の面々は、戦後労働運動の3代目である。執行委員選挙に主体的に立候補する人が少なくなっていた。そうでなくても、組合の歴史を知り、存在理由を考えるような人は決定的に少ない。いわば前例踏襲の活動パターンである。

 UIに着目したのは上等だが、存在理由を研究する力(意欲)がない。広告代理店か、未熟なコピーライターもどきのアイデアしか出てこない。結局、組合旗の色を赤から青に変えたり、組合用語をカタカナにしてみたり、組合のロゴを変えたり、組合歌をポップス調にするなどの、見てくれ操作に止まった。

合体で精魂はてた? 労働戦線統一

 本来、組合の存在理由というなら、産別やナショナルセンターが率先取り組まねばならない。ところが産別は単組代表の集まりであって、単組に向かって運動の旗を振るような人材が乏しい。親元が単組で、産別は子どもだ。残念ながら、親に説教するような子どもがいなかった。

 当時ナショナルセンターは、労働4団体(総評・同盟・中立・新産別)が労働戦線船統一の途上にあった。労働戦線統一ならば、4団体の個性を包含、あるいは止揚した運動論を取りまとめるべきである。ところが、統一後の運動論をじっくり研究するどころか、個性の違いを越えて組織統一すること自体が目的化した。失礼ながら、連合発足は新たな出発というよりも、4団体合体という目的を果たしただけで、新たな運動の十分な出発点にはなり得なかった。いま、連合労働運動を担っている方々には、気の毒でもあるが、「新しい」運動を構築していくための大奮闘を期待する。

 連合発足33年になる。相変わらず右や左の不協和音が聞こえる。自論をいえば、頂上が確固たるものならば、右左などは、登山コースの好みにすぎない。要するに、頂上の認識があいまいなままに、運動を組み立てようとするから、たとえば、政党支持で立憲と国民の股裂きにあうわけだ。

 せっかく労働戦線統一しても、運動論において、統一以前の考え方が支配しているのであればナンセンスである。とにかく、もやもやとした運動が、連合になってからも継続して、それなりの活動パターンが形成された。外から見ての感想だが、体質的には前例踏襲型に止まり、新しい「大衆」運動を創出する動きが見えない。前例踏襲ではなく、新しい運動を創造するスピリットが必要だ。

 そもそも産別や、ナショナルセンターを作ったのは、企業内組合活動を脱皮するためである。組織されていない圧倒的多数の働く人や、市民を基盤として、連帯し、大きな運動を構築する志だった。

 最近、あまり流行らないようだが、基本的人権、主権在民、民主主義と平和主義の4本柱に立つのが、戦後労働運動の出発点であった。これがきちんと押さえられているなら、立憲と国民の調整に手間取るとか、市民運動との間に不協和音が発生するなんてことはない。関係者には、よくよくお考えいただきたい。こんにちの組合活動は、表面的には存在するが、働く人の社会的運動という視点からはほとんど実態が見えない。

 組合は、機関中心の活動に停滞している。機関中心といえば、組織統制が図られているみたいだが、実は、組合員の要求の希薄さが、組合活動を機関だけに止めてしまっている。組合員が黙って組合費を支払うかぎり、機関は物理的存在が可能だ。組合員が、支払った組合費の妥当なリターンを要求しないから、組合はますます機関中心(機関しかない)になる。形式は中央集権だが、実態は張り子の虎である。

保革の峻別ができない

 なによりも大問題なのは、組合が大衆運動であるにもかかわらず、大衆運動の実態がない。――これは、すでに70年代後半、活動家が大声疾呼していた。関連して当時、保守・革新の峻別ができないという指摘も強くなっていた。

 保守・革新の峻別ができない理由はこうだ。それぞれイデオロギーは抱えているとしても、現実政治においては、具体的な施策について論議する。国民生活に直結した施策に、イデオロギーの色がついているわけではない。高度経済成長以降、安全保障問題などを除けば、与野党ともに、いかに国民の理解と支持が得られるかに熱を上げるから、普通はイデオロギー対立がない。

 最近の表現でいえば、政党活動がポピュリズム化した。議会論議を聞いても、重厚さがない。現実主義というが、正体は場当たり的である。

 2月プーチン氏のロシアが独特の安全保障論を引っ提げて、ウクライナに侵攻した。安倍氏は27回プーチン氏と首脳会談をおこなった。その間、いくども北方領土返還の期待を演出した。しかし、プーチン氏のスケールや性根を見抜けていなかったことが、白日のもとに晒された。39年独ソ不可侵条約締結問題で、平沼内閣が「いわく、不可解」として総辞職した歴史を思い出した。

