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岩波ホール閉館報道に接して想うこと

渡邊隆之

 1月11日、東京・神田神保町の老舗ミニシアター「岩波ホール」が7月29日をもって閉館するとの記事を目にした。コロナでの経営悪化が原因だという。

 筆者の過ごした高校・大学は神田駿河台にあり、また最初に就職した会社も神田須田町にあった。だから岩波ホールへはよく足を運んだ。神保町の古書店街、古びた喫茶店、書籍印刷工場から奏でられる文選の音。その地に、娯楽性よりも社会性や芸術性に重きを置いた作品を発掘・紹介し、社会に一石を投じる岩波ホールがあった。

 ロングランヒット上映となった「八月の鯨」をはじめ、日本で初めて一般公開されたタイ映画「ムアンとリット」、スペイン内戦を描いたケン・ローチ監督の「大地と自由」、孫文・蒋介石・中国財閥にそれぞれ嫁いだ女性の人間模様を描く「宋家の三姉妹」、日系三世スティーブン・オカザキ監督が反戦・反核を訴えたアメリカ映画「ヒロシマナガサキ」など、心に残る映画は数えきれないほどある。

 岩波ホールが他の映画館と違ったのは、商業ベースになじまなくても質の高い名作を上映していた点である。日本では上映されることの少ない欧米以外のアジア・アフリカ・中南米の名作や欧米作品でも大手興行会社が取り上げない名作が上映された。また、日本映画の名作を世に出す手伝いもしていた。さらに、羽田澄子氏など女性監督がメガホンをとるドキュメンタリー映画も多かった。中国の文化大革命や満蒙開拓団、その他諸外国での戦時下で起きた出来事など多角的な視点から、過去の歴史に光を当て、人々が人間らしく生きるため何が必要なのかいつも課題を突きつけられた。もちろん、文化的に芸術性の高い作品も数多く上映されている。劇場内で販売されているプログラムに書かれた寄稿文も読みごたえがあった。

 映画界で著名な川喜多賞を岩波ホールと元総支配人の故高野悦子氏が受賞している。また、映画を通じての国際交流を積極的に行った点でも特別な存在なのだ。

 閉館報道当日のツイッターでは、「岩波ホールはこの国の文化遺産であり、なんとか残せないのか」「クラウドファンディングで救済できないのか」などの多くのつぶやきを目にした。また、想田和弘監督は「(岩波ホール閉館は)日本の映画界、文化芸術の敗北だ」と述べていた。国際的にもブレイキングニュースとして各国大使館から閉館を惜しむ声が伝えられた。

 経営難の理由は観客が高齢化し若年層を十分取り込めず、コロナ禍でさらに客足が遠のいたから、との記事を目にした。しかし、筆者はコロナ禍だけが原因ではない気がする。多くの国民が単純化された情報のもとで思考停止し、個人の尊厳や社会問題について深く考えなくなったことが大きいのではないか。それは神田神保町の変貌ぶりにもよく顕れている。かつては法律や社会学など専門書籍を扱っていた書店も、今は一般大衆向けの娯楽書籍を多く扱うようになった。学生時代をそこで過ごした身としては知の聖地が萎縮しているようでとても寂しい気持ちになる。

 閉館報道の翌日、居ても立ってもいられず、筆者も岩波ホールへと足を運んだ。その日の上映映画は「ユダヤ人の私」。ホロコーストから生還した106歳の生き証人のドキュメンタリー映画である。曖昧な理由で「ユダヤ人」とレッテルを貼られたことで、戦時中虐待されたことは勿論、戦後70年を過ぎても脅迫の手紙が届いていたことや、先の第二次世界大戦でオーストリア市民がヒットラーの演説に熱狂し、いとも簡単にファシズムに飲み込まれていく様子など、現在でも危惧しなければいけない題材が多かった。むしろこれから長い人生を送る若者こそ見るべき内容である。

 鑑賞後、ホール内の壁面に2019年度朝日広告賞に入賞した写真ポスターを見つけた。「小さな映画館から世界を考える」というテーマのそのポスターには街を背にして小さな男の子が二人立っている。そして、ポスターにはこう書いてあるのである。

 平和しか知らないから平和を知らない。

 こことはちがう、世界へ。       岩波ホール

 コロナはいつか収束する。しかしその時に、個人の尊厳を脅かす戦争や政府の失策を指摘すべく、多角的かつ客観的な基準から問題提起してくれる岩波ホールのようなミニシアターが、無くなっていてよいのだろうか。存続または再開への支援活動が生じれば是非とも賛同したい。


※川喜多賞(かわきたしょう)…長年の努力によって日本映画の芸術文化の発展に甚大なる功績を残した個人・団体に対して、今後の芸術文化への貢献を期待する意味も込めて公益財団法人川喜多記念映画文化財団から贈られる賞。日本の映画関係者にとっては最も名誉ある賞の一つとして認知されている。