 どうも、わが国は、憲法の上に日米安保体制をいただいて、米国追従し、その日暮らし外交をもって、安心しているのではなかろうか。保守も革新も、相変わらず正体不明である。

 ちょっと脱線したので戻す。もちろん、注意すれば、保革には大きな違いがある。さっこんの事例では、自民党内閣が賃上げを標榜する。賃上げの金額自体は変わらないが、賃上げの理論が異なる。内閣は、賃上げした企業に税制でサービスする。これは、税金で賃上げしているのである。背景には、悪名高いトリクルダウン(おこぼれ式政策)で、会社が儲かれば賃上げしますというのと等しい。

 組合の賃上げ論は、賃金がコスト論のカテゴリ―にあって、利潤と賃金が相対立する関係にあるが、利潤ではなく、賃金に重点を置けとする。企業経営において利潤が不可欠だとしても、働く人の生活費たる賃金を、儲かったら払い、儲からなかったら辛抱しなさいと言われたのではたまらない。会社の収益を生み出すのは働く人である。つまり、賃金は利潤と対等ではなく、利潤を生みだすための固定費である。

こんにちの組合は、賃上げ交渉において、組合員の賃金学習会を開催しているのだろうか。それができていれば、政府が賃上げを高唱するなど、国民に対するサービスでもなんでもなく、ごまかし人気取りだということが人々に浸透する。保革の峻別ができないというのは、人々が峻別する目をもたず、革新政党がしかるべき理論を人々に提供していないからである。

戦後民主主義の傾向

 わが国は敗戦後、民主主義制度の国として再出発した。人々が民主主義という言葉に敏感に反応した時期は、1970年代までであったように思う。時代が下るほど民主主義は刺激のない扱いを受けている。とくにそれ以降に生まれた人々は、知識は備えていても、生活感や親近感を持たないだろう。

 民主主義がもっとも熱かったのは、当然ながら敗戦直後である。戦争の精神的・物的被害を体験した人々は、生活再建の苦しさと闘うなかで、「民主主義なのに、なんだ、この現実は」という気風が強かった。民主主義の学習がもっとも活発であり、主権在民の価値をしみじみ味わったものである。

 しかし、熱い鉄は冷めるのも早い。ルソー『社会契約論』を翻訳した桑原武夫(1904~1988)は、初版(1954)の前書きに、――ルソーの精神は日本で十分に根を張ったとはいえない。戦後、主権在民という言葉が一時流行したが、その真意は覚えぬ先に忘れられかけている。――と記した。敗戦後9年目である。

 社会は、そこに暮らす全個人によって作られる。おおかたは、自分と家族の暮らし向きを維持することに懸命である。誰でも、自分の生活が被害をこうむるような社会はご免だ。安定した生活をしたいから、社会の秩序が平穏で、安定してほしい。だから、社会秩序についての関心は決して低くはない。

 しかし、社会的関心は高くない。社会的関心とはパブリック・ウェルフェア(公共の福祉)である。公共の福祉は、みんながめざして努力しなければ発展しない。

 社会秩序が乱れることを嫌う意識と、社会の幸福を作ろうという意識は同じではない。前者は生活密着型だが、後者はいささかの志を必要とする。敗戦後、日本人のパブリック・ウェルフェア意識が低いことが内外の話題になった。さっこん、あまり話題にならないが、決して解決済みの話ではない。

 もちろん、困っている人を見れば胸が痛む。災害時には、さまざまな方法で応援する人が少なくない。1995年の兵庫県南部地震では、ボランティア元年といわれた。しかし、個人は非力である。いつでも、誰でもボランティアに参加できるわけではない。災害時だけではなく、日常的に、誰もがパブリック・ウェルフェアをめざす。これこそが、福祉大国であり、本来の政治がめざすものである。

「参加の民主主義」を唱えた当時、活動家諸君が描いたのは、パブリック・ウェルフェアをめざす社会の構築だった。1人ひとりは非力である。組合に参加すれば「数は力」になる。組合は、社会の組合に育たねばならない。そのような方針が確立され、実践するようになったら、大衆運動という言葉が、おおいに輝くであろう。組合に期待する。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人